介護士6年目
まだまだひよっこながら頑張って、特養で介護してます。
介護をしたキッカケは、老人が好きだから。
そのさらにキッカケは、自分がちっちゃいときに、一緒に住んでいたおばあちゃんが大好きだったから。なんてゆう、有りきたりな理由(笑)
ってゆう理由すら介護を始めるころに後付けでつけただけにすぎない理由で、ほんとのところは、なんとなくやってみたかったから。
それがけっこうはまってしまって、飽き性な自分も意外と続いてるの。
まー、一度は少し病んでしまって離れてみたんだけどね、けどやっぱりやりたくなって戻って来てしまったってゆうね。
そこで思ったの、あたしはやっぱり介護が好きなんだなーって。
幼稚園のころはいつも朝におばあちゃんに髪の毛を結ってもらってたの。
学校行く時はいつもおばあちゃんのお部屋に行って「いってきまーす」って言いながら握手をしてからお家を出るのが日課だった。
そんなおばあちゃんが弱って、入退院を繰り返すようになったの。
よくお見舞いに行った。そこでいつも「好きなジュース買ってきな」ってお金くれて、好きなものを買いに行けるのがとても楽しかった♪
おばあちゃんはそこの病院に通院も良くしてたからのスタッフとも顔なじみで、とても、かわいがられる部類のおばあちゃんだった。
いつも「~さん、~さん」て呼ばれてた気がする✩
そんなおばあちゃんがついに歩けなくなって寝たきりに。母親がつきっきりで介護してた。あたしも食事を食べさせてあげたりして手伝ってたの。
ヨーグルトをあげると、美味しいって言って笑いながら食べてくれるの。
あたしは隣の部屋でいつも寝てたんだけど、夜中になると「ゆかちゃんー、ゆかちゃんー」ってあたしを呼ぶ声が聞こえてきたりして。
やっぱり当時は大好きなおばあちゃんだけど、それでもうるさいなって多少なり思ってた。今思うと、寂しかったのかなーとか、少しぼけてたのかなーとか、思ったりする。
最後の日、今でも忘れない。
高校生の時、学校行く前にいつもと同じでいってきまーすって握手をしてから行った。そして帰ってきて玄関を開けたら、2階からお医者さんがおりてきた。その後に、お母さんが、「頼みたいことがあるんだけど、、、」と言ってきた。
少し反抗期ぎみだったあたしは「何?自分でやればいいのにー」って言いながら2階に行ったんだけど、おばあちゃんを見て納得。
もう息をしてなかった。
役所に行ってね、忘れちゃったけどなんかをしてきて欲しいって言われたの。
泣きながら取り入った。
そこから先はあまり覚えてない。
たぶん忙しくて覚えてないのかな。
とりあえず泣きまくったのは覚えてる。
息をしなくなったおばあちゃんを見て、死体としてでなく、おばあちゃんとして見てた。
そんなおばあちゃんの死を体験した高校時代。
今仕事で介護をしててほんとに思う。
母は大変だったと思う。
姑を最後まで看てあげたんだもん。
自分は他人の面倒を仕事として看てるけど、母はおばあちゃんの面倒を自分の生活を犠牲にしてみていたから。だれかがお給料をくれるわけではないし、介護保険がまだなかった当時、助けをそんなにもとめられたわけではないと思う。
報われない中で、母はどんな思いでおばあちゃんと関わっていたのかな。
そんなこと、介護に関わる自分の思いを、自分の心に向き合いながら、少しづつ整理していけたら良いなと思って始めてみました。
重いなーって思った方は、無理して読まなくて結構です。あくまで自己満足なので。。
でも、少しでも興味を持ってくれたなら、一緒に介護について話せたら楽しいなと思います。(*^^*)
さて、いつまで続くかわからないけどもーー(笑)
介護ブログのはじまりはじまりー♪