「一生修行」 斉藤侊琳先生を偲んで | 一刀三礼

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こんにちは

今回は先々代の師匠、仏師の故斉藤侊琳先生について書かせていただきたいと思います。

 

(故斉藤侊琳先生)

 

少し長文です。

 

 筆不精で子供の作文のようですが最後まで読んでいただければ幸いです。

 

 先月18日、師匠の関侊雲先生から斉藤先生の訃報を知らされたとき、私は5日後の第2回日本木彫刻展に向け、パソコンの画面で名刺のデザインを入稿しながら、出品する毘沙門天の最後の仕上げをしているところでした。あまりに突然のことで、知らせの直後は現実として受け止められなかった、というのが正直なところです。

 

 しばらくして、もう斉藤先生の新作を拝見することも私の作品を見ていただくことも叶わなくなってしまったのか、という思いがただただ寂しさを募らせていきました。

 

 

斉藤先生のお人柄について

 

 大変お優しい方 私が斉藤先生に抱いた最初の印象です。

以前から 「鬼の斉藤」 と恐れられていた頃の伝説的逸話を聞かされておりましたので、初対面はガチガチに緊張しておりました。しかし工房に来られた先生はそんな私に優しい物腰で「なかなか上手や、これからも頑張って」と温かいお言葉をかけてくださいました。何とも言えない、じんわりと心が満たされる気持になったことを覚えています。その時は仏様のような方だなと思いました。

 

しかしながら、優しい人ほど厳しい人というのはよく言うものです。”鬼”の一面を感じる瞬間もありました。ある日関先生が設けて下さった一席、関侊雲仏所全員で斉藤先生とお食事をさせていただくことがありました。大変和やかな雰囲気でした。中ごろ、関先生のお計らいで私がお地蔵様の仏頭を斉藤先生に見ていただいた時のことです。

 先生は私から仏頭を受け取り、じっくり眺められた後、「小鼻が小さいな」と仰いました。私は失敗がわかっておりましたのでやはり言われてしまったか…と思いつつ、ハイとお答えしました。すると先生はまっすぐと私の顔を見据えられ 「自覚あるんか」 と一言。先程のお食事の最中とは全く違う、その爛々と輝く、すべてを見透かすような眼差し。今でもはっきりと覚えています。語気もひときわ熱を帯び、一瞬心臓をつかまれるような緊張感が体中に走りました。恐る恐るハイとお答えすると、「次は気ぃつけぇ」とすぐ元の優しい口調に戻られました。今考えるとあの視線には、わかっているなら直してから見せて来い、という意味があったのだと思います。厳しい世界で生きてこられた職人魂の片鱗が見えた瞬間でした。

 

 

 最後に握手をさせていただきましたが、とても70才を超えるとは思えない力強さで、その時合わせた眼差しにもまた輝くものがありました。その日私は火にかけられた湯のように自分の中に沸き立つものを感じました。

 斉藤先生の熱に充てられたとでも言いましょうか、あの時の目線が脳裏に焼き付き、今でも背中を見られているようではっとすることがあります。

 関先生や紺野侊慶先生がお弟子さんだった頃の斉藤先生のパワーを少しだけ実感させていただいた食事会でした。

 

 

作品から感じること

 

 斉藤先生はその有り余る情熱から時に怒髪天を衝くように激高され、逆に(ごくごくたまに)仕事がうまくいけば人一倍喜ばれる、まさに竹を割ったような、まっすぐな方だったとお聞きしております。一切の妥協も許されなかったため、途中で作り直しになり倉庫で眠る未完の作品も多いそうです。

 作品からもそのまっすぐな生き方を感じることがあります。

 特にそれが現れているのは鑿(のみ)の勢いと彫りの深さです。

 先生の阿弥陀様の仕上げ彫り(表面を薄く削り形を整える彫刻の最終工程)をお手伝いさせて頂いたことがありました。その時脇の下にどうしても仕上げられないところが…、というのも先生が荒彫りの段階で、叩き鑿で以って限界まで深く叩き込まれているので、もうそれ以上刃先が届かないのです。無理やり仕上げようと思うと周りを傷つけたり形を変えたりしてしまいます。しばらく考え、いたしかたなく刃を柄からぬいて、指で刃を持ちカニの身でもすくうようにして仕上げた思い出があります。

