久々に、深いところに落ちました

 

数年ぶりか、もしかすると10年ぶりくらいの、深い闇

 

 

振り返れば、1月半ばくらいから、何か調子がおかしいな・・・と思っていたのだけれど、

すぐに抜けるだろうと最初は軽く見ていた

 

 

ところが、一時あがったと思っても、

また落ちる

あがって、落ちる

落ちる

 

気づいたら、

 

 

親しい友人のグループラインが見たくなくなって遠ざかり

 

 

シャワーを浴びて清潔にしてからでないとベッドに入れない私なので

どんなに疲れていても真夜中でも、

酔っぱらっても(今はほとんどお酒飲んでないので、かつて)、寝る前にシャワー浴びていたのに、

シャワー浴びる気力がなく、床に転がって寝るという日がたびたび発生

 

 

極めつけは、

この食いしん坊の私にとって、毎日の癒し&楽しみになっている料理が、

ただ口にいれるための面倒な”作業”になっていた

 

これに気づいた時は、ショックを受けた

 

例え38度の高熱がでても、ハンバーグが食べたくなったら、フラフラしながらも作って美味しく食べるくらいに食べることが好きな私にとって、

料理が面倒な作業になり、食べることがやっつけ仕事になるということは、異常事態

(”作業”は、過食へとつながり、止められない)

 

 

すべてにおいて

気力がなくなり

自己価値崩壊

 

エネルギーが完全停滞

 

 

一瞬、ヒーリングのスキルを使えばもしかしたら抜けだせるかもしれない、と思ったけれど

そんなエネルギーすらもおきない

 

 

 

諦めて、このまま身を任せよう

 

このプロセスを見届けよう

 

 

と覚悟を決めた

 

 

どうにかすること自体も諦めて、

すべて身を委ねることにした

 

 

底なしの沼のように

どんどん、落ちていく

 

 

深い闇に光は無く

おしつぶされそうな不安と

途方もない無力感

 

全ての存在から断絶した孤独感

 

永遠に抜けることはなく、

これが自分の人生なのだ、という諦めと絶望感

 

 

もう

死ねばいい

自分への否定が止まらない

 

この闇から解放されたい

この世から去りたい

 

 

 

 

 

そして2週間くらいが経ち、

 

今朝

 

突然、完全に抜けた

(ということが分かった)

 

 

なので、忘れないうちにブログを書いておく

 

この間のプロセスでは色々なものを見て、経験し、気づきがあった

 

 

沢山あって一度に書ききれないので、少しずつ書く

 

 

昔は、

いわゆる、スピリチュアルを(勘違い系ではなく良い意味で)極めたような人たちが

癌などの病気になって亡くなったり、

はたからみて大変そうに見える出来事に見舞われたりしているのをみて、

 

スピリチュアルを学んでいる(体得しているのに)何故??

結局、学んでも自分に使えなかったら意味ないじゃん・・・

 

と思っていた

 

 

そうじゃない

 

 

魂レベルで、その”経験”をしたい、と思って、そうしている

(潜在意識だったりすることもあるけれど)

 

 

表面だけみれば、”気の毒に”とか”可哀想”と外野からは思えるようなことが、

魂レベルで本人が望んでいることだったりする

 

 

そして、この世界(宇宙)には、

”全てのもの” が存在していて、

 

そこにそれぞれの善し悪しはなく

全てのものがただ、等しく、”存在”している

 

 

 

 

子供のころ、強烈に思っていたことがある

 

たったこの1回の人生で、”すべてを経験しきれない” という焦りと絶望感

 

まだ世の中もよく知らない物心ついた頃から、何故だかその強烈な想いが私の中にあって、

その焦りにつぶされそうで苦しくてたまらなかった

 

 

その後、その願い通りに、怒涛のごとく様々な ”経験”がふりかかってきて、

20代~30代は、3,4人の人生を平行して歩んでいるような感覚だったけれど

40代半ばになってやっと少し落ち着いてきた

 

 

 

子供のころに抱えていた”すべてを経験したい” という不思議な焦りが、 

 

この世に産まれた目的だったからなのだ、

と気づいた

 

 

 

今、直面している、その”経験”は

魂レベルで望んでいること

 

 

その経験自体と

その経験によって変化する経験と

 

 

経験したくて、この世に産まれている星