皆さま、こんばんは。
よっしー@北海道でございますm(_ _)m
いよいよ、明日で2015年も終わりです。
師走で大忙しかと存じますが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、今回は、今年をようやっと振り返る気分になったので、少しお話しさせていただきたく存じますが、よろしくお願いいたしますm(_ _)m








写真は、さっき買った白フクロウの置物と、心理セラピストの松本さんからいただいたピンク色フクロウのバッグですヾ(´▽`)ノ

フクロウは、私のトーテム(守護精霊)なんですよ(≧▽≦)

※トーテムの話、後編で関わってきますので、頭の片隅に置いといてくれたらと思います。



毎年振り返るたび、よくもまあなんとか乗り越えた( ・_・;)
と、思います。

いっつも、なにかしらの課題に挑戦している……


まず、今年の1月に、ヨギ式チャネリングの先生から、めでたく卒業認定をいただきました。

ヨギ式チャネリングについてはこちら↓
ヨギ式チャネリングについてφ(..)メモメモ

一年弱、ヨギ式チャネリングを修行し続け、結果がちゃんと出せよかったのですが……



その翌月、2月末に、急遽父が他界いたしました。
肺炎をこじらせ、急に吐血。
ICUの医療スタッフ様の尽力を得、私も直傳靈氣(ジキデンレイキ)や、ヨギ式チャネリングで遠隔ヒーリングを行い、マザーアースに父の救済祈願をしました。
友人知人の方にも遠隔ヒーリングのご助力をいただくも、生還出来ませんでした。

ただ、1日保たないといわれた父の命が、3日とはいえ延命出来ました。
おかげで、父は最後に一部ですが親族と対面することが出来、私も父が死亡したときに備え、家族に必要な準備をするよう指示を出すことが出来ました。

あのときご助力いただいた皆さま、啓発した霊的マスター達、本当にありがとうございますm(_ _)m

ただ、一つ後悔したのが、父が死んだとき、素直に泣かなかったこと。
当時、3月に大切な仕事を引き受けていたため、また、今ここで泣き崩れたら、先に待ち受ける諸々のことを乗り越えられないと思い込んでしまい、結局、私が泣いたのは、病院と葬儀場それぞれで、父の遺体と2人だけになったときだけです。

病院にいたとき、もっと長く父の遺体と一緒にいることが出来たのに、どうしても父の遺体を安置している部屋に足が向かず、遺体引取の一時間前、ようやく覚悟を決めて、父の遺体と2人になったのです。

泣いても泣いてもきりがなく、やっと落ちついたところで、父のためにヨギ式チャネリングを行いました。
父が、迷わず成仏するため。

ただ、なぜか、ヨギ式チャネリングでやってきたマスター達が、私が今までなにをやり続けていたかを話すんです。
まさか、父が私の先行きを不安に思っているのを、安心させるためだったのか……


とりあえず、このへんで後篇に引き継ぎますが、自分の感情を下手に押し込めると、それを解放させるのに倍以上の氣力体力その他が必要になります。

これを読んでくださった皆さまは、自分の悲しみやつらさを、どうか押し込めすぎないよう……


続きます。