震災の避難から1ヶ月後に
亡くなった長男。

3月11日がやってくると
そこからカウントダウン
するように命日までの
日々を過ごします。

今日は朝から何度か涙と
ともにこころの声を感じて
いました。

出て来る言葉は
「ありがとう」でした。

あの時の空に帰っていった
たくさんの人々が、
優しい光となって
この日本や、地球のことを
見守って愛の光をおくって
くれている。

そんな風に感じました。


別れは辛いです。

何も聴こえない灰色の
世界に住んでいるように
苦しくて寂しくて。。
大声で叫びだしそうに
やるせなくて。。
自分もいなくなって
しまいたい。。

そんな風に感じた日々が
ありました。

それでも息子が「生きたこと」
は残りました。

その奇跡の日々は私の中に
たしかにあります。

月日とともに、もはや一体
となって歩んでいます。


天に帰った人たちと
話せるとしたら
何と言うだろうか?

自らの命を通してなにを
残したかっただろうか?

それはきっと
悔しさでも無念さでもない。

生きたことをわかち合って
くれた人への感謝と
何よりもエールに違いない。


悲しさを抱えていても、
幸せに生きることはできます。

失くした寂しさとともに、
感謝を抱くことができます。

遺された自分が
幸せに生きることを
自分が許しさえすれば。。。



しなければいけないこと
なんて何もない。

わたしたちには
いまできることがる。

悲しみも苦しみも
わたしのこころで感じる。

喜びも希望も
わたしのこころで感じる。

わたしがわたしを生きること。

そこにはすべてがあります。


「生きて!」

わたしのこころにはいつも
その言葉がこだましています。




優大とわたしたちの10年間の物語