4年前の7月の自分の記録を読み返して、なんとも言えない気持ちになりました。
今なら、子どもに噛まれても、
「美味しいでしょ?先生の脂の乗った霜降り高級肉。」
と言うほどの余裕がある。4年前はこれっぽっちもなかった。むしろ自分が情けない、申し訳ないという気持ちでいっぱい。でも、それって、経験のない若手の担任だった私が、そんなにも責められないといけないことだったのか。いや、そんなことはない。そんなことはないんだよ、4年前の私。
「アルバイトじゃないんだから。」
「給料もらって仕事しているんだから。」
「人間性に魅力がないから子どもがついてこない。」
「あなたの受けてきた今までの教育は、どうかしている。」
「あなたに担任された子どもは不幸だ。」
こんな刃物のような言葉を、若い経験のない若手が毎晩校長室で管理職から言われて、まともにいられるだろうか。いられるわけがない。4年前の私の心は容赦なく削り取られていった。
7月は辛かった。
通勤中に何度もしゃがみ込んだ。
高架下を走る車を見つめていた。
電車に乗れば涙が出た。
「2学期からは担任をさせられない。」
「辞表はこっちで書いておくから、印鑑を置いていけ。」
私はこう言われた時、管理職はすでに2学期からの担任ができそうな他の先生を見つけていた。
もう少しの希望もなかった。
まだ若く経験のない私は、自分を責めた。とことん責めた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。辛かった。1学期で退職した。
あの後、たくさんの先輩や仲間たちに話を聞いてもらった。その先輩たちが「そんなのパワハラだ!」と言ってくれたから、「許されないことだ!」と言ってくれたから、気持ちが楽になった。けれど、それからも、あの経験は毒のトゲのように心に引っかかっていた。うまくいかないとき、弱っているときに蘇っては、私を苦しめた。
4年経った。私も少し経験を積んだ。
やっと今の私は、あの言葉たちに、あのときの状況に、怒りの気持ちがもてる。
若く経験のない人がうまくいかないのは仕方ない。けど、それはその若く経験のない人が責められてよいわけではない。教室で、先生たちは子どもたちに言うだろう。「いじめられている子には悪いところがあるから、いじめられても仕方ないなんてことは、絶対ない。」同じだ。若い人が上手くいかないから、失敗ばかりするから、辛い気持ちにさせてよいわけがない。
上手くいかないときは、職場の同僚が、管理職がサポートすればよい。そのときのサポートは、若く経験のない先生を責めるものであっては、決していけない。寄り添うものや、気持ちを大切にするものでなければいけない。
だから、4年前の私、若い先生、
上手くいかなくて、周りから責められて、とても辛い気持ちだと思う。自分を責めて不甲斐ない気持ちでいっぱいだと思う。子どもたちのことをよく考えているから、大切に思っているから、辛い気持ちがどんどん膨らむよね。失敗ばっかり仕方ない。けど、それは、あなたは悪くない。あと少しで夏休み。たくさん、人に辛かった話を聞いてもらってね。たくさん美味しいものを食べてね。学校のことを忘れる時間も作ってね。
4年前、あんなに上手くいかなかった私が言うんだから、大丈夫。退職したって大丈夫。学級崩壊したって大丈夫。
私は今も失敗ばかりだけど、子どもたちと楽しく過ごせてる。
4年前の私が、どんなに責められても、子どもたちのことを思う気持ちが核としてあったこと、私は誇りに思う。