先日、久しぶりにほぼ一回り下の女の子と話す機会がありました。それも、すごい美人。

それもそのはず、彼女はモデルとして活動していて、マネージャーさんもいてランウェイやテレビなどにも出ている、本職のモデルさん。

性格も声も可愛らしく、「え~そうなんですね~♡」なんて話しかけられると、なんとはなしに自分がおじさんになった気分になってしまう。

その場に集まる前にシャンパンを飲みながら男友達相手に日本の社会について熱く語っていた私は、

自分を女子モードに合わせるのに時間がかかり、なんだか挙動不審になってしまいました。

長い間こんな風に「可愛らしく話す」ということをしていないな…と。そして、こんな風に話す友達もいない。

image

最近、ズボラで飽き性の私でも続けられる唯一の美容法である半身浴読書で、林真理子さんの文庫本を読んでいるのですが、

そこに思わずページの端を折ってしまうほどに唸る文章がありました。

ーもう一回しつこく言うけど、若い時にキレイでいるのなんてカンタンだ。若い時に幸せで充実の日々を送っている、なんていうのも当たり前の話。

むずかしいのは、若さを失った時にどういう人生をおくるかということですよね。そのためには今から、お金のことをちゃんと考えておかなきゃいけない。ー中略 お金がないトシマぐらいミジメなものはない。ホントだってば。


というもの。


私自身、31歳で既に加齢を感じてはいるものの、先人たちは皆揃ったように「加齢の恐ろしさは30代後半、いや40代からだ」と仰る。

そういえば、孫もいる年代の女性を含めた美女ばかりの会にお邪魔した時も、美容の話で持ちきりでした

が、皆さん確かに財力に恵まれている方々ばかり。恵まれている、というかご自身の努力も勿論あったと思うけれど。

また別のエッセイには、今ぐらい年をとるのがむずかしい時代はないのではないかとも書かれていました。

曰く、少し前までの女は「諦め」ということを知っていたと。「おばさん」になることが出来たと。

しかしご存知のように現代では、美魔女や美ママが世の中に溢れており、うかうか加齢もしていられない。

確か、ジェーン・スーさんも最新のエッセイで同じようなことをお書きになっていた。「(昔の人は)さっさと土俵から降りられてうらやましいなと思わなくもない」と。

私も既に、土俵を降りたりまた乗ったりと、結婚してからは目まぐるしく「外見なんて別にどうでもいいや」と「豆腐しか食べなくていいからとにかく美しくなりたい」を行ったり来たりしています。

ちなみに今日は朝っぱらから美女のたくさん集まるパーティに行くので少しは気を使い、メイクも丁寧にするつもり。

サークルレンズで黒目も囲みます。

女31歳、これから自分自身の容姿とどう付き合っていくか…

美人たちを眺めながら、また再考してみたいと思います。