林真理子先生のこちらの作品を読み終わりました。
日本の伝統文化に生きた父を、娘の口から語る文体で書かれているからか、また日本舞踊に関しての描写も多いことから自分の人生と少し被る部分が多くあり、
夜中に眠れず読み始めて1時間ほどで読んでしまいました。
以下、あらすじです。
戦後、着物黄金時代の京都で天才帯屋として名を馳せた松谷鏡水。
父の死後、七十四歳になった娘は初めて、あまりにも偉大な存在だった父について語る。
娘の語りから浮かび上がってくる、一族の濃厚な歴史。
父の死後、七十四歳になった娘は初めて、あまりにも偉大な存在だった父について語る。
娘の語りから浮かび上がってくる、一族の濃厚な歴史。
こちらの小説にもまた、多くの林真理子先生の作品と同じく実在のモデルがいらっしゃいます。
そして、私は林真理子先生の小説の中でも歴史小説や、戦前戦後すぐの時代のものが特に好きなのですが、
その理由は普段の生活ではあまり知り得ることのできない歴史や昔の人々の暮らしを、
事実のみを淡々と書き連ねる教科書や資料と違い、
生身の、血の通った人間の人生の物語というフィルターを通してリアルに感じることが出来るからです。
戦時中でも、京都大原の屋敷で、時の総理大臣東条英機の私設秘書も務めたこともある父に愛されて育った箱入り娘、この小説の主な語り部祥子は、
毎日白米を食べていたといいます。
ここ最近は漫画ばかり読んでいた私も、戦時中の愛知県の女学生の漫画を読んで戦況下がいかに苦しいかを日常のなかでぼんやり思い知っていたばかりで、
ただただ空襲を免れた地域では戦時中でも白米を常に食べている家庭もあった などと書かれているよりも
遥かに自分のなかでリアルな知識として(それが本当に本当のことかは別として)蓄積される気がします。
この小説の語り部、祥子は天才帯屋として時代と時の権力者に味方され相当の財を成した父に溺愛されて育ちます。
1度目の結婚はすぐに離婚へ、2度目の結婚も決して幸せいっぱいと言えるものでは無かったそうですが、
父親が存命のうちは実家の威光のおかげもありそれなりに幸せで華やかな人生を送っていたかのように思えます。
祥子は2度目の結婚で元阪神タイガースのスター選手の新垣(実在のモデルは土井垣武氏)と夫婦になり、38歳の時に一人娘のあおいを授かりますが、
この新垣とも色々な問題があったと描かれています。
もちろん、問題のない夫婦なんてないとは思いますが、
価値観の著しく違うもの同士が一時の気の迷い、血迷いで結婚し、
その後何十年もかけて膿を育てていくような結婚生活は、
やはりあまり幸福ではないのかもしれない…と思ったり。
そして先日お友達が、都内とは思えない和な街並みのカフェで話していた、
無条件に、何をしても親に守られ、愛され、認められてきてるじゃない?
だけど夫婦は他人だから無条件に、というわけにもいかない。
だから歩み寄ったり譲り合ったりしないといけないから、
そのあたり修行だよね
という話をしていたのを思い出しました。
特にこの祥子は
小さな頃から日本舞踊の温州会で豪華な衣装を誂えて貰ったり
水泳を習いたいと言えば庭に25mのプールを作って貰ったりと
1度目の結婚に失敗した後は当時の価値で億単位のお金を掛けて
藤間流の舞踊家としてのリサイタルを新橋演舞場で出して貰ったりと
それはそれは溺愛され大切にされ
無償の愛に包まれて育ってきています。
同じ林真理子さんの小説、花探しのバブル時代に贅沢三昧をしていた愛人とは愛情のかけられ方や安定がその比ではありません。
そんな娘が、その愛らしさや育ちの良さに惹かれた男から、一時期は思い詰めるほど求められて結婚したとはいえ
所詮他人の、自分や自分の子供も大事な男と結婚するのですから
人生に喪失感があっても仕方ありませんよね。
友人に貸している東京タラレバ娘などでは、
未婚でアラサーでこりゃまぁどうしましょうという日常がリアルに、そして面白おかしく書かれていますが
この婚活戦国時代だからこそ、
結婚というのがどういったものかとか、
それから結婚の本質というのを両目をしっかりと開けて見て、
婚活に挑むのも大切なんだなぁと、大事な娘の寝顔を眺めながら強く思ったのでありました。
夜中にママ~とよばれ、
眠気まなこにニコッと笑いかけてくれ
可愛らしい声で何か面白いことを言っていた娘を寝かしつけていると、
この大原御幸の小説に出てくる父親の無償の愛情というのが手に取るように理解・実感できます。
この子の幸せの為なら何をしても構わないと思い、
どんなことでもしてあげたいと思い、
あらゆる不幸から守ってあげたいと思ってしまいます。
そうして守って守って大切に育てた娘がやがて世間知らずとなり
婚家で上手く人生を運べなかったら嫌だから少しは色々修行が必要だなぁとか
絶対に新垣のような男の元へ嫁がせたくないとか考えたりもしました。
とにかく、この小説を読んで実感したことは、
親から子への愛情は深く、
深過ぎても嫁ぎ先で苦労してしまうかもしれないから
娘可愛さに大事に大事に育てているけれども
少しは色々なことを勉強させておいたほうがいいのかも…という感想です。
そして、作中祥子が藤間紫先生からひとこと
あなたは街のお教室のおししょうさんでもやればいいじゃない
と言われた時に、
祥子に舞踊家としてのキャリアはもう無いと言われたのと同じだ、として傷付いていた描写がありましたが、
私は逆にこんな楽しそうな暮らしはないじゃない、と思いました。
私もこの祥子のようにある程度歳をとり、1人娘が大きくなりましたら
街に小さなお教室でも開いて
お師匠さんとして子供たちを教えながら小さくおさらい会をしたりお名取さんを出したりして
そうして仲の良い女友達と好き好きな場所でお茶をしたりゴルフをしたり旅行をしたり、
娘といろんな場所にお出かけしたりする
そんな中年になりたいなぁなんて思いました。
和文化や伝統芸能などというのは、この時代、今までのやり方を変えずに放っておいたらどんどん縮小してしまうビジネスです。
それを若い、商売の才覚や美貌を持った女性達が息吹を与えてくれ活性化しているのを最近良く見聞きし、とても素晴らしく尊いことだなぁと思っています。
そして林真理子先生のように、その素晴らしさを文章でこうも魅力的に、しかも頭の悪い私でも分かるように書いてくださることで昔の優美な価値観の世界にどっぷり浸れるのもとても素敵な時間です。
私には平凡に生きるということがとてもぴったり合っているようで、
小さな頃から慣れ親しんでいる伝統芸能の世界を人様に本格的に伝えたり、流派を継承したりとかそんなことはまさか出来ませんが、
藤間紫先生がおっしゃった、街のおししょうさんというのにはなりたいわ、と思いました。