セルトラリンを減少して、7週間と3日がたった

 

・仕事は、夫の仕事の手伝いという枠に留まり、他に挑戦することが出来なかった

しかし、その仕事量は確実に増えた

 

・家事は、茶わん洗いも洗濯も、全くせず、山のようにしている

 掃除も片付けも、全くしていない

 子どものお便りに、目を通さないことも、最近はよくある

 

 

子どもに対する、私の感情の起伏が、また大きくなった

↑これが一番大きな、良くない状態

 

子どものありのままを私が受け入れず、子どもの考え方・発言の内容を変えるように求める・・・

とてもきつい言い方になっている

 

 

でも、よい感覚も残っている

 

身内に対してではないが、自分が悪かった時、素直に認めることが出来た

 

相手の伝え方に負の感情を抱かずに、相手のバックグラウンドに思いを寄せることができた

 

その後、そちら側と良好な人間関係を築くための、些細だが、努力することができている

 

また、家族に対しても伝えることが出来た、他者に対して負の見方をしたときに。

 

子どもが、他の子どものことを、否定的に解釈してしまったことがあった

 

そのとき、もししたら、思っていることの反対かもしれない・・・と

____________________________________

 

人は、育つ過程で、認識が歪んでしまうことが、誰にも起こっている、と私は考えます

 

そう、すべての人に。

 

そして、その歪みを、けげんそうに見たり、改めるように言うと、

 

それは相手のコンプレックスかもしれない。逆に、

 

相手が大事に大切にしている、相手が守っている認識であり、

 

どちらかというと、大事に大切にしてるという後者のほうが当てはまると思います

 

そして、それは無意識にある。

 

みな、歪みがあると前提すると、それをけげんそうに見ることも、

 

改めるようにいうことも、正しくないことになります

 

公序良俗に反すること、犯罪の類は、それには当てはまらないですね

 

(前のブログ、アガサクリスティーについて書いた中で、そういった欲望を表現する場所は、文学や芸術などの創作領域じゃないかと、私は書きました)

 

公序良俗に反することのボーダーラインにかからないような、

 

歪んだ(無意識にある)認識が、対人関係上で、相手を苦しめ、傷つけていると、考えらます

 

ここから先の思考は、また今度深めたいと思います