パスタ程美味しく、手軽で、しかも太りやすい食事って他にあるのだろうか。
ハイカーボなパスタに濃厚なソース、しかもイタリアンだとパンが付いてくる事も多い。
パンにソースをつけて食べるとまた美味しかったりするので、麻里子は極力パンに手をつけない様にする。野放図に食べたいものだけ食べていると、あっという間に太ってしまう体質なので日頃から人の何倍も気を付けないといけない。ただし、今日の様な日は特別だ。普段我慢している分遠慮なく食べたいものを食べる。
「これ、ホント美味しいねー!」
美紀が感嘆の声をあげた。パスタを3種類頼んでシェアした中の、魚介のトマトクリームスパゲティー二だ。本当に美味しそうにパスタを食べながら、ニコニコと周りにも取り分けたりしている。
なんて素直でいい子なんだろう、と麻里子は再び美紀を見つめた。
美紀は、肌の色が抜けるように白い。髪も綺麗で、顔立ちは女優の小雪を彷彿とさせるミステリアスな女優顔だ。そう、美人なのだ。なのに、自分に自信がないと手に取るように分かる態度を崩さない。会話の受け答えにもそれが顕著に表れていた。
その手の女を麻里子は沢山知っている。自信がないだけで、顔の造作や体型に全く問題がないのに、「美人風」に振舞わないだけで、世の中が「あぁ、この人は美人枠ではない」と無意識にその人をジャッジするのだ。
ファッションセンスも顔立ちも問題ない。無いのは自信だけだ・・・美紀という女は、婚活市場からあっという間にいなくなりそうな女性ナンバーワンだと麻里子は確信している。
髪は、少しゆるく巻いて、女性らしいシルエットのシルク生地のワンピースを着てみたらどうだろう・・・
耳元も小ぶりのピアスではなく、揺れるタイプのものにして、ネイルは上品な淡い色でラウンドシェイプにする。ゴールドの華奢なネックレスを付けてもらって、巻いた髪はハーフアップにしてもいいかもしれない。そして、無理に喋らなくてもいいから、とにかく男性の前でにっこりと笑顔で笑うようにして、それから丁寧にゆっくりと相槌を打ったり丁寧な本音を今日みたいに伝えればいい。
そうそう、足元はストッキングで、パンプス。小ぶりのハンドバッグに手元にはやはり華奢なチェーンタイプのアクセサリー・・・
いつのまにか麻里子は目の前の女から、全く別のイメージの女を作り出していた。
安藤美紀の夜は長い。
仕事が終わるのは、夜23:00を過ぎるのが普通だ。飲み会や合コンに行きたくでも駆けつけてすぐに終電の時間になってしまう。短い時間で実のある会話をしたりお目当ての男性が誰かを確かめたりすることも出来ないし、そんな事をしている暇があったら、家に直帰してコンビニで好きな食べ物とお菓子、キャラメルラテのような甘い飲み物を買って、誰に気兼ねすることもなくすっぴんに部屋着でくつろぎたい。そのほうが仕事の疲れが取れる。
お供はフランス映画があれば最高だ。現代アートにも興味があるから、海外の画集やインテリア雑誌を眺めるのも癒しのひとときになる。
そして、そうしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。結局読み出したエッセイなどを持ったまま、いつの間にか眠りに堕ち、余裕のない朝を迎える日々を繰り返していた。
自分の顔は、悪くないとは思う。ただ、自分が働いている職種が音楽業界と特殊なため、世の中には「職業にできるレベルで可愛い女」と「それ以外の女」の2種類でしか括ったことがなく、裏方の自分はもちろん「それ以外の女」として働き収入を得ているという感覚があった。
だから、「それ以外の女」として振舞うことを、誰からともなく求められている気がして、自分を着飾ったり「キレイな女達」の着ているものに手を出したことは無かった。何か、自分とは何となく違う様な気がしていたのだ。いわゆる「モテ服」を着て「モテヘア」をして、意味ありげに男性に向かって微笑むことなんて、自分はしてはいけないと思っていた。そう、「キャラじゃない」。
でもそれは何だか、間違いだったかもしれないと美紀は最近思うようになった。
先週の週末、ランチで出会った女達に思いもかけない事を口々に言われてからである。
「美紀ちゃんって肌が綺麗!」
「髪もつやつやだね~」
「ちょっと小雪にも似てない?女優っぽいよ~」
屈託なくそんな言葉を繰り出す女達に、美紀は最初本当に言葉が出なかった。そういうセリフは、芸能人や、生まれつき可愛いアイドルみたいな子にしか向けちゃいけないんじゃ・・・私なんかに言うセリフじゃないよ・・・本気でそう思った。
でもそれは違う、とその中の一人、アリサが力説してくれた。
「美紀ちゃん、結局"モテ"や"可愛い"なんてのは全て演出なの。皆、モテる女を演じてるだけなんだよ。天性の小悪魔なんていない。小悪魔になりたくて本読んだりして小悪魔風のテクを身につけてるの。ヘアメイクやモテ服研究したりして、可愛い女になってるんだよ。みんな死ぬほど努力してるんだよ」
「いい女」を体現したようなアリサにそう言われて、美紀はハッと気がついた。
モテる女、キレイな女達は、努力しているんだ・・・
黒坂実里も、岡田麻美も、子持ちの田上麻里子でさえ外見を身奇麗にする為に努力をしているという。
