東日本大震災から運行されているホテル観洋の「語り部バス」


南三陸をバスで回り、
あの日何があったのか
生死を分けた決断とは
そして被災地は今どうなっているのか
震災を経験したホテルの従業員が
自身の実感も踏まえながら語ります。

2017年からホテル観洋に泊まるたびに
必ず参加している「語り部バス」
道が増えていたり、今まで見えていた景色が
盛り土で見えなくなったりと毎回変化を感じます。
それだけ、復興は現在進行形ということ。
震災から8年以上が経っても、
この地に住んでいた人々が戻ってくるためには
まだまだ足りていないことが多いのです。


放送で住民に津波からの避難を呼びかけ続けた防災対策庁舎。
盛り土に囲まれ、今は近づくことはできません。
献花台は仮のものが少し離れた場所に配置されています。
8年以上経っても、仮です。
たくさんの花が供えられていました。



大きな道に囲まれ、全貌が道からは見えなくなった
高野会館。地震直後に建物内にいたお客様を従業員が
「生きたかったらここに残れ!」と必死に引き留め、
屋上に避難したことで327人の命が救われた建物です。

写真の左奥に見えるのがホテル観洋。
高野会館はホテル観洋所有の建物。
地震・津波への意識が日頃から高かったため、
建設当初から様々な対策がなされていたそうです。
高野会館内に人々を引き留めた従業員の方々は
お客様を守れる耐震性があるとの自負もあったのですね。

ホテル観洋の津波被害は2階まで。
お客様の出入りが多いフロントは5階にあり、
震災直後から大勢の被災者を受け入れたといいます。
強固な岩盤の上に建っているので
地震の揺れによる建物の損傷はなく、
食器も一切割れなかったそう。すごい!

被災したからこそわかる備えの大切さ。
次の災害に少しでも備えて欲しい。
実感のこもったメッセージは重みが違います。