この2、3年で、どんどん強くなっている感覚。

 

それは、生と、死の繰り返し。

 

日常生活のなかで

たびたび繰り返されている

肉体的な死と、精神的な死

 

 

疑似的なこれらを繰り返して、生きる歓び=エクスタシー が、ますます強くなっていく

 

 

肉体的な死は、

強烈な、時に耐え難い痛みだったり

 

精神的な死は、

とても深く傷ついたり

精神的に追い詰められたり

孤独感だったり

 

 

例えばだけど

 

耐え難い頭痛や腹痛で死にそうな思いをして、そこから復活したとき

 

誰かの(何気ない、または意図的な)言動で深く傷ついたとき

自分の言動否定して、自分の心を傷つけてしまったとき

 

それらは、

疑似的な ”死” となる

 

 

そして、

 

そこから復活したとき、

それは

 

”再生の生” となる

 

 

死と、生の、永遠の循環は、宇宙でたえず繰り返されている

 

 

宇宙の塵から星が生まれ

爆発してまた塵に返る

 

そしてまた、塵から星が生まれる

 

永遠の循環は、

宇宙の原則

 

 

地球のすべての存在もその原則の上に存在している

 

 

死は、決してネガティブなものではなく

新たな生のスタート

 

逆もしかり

 

 

そこに良し悪しはない

 

 

子供のころ、死が怖くて怖くてたまらなくて、

なぜ人は死ぬために生きなければならないのだろう

と毎日のように考えていた

 

 

大人になってから、死は生と等しいもの、と腑におちてから

恐怖から解放された虹

 

 

人間が、人間であることの意味があるとしたら、

 

 

それは、生と死の繰り返しがあるという前提の上で、

”生” を存分に享受できること

 

 

存在していること、そこに起こることを

慈しみ、愛おしく思うことが、できること

 

 

 

ちなみに子供のころ~10代、20代は、死と生の繰り返しスパンが長かったのだけれど、

この死と生の循環サイクルがどんどん早くなっているひらめき電球

 

 

今週は、久々のひどい頭痛に見舞われ、

仕事では、プレッシャーのかかる事が立て続けに起こり、

3日間位、朝の5時迄ひたすら仕事に没頭して肉体的にも精神的にもしんどかった笑い泣き

 

 

スコンとそこから抜けると、一気に視界が変わり、

歓びと愛に満ちた世界へと変わる

 

明るい陽射しと、

音の歓びと(今日は12月のコンサート以来、久しぶりにチェロを弾いたドキドキ

引き寄せの法則が働き、

心温まる出来事や、周りからの愛や、

偶然の(必然の)の出会いが、シャワーのように無限にふってくる

 

 

また、死がやって来て

生もやって来る

 

 

同じものを繰り返しているようにみえるけれど、

実は、大きな螺旋を描いていて、

どんどん、上昇していく感覚

 

 

生の歓び=エクスタシー の力の方が、

どんどん強まっていくアップ

 

 

 

疑っているときは起こらないけれど、

そういうものであると、受け入れると、

そうなっていく黄色い花

 

 

昨年10月に訪れた軽井沢にて。

写真をアップしそびれていたので載せてみたもみじ

 

自然に触れると、”生”の歓びがより強く感じられるキラキラ

 

軽井沢から山梨への道すがら。

車で通りすぎてこの景色が目に入り、思わず車をUターンさせて、戻って写真を撮った音譜

 

軽井沢移住のゆーこちゃん夫婦おうちにて黄色い花