セルトラリンを減少して、7週間と3日がたった
・仕事は、夫の仕事の手伝いという枠に留まり、他に挑戦することが出来なかった
しかし、その仕事量は確実に増えた
・家事は、茶わん洗いも洗濯も、全くせず、山のようにしている
掃除も片付けも、全くしていない
子どものお便りに、目を通さないことも、最近はよくある
子どもに対する、私の感情の起伏が、また大きくなった
↑これが一番大きな、良くない状態
子どものありのままを私が受け入れず、子どもの考え方・発言の内容を変えるように求める・・・
とてもきつい言い方になっている
でも、よい感覚も残っている
身内に対してではないが、自分が悪かった時、素直に認めることが出来た
相手の伝え方に負の感情を抱かずに、相手のバックグラウンドに思いを寄せることができた
その後、そちら側と良好な人間関係を築くための、些細だが、努力することができている
また、家族に対しても伝えることが出来た、他者に対して負の見方をしたときに。
子どもが、他の子どものことを、否定的に解釈してしまったことがあった
そのとき、もししたら、思っていることの反対かもしれない・・・と
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人は、育つ過程で、認識が歪んでしまうことが、誰にも起こっている、と私は考えます
そう、すべての人に。
そして、その歪みを、けげんそうに見たり、改めるように言うと、
それは相手のコンプレックスかもしれない。逆に、
相手が大事に大切にしている、相手が守っている認識であり、
どちらかというと、大事に大切にしてるという後者のほうが当てはまると思います
そして、それは無意識にある。
みな、歪みがあると前提すると、それをけげんそうに見ることも、
改めるようにいうことも、正しくないことになります
公序良俗に反すること、犯罪の類は、それには当てはまらないですね
(前のブログ、アガサクリスティーについて書いた中で、そういった欲望を表現する場所は、文学や芸術などの創作領域じゃないかと、私は書きました)
公序良俗に反することのボーダーラインにかからないような、
歪んだ(無意識にある)認識が、対人関係上で、相手を苦しめ、傷つけていると、考えらます
ここから先の思考は、また今度深めたいと思います