久々コラムは2009年公開の映画、『プレシャス』の感想と紐付けて書いていこうかなと思います。





先進国で毎日豊かに幸せに暮らしていたら、脳みそが溶けて小さな事で不満を抱いたり人を妬んだり落ち込んだりしがち。


少なくとも、モモスムの周りではそんなような悩みをチラホラ聞きます。そんなの悩みじゃないじゃない、っていうような悩み。ホントにみんなってば、贅沢なんだから・・・笑


自分がどれくらい幸せかを、みんなどれくらい気がついてるんだろう?


この映画は、16歳のハーレム育ちの少女「プレシャス」の悲惨すぎる家庭環境と人生を描き、映画賞各賞を総なめにした名作中の名作です。


時代背景は1987年。ほのぼの新米ママが見たら3日間は悪夢にうなされちゃうかもしれないけど、今後格差がひどくなっていく日本や、「世界の貧困の歴史を知る」事に少しでも興味があるなら、見てみてもいいかな、なんていう理由でオススメです。


※以下ネタバレです ホントに結構キツイお話なので、見たくない人は読まないでね。




プレシャス、16歳。体重は130キロ。フライドチキンを万引きしたりも。


プレシャスはまず、16歳なのに妊娠中です。しかも、2人目。そして子供は2人とも父親からの性的虐待によって出来た子供で、そのお父さんはどっかに蒸発し、お母さんはそんな状態のプレシャスを罵倒し精神的にひどい虐待を日常的に行っています。実の娘に対する性的虐待も無視してきました。


もう、最初の数分のこのシーンを見ただけで、みんながブログにも良く書く、母親としてダメだなぁ、自己中だよなぁ、怒りすぎちゃったよなぁ、みたいな悩みなんてどうでもいいよ・・・大丈夫だよ・・・っていう気持ちになります。


だって、みんな子供をちゃんと愛してるじゃん。新米だから試行錯誤して悩んでるだけじゃん。そんなママたちの育児に正解不正解なんてないよ、世間の批評なんてホント無視していいよ。自分が子供を愛しているっていう感覚さえ掴めていれば大丈夫だよ、って言ってあげたくなる。


下を見て安心しろって言ってるわけじゃないんです・・・。


ただ、モモスム含め最近のママ達ってみんな、余りにも周りからいい母親に見られたいって、完璧な母親になりたいって思い過ぎなんじゃないのかなって思う。じゃあ「いい母親」「完璧な母親」ってなんなの、って話になる。


で、それっていうのは自分の母親か(その反面教師か)、ドラマや映画に出てきたような母親役のイメージか、育児書に書かれていた通りの母親か、まぁいろいろあると思うんですけど、それらが組み合わさった割とボヤッとした明確な定義のない存在が、イコール「いい母親」なのかなぁと思うんですよね。


「いつも優しい」「怒らない」とか定義は出来ても、そんなのフツーの人間じゃないじゃん。本当の意味でいつも怒らない人なんて、尼さんかシスターくらいだよ。でも、フツーの人間が沢山母親になるんだから、その方がマジョリティなんだから、子供を愛しながら試行錯誤して成長していけばいい、って思うんです。自分も実際そうだし・・・。


本作の母親だって、かなり辛い立場だったんです。学もなく、DVを受け続け辛かったと思う。そして家の中で孤立し、学校に行っている娘に「偉くなったと勘違いするな」と暴言を吐き、延々とテレビを見続ける貧困層の典型の様な毎日を送っている。虐待は正当化できないけど、彼女の置かれている状況も酷すぎる。


貧困が、差別が何を生むか。被害者は常に弱者、力のない子供や女性です。アメリカっていう国には、リアルゴシップガール達の裏に、こういう人達もいるっていう事をまざまざと思い知らされます。(2013年、アメリカの格差社会は過去最大に


この映画の時代設定は1980年代だから教育環繞は改善しているはずだし、今はネットもあるし、TEDや無料オンライン講座などで勉強したい意欲があればきっといくらでも学べるけど、学ぶ意欲さえも出てこない極限の精神状態、家庭環境で過ごしている子供たちは、どうするんだろう。


プレシャスは2人目妊娠(この単語が前後のセンテンスでこんなに辛い響きを持つ事になるなんて初めて知るよ)を機に、代替えスクールに通う事になるのですが、そこで良識ある教師と出会い、アルファベットを1から学び、人生が確実に良い方向に変わっていきます。




ホントに救世主。世の中がこういう人ばっかりになればいいのに。


「教育が何故大事なのか」


その本当の意味が分かったような気がするシーンが連続して続きます。家庭内で交わされるのは暴言や罵倒だけ。そんな子供が初めて自分の意志で勉強し「言葉」を得た時に、徐々に自分の置かれている立場に気がついた時に、自分の足で人生を切り開こうと成長するまでになる。


先日TBSの報道特集 で見て涙した国際養子縁組のエピソード、モモスム自身がシアトルに住んでいたときに出会ったアジア人の養子を積極的に受け入れる白人家庭の人々と、本作のこのシーンは、


社会人として、社会として愛情を持って子供達に接してあげれば、別に血が繋がっていなくても人間を1人成長させたり救うことが出来る、と教えてくれた様な気がしました。


ソーシャルワーカー役のマライアがすっぴんで出ていたり、レニークラヴィッツが出ていたりと脇役も豪華なのも見所かも。




マライア?


「ママ、なんで勉強しなくちゃいけないの?」


近い将来娘にそう言われたら、「自分自身で人生と可能性を切り開いていくためだよ」、と教えてあげたいと思いました。