私たちは一つ。

そんな言葉が何ども浮かびます。

先ほどメルマガを書いている時にも
やはりそのメッセージが降りて
きました。


カタチあるものは必ず変化し続け
いずれはカタチ自体も消えます。

生まれれば必ず死に向かって
命は歩みを進めます。

カタチという意味での命は
そうやって必ず尽きる有限な
ものです。

だからこそ命は輝くし
私たちは生きるのだと思う。

そして同時に
カタチが尽きた時にも
命の本質は消えるはずもなく
大きな一つの見えない命と
してあり続けています。

見送った人の命が光になり
風になり花になり
新しい命になり
宇宙の粒子になり

心に宿り、身体に宿り、

私たちはいつでも一つ。

だから、この私というカタチ
に命が注がれている間
私は私を生きる。

全ての命と一緒に生きる。



日付が変わって
明日、19日は優大の命日。

5回目のその日を迎えるとき

流れる涙もこぼれる笑顔も

生きていることが
愛おしいのは、

あなたがいてくれたから。

ありがとうの日が今年もまた
やってきます。