 

 

 このように、色々と考え形を調整しながらではなく、迷いなく一心に、鑿の勢いで彫らなければできない形が先生の作品の随所にお見受けされます。私には到底まねできない、お人柄と長年の経験から編み出される型というか、業なのだと思います。一見しただけではわからないことですが、そのような形は特に影になる部分として作品全体に”明快さ”と”強さ”そして”品格”をあたえます。

 本当に真似のできない彫り、これが小手先の器用さでは表現されない領域なのだ、と作品を拝見するたび思い知らされ、自身の不勉強さに落胆するとともに叱咤激励をいただいている次第です。

 先生の作品はよく、「見れば見るほど良い」 「見るたびに新しい魅力に気づく」 と言われます。飽きることなくずっと愛される作品になるには、上手に彫られただけではない、人間性や長年の経験がにじみ出ることが必要なのだと作品を通して何度も教えていただきました。

 

斉藤先生の作品です。

 

(不動明王立像)

 

 

(十一面観音菩薩立像)

 

 先生は京都の大仏師松久朋琳・松久宗琳両先生に学ばれる前、富山県井波(いなみ)に伝わる井波彫刻や人体彫刻を日展作家の武部豊先生に学ばれておりました。ですので作品には欄間(らんま)や社寺彫刻などの感覚が面の構成に現れています。ねじれながら重なり合う立体的な面の構成は、仏像彫刻だけを学んできた方のそれとは明らかに違う魅力があります。

 今でこそ井波で仏師の方が沢山ご活躍されていますが、斉藤先生こそ井波彫刻の世界に仏像彫刻の技術を取り入れられた先駆けでした。その生涯の作品数は千に近いほど。時が過ぎ、仏像彫刻・井波彫刻の歴史が見直される時、斉藤先生はその一頁につづられる存在と言って過言ではないと思います。

 

 

斉藤先生との出会いで変わったこと

 

 ありがたいことに、私は斉藤先生から直接ご指導を賜り、仕上げ彫りのお手伝いをさせていただく機会にも恵まれました。すべての経験が私の一生の財産となると思います。

 また、関侊雲先生より仏師号を賜るにあたり 『侊』 の一字の伝承を認めてくださいました。斉藤先生、関先生に認めていただいたこと、今の私にとってこれ以上ない誇りです。 

 私はこの世界に弟子入りさせていただくまで自分のやりたいことばかりを考えている人間でした。

 しかし斉藤先生、関先生に出会い、仏師として社会に貢献し家族を養うこと、師匠から学ばせていただいたことを弟子へと伝承させていくことの尊さを教えていただきました。

 今の私は責任を果たすことや恩義に報いることの大切さを感じ、その使命を果たすことが自分の本当の幸せにつながっていくのだろうと思えます。もしかしたらこうした考えに変わることができた事こそ斉藤先生から戴いた一番の財産なのかもしれません。

 

 

「一生修行」

 

 斉藤先生から戴いたお言葉です。

 立場にかかわらず常に謙虚な姿勢で人の話を聞き、学ぶ姿勢を持ち続ける。当たり前のことのようですが忘れがちなことでもあります。思い上がれば人はそれ以上成長しませんし、成長できるチャンスも与えてもらえません。

 

 

 

 もう斉藤先生から直接ご指導を賜ることはできません。しかし残された作品たちが先生の生き写しとなり、拝見するたびに新しい課題を与えてくださいます。仏像彫刻という奥の深い世界で、78才でご逝去される直前まで現役でご活躍され、平成19年には紺綬褒章も授章されております。まさに仏師の鏡のようなお方でした。私にとって学ぶべきことは無限にあります。

 

 昨年の暮に奥様に先立たれ、半年ほど前にお会いした時は大変寂しい思いをされているご様子でした。今はきっとあちらでお二人、安らかに過ごされていることと思います。

 

斉藤先生ありがとうございました。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。     

                         合掌

 

 

                       米澤侊力

 

 

 

 

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