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おはようございます
かなり久しぶりの更新になります。
仕事の人間関係と長男の受験で精神的に参ってしまい
秋ごろに 仕事を辞め 今は自宅警備員と化しています。
本音を言えば、離婚をしても息子がいるわけで・・・カサンドラ状態になる原因を0にはできない現実があり
家庭でも職場でもストレスを抱えれるほど 私の精神は回復などしておらず・・・徐々に壊れていく自分を感じながら、仕事を手放しました。
主治医には、息子の受験に際し
週に二日でもいいから、外に出るようにしないときつくなるだろうと言われていたのですが
その二日がストレスになる現状では続けられなくなったため 息子の受験が終わるまで 仕事は諦めることにしました・・・。
センター試験も終わり、志望大学も決定したわけですが・・・
大阪から遠い東北地方の大学です。
長女から「一人暮らしの子たちの話だと、入試の時に不動産を契約して帰らないと、合格発表の後だと 良い物件はないらしいよ。」と
そのため、入試に同伴し不動産物件を見ておいた方がいいのでは?という話になったのですが なぜか?キレられる・・・
契約するのに保護者が必要だろうから、一度も行かないわけにいかないだろうと思うのに
・住んでみなきゃわからないのだから、事前に物件を見に行く必要などない(賃貸物件を見て回るとか おかしい そんな奴はいないし聞いたこともない)
・すべては大阪にいてもできるだろ(お前は必要ないから来るな)
・現地に行かなくても、ネットとかでいいやろ(とにかく、必要ない)
ってな感じで、何を言っても聞く耳持たず
このやり取りが すさまじく私のトラウマを刺激してしまい この後から さらに心身ともに調子を崩してしまいました。
息子の言うことが どれも常識外れだと思うことばかりなのに まさに暖簾に腕押し・・・
どんなに冷静に言葉を尽くしても・・・全く伝わらないし、キレられて怖い思いだけが残る。
あげく、慣れ切った思考パターンで「私がおかしいの?私が間違ってるの?」のループ・・・。
結局、また外に出れなくなってしまい・・・和室を締め切って、部屋にこもる日々・・・
仕事・・・辞めといて良かった・・・
それでも、日中はなるべく 太陽に当たるように努めてます。(和室からでてリビングのカーテンを開ける)
仕事は、一応5月頃のスタートで派遣会社さんに連絡してあるので。
なんとか この時期を乗り切って 春からは新しく出直せるように・・・希望だけは捨てずに頑張ろうと思っています。
我が子相手にカサンドラ状態になる事実が、母親としての自分を責めてしまいそうになるのですが
そのことを考えると涙が止まらなかったりもするのですが・・・
辛い気持ちを押し殺して母親を全うできるほどに 強くなくて・・・そんな自分に絶望しそうにもなるのですが・・・
色々な感情を抱えているのだけれど
「息子を愛している」ことは揺るがないでいられるので
それだけを真実と・・・それだけに目を向けて・・・恐怖から逃げずにいたいと思うのです。
それでも、自分の癒しが最優先課題ではあるので 大丈夫になるまで引きこもるわけですが・・・
前期試験まで後3週間なわけですが
彼にとって 入試における最難関はセンター試験だったので、得意科目だけで受ける前期試験は問題ないのです。
ただ、東北地方を知らないので・・・雪道を歩いたことすらない息子が
ひとりで入試を受けに行くということが心配なだけで・・・
それでも、入試当日の交通から宿泊の手配なども 一人でやったみたいで。
当然アスペルガーに報連相の概念などあるわけもなく!