モテOL代表の様な実里は、合コンでどうやって男の人を褒めるか、リアクションをするか、どんな服を着ていくかや、合コンや飲み会に向けての気合の入れ方まで教えてくれた。何でも、気合の入った飲み会の前はネイルや美容院の予約を入れ、その日に向けてテンションを上げていくのだという。
麻美はスタイル抜群の美女だから、生まれつきその様な体型かと思いきや、必ず時間を見つけてジムに通ったり、どんなに疲れていてもストレッチを欠かさないという。好きなスタイルの服装もTPOをわきまえるようになり、最近飲み会やデートでは男ウケを意識しているそうだ。
麻里子も、自分の顔にコンプレックスがあるそうで、メイクでどうやってそれをカバーするかを丁寧に教えてくれた。今の時代、ツケまやアイメイクテクを駆使して、目は2倍の大きさに出来るし、どんな顔にもなれるという。黒目を大きく見せるカラコンの事も聞いた。わざとらしくない涙袋のつくり方も教えてもらい、そもそもそれって何だかわからなかったけど、要は目をうるうる見せるテクニックだという。
しかし、どうやって男の人から誘われるたらいいのかがそもそも全く分からない、と美紀がこぼすと、
「そんなの簡単よ」
とアリサが微笑んで秘密のテクニックを一から披露してくれた。これには他の女達も大盛り上りで、実里などは「絶対次の飲み会でそれ使うー!!」と叫んでいた程だ。
笑いが止まらなかったし、とにかく楽しかった。
何より、久しぶりに「仲間」が出来たような気がする。
その日は銀座でワンピースを買って、少し新鮮な気分で帰宅したのだった。
事の展開の速さに一番驚いているのは、誰よりも美紀自身かもしれない。
明日は、なんとデートなのだ。12:00、表参道ヒルズで待ち合わせ。何年振りだろうか。この汗は、暑さのせいだけではないはずだ。
あれからLINE上で女達とやり取りを続け、LINE婚活女子会と名付けたそのグループのスレッドは一日に何回も更新されている。美紀が着ていく服や初デートへの心構えに至るまで事細かにアドバイスしてくれていた。
ワンピースを買いに行った次の日、皆のアドバイスに従い美紀は合コンサイトや婚活サイトにいくつか登録をし、友人の飲み会の誘いにも積極的に参加た。金曜日は仕事を早めに切り上げ何かしら異性との出会いに時間を割くように心がけると決めたからだ。
そのほかの平日は自宅で婚活サイトをチェックし、休日は合コンや美容院、メイクの研究などに費やした。
今まで画集や本に割いていたお金を美容に回してみたら、意外とこれが面白く、どんどんはまっていく自分に美紀自身本当にビックリしている。
何より、ふんわりと巻かれた自分の髪をゆるく巻いた後まとめてアップにし、シフォン素材のベージュピンクブラウスに、タイトなベージュのスカートを履いてミュールで街を歩いてみた時のあのなんとも言えない気分、
会社のみんなの反応、
そんなものに、美紀はハマってしまっているのかもしれない。
職場では気恥ずかしいから「コスプレです!婚活してるんで!」とキャラは変えていないが、
飲み会では皆の助言通り下手に喋らずおっとりと、笑顔で相手の話にリアクションを懸命に取る事だけに集中していたら、3回目の飲み会で、連絡先を教えて欲しいという男が2人も現れたのだ。
慣れないことに戸惑って挙動不審になりそうな自分をなんとか必死に抑え、連絡先を交換した。
そして、より積極的な方の男性と食事に行くところまでこぎつけて、今、美紀は一人鏡の前で自分の姿をじっと見つめている。
あれから、一ヶ月しか経っていない。
やっぱり奇跡が自分に起こっているのかな・・・と美紀は思いながら、
夏らしくさわやかなネイビーの、でもシルエットはふんわりとしていてとびきり可愛らしいワンピースを着た。
売り尽くしSALE品にしては掘り出し物だと思う。
髪を巻いた後ポニーテールにしバナナクリップで留める。後頭部をふんわりと持ち上げ、揺れるロングピアスを付ける。先端に小ぶりのパールがついているエレガントなデザインのものだ。2000円しないで手に入れた。
つけまつげをして、チークはごくごく控えめに、リップも色味は抑えながらグロスで艶を出す。
白いカーディガンを肩からかけ、バックストラップ付きのポインテッドトウパンプスをつっかける。この7cmヒールも、大分履き慣れてきている。ブランドものではないがデート仕様のフェミニンなバッグも買った。ここに早く妊婦さんマークのキーホルダーをつけたい…そんな事まで妄想してしまう。
「いってきますヽ(;▽;)ノ」
とLINEで発信すると、すぐに既読4、と表示され、女たちから口々にアドバイスが発信される。
「昨日写メってくれたコーデならばっちり!頑張って!」と麻美。
「初回のデートでキスまでならいいんじゃない?女咲かしちゃってね♡」とアリサも続き、
「表参道いいな~熱中症気をつけてね!!」と麻里子が体調を気遣ってくれ、
「とにかくリアクションとっとけば間違いないから!ファイト!!」と最後に実里が閉める。
冷房を切ったばかりの1Rのドアを開けると途端に真夏の日差しと生暖かい風が飛び込んできた。
鍵を閉める時に自分の手に施された上品なネイルを確認すると、美紀は日差しに向かって手をかざし、
そのまま気の済むまで自分の手を眺めながら、「いい女の音」を鳴らして歩いて行ったのだった。