時々書く、「情報の丸鵜呑みにしないこと」

なぜ、それがあまりよろしくないことについて

今日の記事を書きたいと思います。





というのは、私がブログを始めた10年前とは、

やはり時代が変わっていまして、SNSの普及で

個人が自由に情報発信をしている時代です。




そして、誰かが書いたこと、

それらしくシェアされている記事を何の疑いもなく、

そのまま鵜呑みしたり、事実関係を探りもせずに、

その情報を拡散したりなどができる時代になりました。

それが間違っていた情報だったりすると、あら大変。





ある人の言葉を借りれば、

「自己啓発暴走時代」だそうです。もちろん、

当ブログもその種にカテゴリされているかもしれませんが。




ただ、当初から、当ブログが皆さんに伝えていた

メッセージのひとつ。情報の丸鵜呑みの危険について

伝えたいと思いました。





常々申し上げていますように、

情報の丸鵜呑みは、自分で考えることをしない

思考停止を自分に定着させてしまう行為なのです

簡単に言うと、考えないことを癖にしてしまう。

自分では考えられない人になる
、ということ。

そうなりますと、





自分の人生の手綱を

誰かに任せていることになる。

迷った時に、自分の内なるところに

問えない人になってしまい

何をしたい人かがわからなくなる。






友達に聞いて答えをもらう。

偉い人に聞いて答えをもらう。

占い師に聞いて答えをもらう。





そして、思考停止の状態で、発信者が少しずつ

毒だと分からぬ仕方で、毒を盛り続けていたら、どうなりますか?

そして、大多数の人が「いい」と思っていることは

人気があることが、本当にいいわけでもないのです。

もし、少しずつ盛られた毒に気づかなかったら、どうでしょう?

全身、いつか毒されてしまうのです。





そして、多くの人がそれを信じた場合、

集合無意識体に影響を及ぼし、想念が現実化するのが

早いったらありゃしない。それが愛だったらよかろうものが、

毒だったら、非常に怖い結果になります。





だからこそ、

自分の心を守り、

足元を見守り、常に

識別力を働かせる必要が

あるわけです。






特に気をつけたいのは、

「答えはこうだ!」と言い切っている表現。

それと、答えが一つしかないような書き方や強い表現。





こう言う世界は、コピーライティングの基本として

「言い切れ!」と言われていますが、

答えが一つじゃないものは言い切れやしません。

だから私はよく、軸がない、と言われることもあるのです。

でも、私の場合は、実は、答えは一つではないと

思っているので。登山のコースがたくさんあるのと同じ。





あとは、発信者が面白かろうが、優しそうであろうが、

もしくは、美人であろうが、人気者であろうが、

多くの人々に人気のある人の情報や発言を受け取る時に、

気をつけようよ、ということ。





ですから、当ブログも当然それは含まれます。

そして、常々申し上げていますように、

答えや方法論は一つではない、ということ。





人々の特質や傾向が違うゆえ、

そこに辿り着く道は山道もあれば、

舗装された道もあれば、都会の道もあれば、

田舎道もある。行き方はたくさんあるよ、ということ。

そして、それと同じく、生き方もたくさんあるのです。





3、4年前ですが、丸鵜呑みしないほうがいい、

という記事書いたことあります。そうしたら、

批判もありました。「自分の発信に自信がないんだね」

とか「責任逃れか?」とか「結局、あなたはプロじゃなく、

アマチュアなんだよね。」と。





その時の、私は頭の中が「?????」だらけでした。

鵜呑みにしろ!って言ったほうが良いのかしら?

鵜呑みにする、というのは洗脳だって簡単にできるのに、

すべて鵜呑みにしないで、考えようね、

と言っていることを攻撃するとは、やっぱり

鵜呑みにしたい人々もいるのだろうか?と思ったのです。





私の価値観としては、プロだったら、尚の事、

人間に備えられた「思考力」を使い、

自分で考えて答えを出すことを勧めたい

そんなことを伝えたいと思うのです。

コーチングの倫理自体そうですし、

私の価値観もそうです。





なので、自分はどう思うのか?

自分ならどう考えるのか?

自分だったら、どういう答えを出すのか?






常に、思考を使うトレーニングと、自分の感情はどうなのか?

という、左脳と右脳、顕在意識と潜在意識、

両方を使うようにしたいものです。





人間にはなぜ理性があるのでしょうか?

それは、危険を回避したり、秩序を守ったり、

人として暴走して、危ない目に遭わないためです。

理性は、左脳的な思考する部分。

せっかくある機能ですから使っていきたいものですね。

ではまた明日。