願書も、保護者欄は当然自分で書き、勝手にシャチハタのハンコを押して出した模様・・・
そんな感じなので 諸々の心配も・・・その後の入学手続きやら新生活やらのことも
息子のあの調子では、一切受け付けても貰えなさそうで・・・
あの調子では、春に新しい住所も連絡先も教えてもらえないだろうという現実が濃厚になってきました・・・普通の感覚の人には到底理解できないことでしょうが、元夫がそういう人だったので、おそらく息子もそうだろうと思うのです。「知らせる必要性がない」と言い切られることが解っており、それに関するやり取りは既に元夫とやりつくして絶望している案件ですから 今更争いません・・・。卒業式の日も入試日も教えてもらえません。「関係ないだろう」「必要ないだろう」と。おそらく入学式も無理でしょう、教えてもらえないのでしょう。
思春期に思いがちな(私自身そうでした)
自分は一人で何でもできるし、なんでも解っているし、なんでも一人でやってきた。っていう考え自体は
長女も同じなので そんなものなのかな・・・腹が立つけれど思春期の子供の特徴だし仕方がないと思えるのです。むしろ定型発達に後れを取ってないと喜ぶべきかとすら思います。
でも、息子とのやり取りが どうにもこうにもトラウマで・・・やっぱり克服できてなくて・・・すぐに折れてしまう私の心があって・・・
一方で・・・過去の自分を思い・・・全く気付いていなかったけれど、当時の私は酷い状態だったなと。
壁に残る包丁を何度も何度も突き刺した痕も納得の現実だったと。
こういう事が日常だったあの頃をよく耐えたなと。
無表情で淡々と包丁を突き立てたり 食器を割りまくったり・・・(私は物に当たるタイプで)そんなことをしていた自分を今は怖いと思います。
本当に病んでいたのだなと、限界を超えて、最早自分を保つことも出来ていなかったと改めて振り返って あの頃の自分には戻りたくないと強く思うのです。息子とのやり取りでトラウマを刺激されると、そういう不安にも駆られます・・・またダメになってしまうのではないかと
典型的な受容型の元夫と孤独型の長男では 違うところもあるのですが
建設的な会話が出来ないところは やはり同じで・・・
なぜか?自分が悪いとか自分がおかしいのだ等と疑ってしまう慣れ切った思考パターンが、精神的に不安定になってしまう原因だと解っているのなら
それを捨ててしまうことが私の今後の課題なのかなと思えてきました。
気付いてしまえば、「そんな当たり前のこと」と一蹴できそうな事実ですが・・・それに気づけないから病んでいくわけで。
だからこそ、自分を立て直すために やっぱりこうしてブログを書くわけです。
こうやって書き込んでいるうちに整理されて落ち着いてきます。
落ち着いてくれば、光(道)が残されていることに気付けるし
まだ希望はあると 自分を信じる糧にもなります。
だから、もう少し 未来を頑張るのではなく、今この現在を頑張ってみようと思います。
受験は私の受験ではなく、息子の受験であり その諸々に関して失敗があったとしても
その失敗の結果を請け負うのも息子であり
自分の言動の責任を自分で取るという、元夫に全く欠けていたものを
息子は持ち合わせていると信じること。
諸々に関する失敗を心配する私を思いやれない息子を責めないこと。
だって私の心配は私のエゴなのだし。
「思いやり」それこそが、息子が障害のために得ることのできないものだと理解しているのだから。(そのために、どうしようもなくやるせなく・・・寂しさと悲しさを抱えることがあるのも事実だけれど、それこそ仕方がないことなのだと思うしかないのでしょう)
「思いやること」が出来なくても 状況を観察して分析して 他人に優しくすることのできる人間に育ったことを知っているけれど。
受験という環境下でその余裕がないのだろうことも理解しているのだから
息子にとっての自分の存在価値がどういったものなのか?は、やっぱり解らないけれど
夫婦と違い親子だからなのか?母親だから母性だからなのか?
「息子から人間扱いされていない」と絶望することは今のところはないけれど
(寂しさと悲しさはあるけれど、それは長女からも多少は受けるものなので絶望まではしないです)
それでも 息子とのやり取りで 自分が砕けてしまいそうになるメンタルの弱さは問題で
私にはまだ 結婚生活を終わらせてもなお
未だに残された課題があるのだということを自覚したうえで
ちゃんと自分と向き合っていかないとなぁと
そう思えたことが 今日ブログを書いた実りです。
うん!ちゃんと自分から逃げずに頑張ろう!
光が小さくても遠くても、光が見えないよりずっとましな現実に今は要るのだから、悲観することない!
がんばれ!わたし!