どうも!
こじめぐ です!
なんちゃってアイドル リンダこと林田眞美さんのお母様からのメッセージが深く心に響きました。
読ませてもらってるうちに、
【母親】って子どもを無条件に愛し続けられる生き物なんやなって改めて感じました。
どんなけな事をしてもやりたりない。
私は母を恨んだこともありましたが、間違いなく母も同じ気持ちやったんやろなと思います。
全ての「お母さん」に読んでもらいたい。
と、思ってこんな風にアレンジさせて頂きました。
せつ子さんが、足早に動き回っているのが見えました。そんな人生だったとせつ子さんは捉えていらっしゃいました。
じっとしてるのが嫌な性格でした。
運をつかみたいなら自分から取りに行く。運がないなら自分で作っていく。
そんな気持ちで生きぬきました。
自分でどうにかできるという自信も覚悟もありました。
そのせいで誤解される事も多々ありましたが。
(母は気性の激しい人で私も妹も、母との接し方で
悩むことも多かった。私たちが大人になるしかないよ、ってお互いに愚痴を聞きあったりして。)
悩むことも多かった。私たちが大人になるしかないよ、ってお互いに愚痴を聞きあったりして。)
まだ癖がぬけなくて、動きそうになってしまいそんな自分がおかしくなってしまいます。
痛みとかありますか?
うん、ちょっとね。
頭が重い気がするけど、大丈夫。(強く言い切られました。)
何歳になっても心配です。
子供の頃、体をもっと注意してあげればよかったとか母として十分してあげられただろうか?など後悔しています。
もっと一緒に、沢山出掛ければ良かった。
(母が父と離婚してから30年くらい経つけど私が結婚するとき「パパの苗字じゃなく、私のところからお嫁にいって欲しいから私の戸籍にいったん入って」って頼まれて結婚するためにわざわざ私は父の戸籍から抜けて離婚して母が旧姓で新しく作った戸籍にいったん入り、そこからお嫁に行くという段取りをしたこともあります。
一回言い出したら聞かない人だったから。)
一回言い出したら聞かない人だったから。)
親子としてではなく、友として、人生の先輩として話してあげればよかったと思います。
私にゆとりがなかった事、娘につらく接してしまった事、長女にどう接していいかわからなかった事、とりあえず一人でやってくれる子だから、私は必要ないかもと思ってしまいました。
(結婚して家を出てから「もうあんたたち出入り禁止」って言われたことも何回もある。
なんかよくわかんないことで怒っちゃって。)
なんかよくわかんないことで怒っちゃって。)
私も会いたいと素直に言えばよかった。
わたしちゃんと母親できたかしら?
合理的に物事をすすめようとし過ぎてしまって、母として女性としての配慮が足りなかったかもしれません。
ありがとう。
(50歳で離婚してから「頼る人はいないから」って言ってダブルワーク、トリプルワークで一年のうちお休みは元旦くらい。
そんな生活を65歳まで続けてました。
65歳で仕事をやめてからは我が家に近いところに引っ越して来たんだけどでも、離婚しちゃった私は
そこの家を出て(引っ越して)母を一人にしちゃった。)
音楽を聴きながらくつろぐことにします。
娘を見守ることにします。
悩みがあったら話しかけてください。
心より娘を愛しています。
生前、自分の気持ちに気付いていればよかった。
今、心から愛を贈ります。
(車で30分程度のところだったけど
私自身が離婚して子供達の生活を守ることに一生懸命で自分の生活を立て直すのに必死で母のところへ顔を出すのは2、3ヶ月に一度。
それでも「忙しいんでしょ、もう帰りなさい」って言って引き止めることのなかった母。)
との問いに一瞬たばこが見えたのですが、すぐに消えました。
お母様が眞美さんの後ろに立たれて肩をさすってマッサージしている様子に変わりました。
(母の話を聞きながらうつらうつらしてしまう私を「いいから横になんなさい」って言ってその場に寝かせて背中をマッサージしてくれた母。)
出歩くことも減ってたから
話し相手とか、欲しかったはず。
歳とってから引っ越したんだから
周りにそんなに知り合いいないもんね・・・
ほんっっとに
もっと会いに行けばよかった・・・・(ノω・、)
母はね、孫(私や妹の子ども)が生まれてから
タバコやめたんです。
そういうこと、ももっちさんには言ってないんだけど
なんでわかるかねぇ・・・
亡くなっている母を発見したときも
ラジオがつけっぱなしだったんだよ。
音楽聴いてたの。
死んだ人の言葉なんて
誰にもわかんないんだから
どうとでも言える
って思う人もいるかもしれない。
でも私は
ももっちさん、ホンモノだと思います。