外側は可愛いのに、

見えない内脂肪、

やばし・・・

 

 

 

ご存知の通り、

人間は世の中を見たいように見て、

感じたいように感じて、

聞きたくない情報は入らないようになってて、

無意識レベルで削除して、

都合のいいように

自分の世界を作って観察しています。

 

 

 

世の中は、

自分の解釈と意味付けだけのであって、

実は真実は何もなくて、

真実はいつの時代にあっても、

自分が作っているもの。

 

 

 

単純に言えば、

自分が白と言ったら白

黒と言ったら黒。

ただそれだけです。

 

 

 

同じ事象を体験しても、

それが一見苦痛な状況でも、

ありがたい経験をさせてもらった、

と感じる人もいれば、

 

 

 

「なんで私だけが

あんな目にあわなきゃならないのよ!

あの人のせいで私は・・・

なんちゃらかんちゃら」と

他人のせいにして、

悲劇のヒロインになることもできます。

 

 

 

今の世界の感じ方は、

全部自分が作っているのです。

 

 

 

ここを理解できるようになりますと、

極論、つらいことがあっても、

自分がもっと成長する仕方で物事を意味付けて、

前向きに明るく生きていくことができます。

 

 

 

で、今日の記事タイトルですが、

結局、他人のことも、自分の視点から見て、

色々とジャッジすることがあるかもしれません。

ジャッジは裁く、と言う意味でもありますが、

判断でもあります。

 

 

 

つまり、勝手に他人様の見えるところで

「あの人はああだ」とか「この人はこうだ」とか、

しかも見える部分って、実は1割にも満たない、

誰も自分以外の人の真実は知らないのです。

(自分のことも知らないけど)

 

 

 

いつも笑顔でいるあの人が、

影ではどんなに辛い思いをしているかも、

いつもきつい言動をするあの人は、

愛ゆえの行動かもしれず、

厳しい上司がどうしてあんなに

性格がひん曲がっているのか、

もしかして、ひどい家庭環境で育てられたのか?

 

 

 

・・・何も私たちは知らないのです。

 

 

 

隣の部屋にいる夫も子供も

何をしているか知らない。

ただの想像で、勉強しているとか

本を思っているかもしれませんが、

エロビデオを見ているかもしれません(笑)

 

 

 

そう、私たちは何も知らないのです。

 

 

 

ところが不思議なことに、

私たちは、他人のことでも

「何でも知っている」「間違いない」

と思い込んでしまうことがあります。

 

 

 

99%の裏事情が見えていなくて、

たった1%の世界しか見えないのに、

なぜか人は、その他人様の全てを見て、

知っているかのようになっている。

 

 

 

それはメディアや、

他人の言葉(嘘も多いのに)を自分なりに、

解釈して、脚色して、そして、

自分の好きなストーリーを作り上げているのです。

脳の仕組みは、そうなっているから。

 

 

 

しかし、もし「自分は何も知らない」

「裏の事情は私たちには見えないんだよね」

という謙虚さがあれば、他人様の見えない事情を

ジャッジしたり、あれこれ言いふらしたり、

偏った判断で、相手の評価を落とすようなことは

言ったりしないものです。

 

 

 

今日のタイトルにあるように、

私たちは私以外の人たちの行動の動機も、

なぜそういう言葉を言ったのか?

その人の表面から見える行動も心も思考も

何も知らないのです。

 

 

 

それを知ると、

心が平和になります。

そして、それを知ると

他人様の行動に寛容になれ、

優しい目で見ることができます。

 

 

 

そして、もう一つ、

自分のことに注意が向きます。

他人のことで振り回されないのです。

人のあれこれに構っている暇などない。

自分の人生に無意味なのです。

 

 

 

だって、自分は、

他人様の事実は知らないのだから。

 

 

 

何か拾える点があれば幸いです。

ほんではまた明日ね〜!