煙草辞めてからまだ9年しか経ってないんだ。
と、びっくり。
もっとなるのかと思った。
そして、予言通り?80kgを超えました。
でも煙草はもう吸いません。

今までほとんどアクセス数がゼロだったのに、先週辺りからアクセス数が増えているのは何故なんでしょうか?
投稿もほぼしていないのに不思議なというかありがたいというか、訳の分からない現象です。
理由お解りの方お教え願えればと存じます。

僕はそんなに歩くスピードが遅いとは思っていないし、ノロノロ歩いているわけでもない。
しかし朝出勤の時に表参道の駅で降りて国道246号線の歩道を歩くわけですが、ほぼほとんどの人に追い越される。
追いついていこうとするとかなりの速歩になる。
ところが、同じスピードで歩いているつもりなのだけど、帰りに会社から表参道に歩くときには僕が追い越すことのほうが多い。
面白いものですね。

大阪桐蔭に勝った下関国際の2番手で投げた選手を見ていて亡き友人を思い出した。
 ショートを守っていてリリーフで出てくるとピシャリと抑える背番号6。
 名前は「慎」だった。
これも同じだ。
生まれ変わりじゃないだろうか。
 

2年の秋に初めて彼が先発した海星戦は僕の2塁打と次打者のタイムリーヒットで5回まで1-0で勝っていた。 その後逆転されて負けるんだけど、あの頃が僕の時代で一番強かったな。 その海星のチームは次の夏甲子園に行ったんだからね。
 

僕はこの2年の秋3年生が引退した後キャプテンになった。 いい選手が揃っていて楽しみなチームだった。
 しかし、その冬キャプテンである僕の不甲斐なさからチームがだらけ、甲子園優勝時の元部長の激しい怒りをかい期待されていたいい選手たちがチームを去った。 結局残った3年生は二人だけだった。

秋にいい試合をした海星ともたくさんの選手が抜けた春にはとんでもない酷い試合をして負けた。
 それ以来僕は上に立つのは向いてないと思った。
ただどうしても仕方なく引き受けたこともあるけど、すべて失敗している。
何かと祭り上げられたりすることはあるのですが、僕はそういう器ではないのです。
 

高校卒業以来野球を部活動として真剣にやることはなかった。
仕事が忙しくなり充実してきた最中、奴が38歳というとんでもない若さで亡くなってしまう。
見送って座間に帰ってきたその夜奴が夢枕に立った。

「バリ!野球しよに!」
それをきっかけに地元のチームに入れてもらって野球を再開した。
またいつか奴と野球をする時に恥ずかしいプレーをしないようにね。
 幸いにもと言うのか、まだ奴と野球をするチャンスはないけど、もうちょっと待っていてもらおうかな。