タロットはなぜ当たるのか? |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

ある方からご質問をいただいたので、今日はこの命題での記事を書かせていただきます。

ただ。

タロットとか占いとか、こういった手法を真っ向から否定される方には、この命題自体がナンセンスですよね。
なので、もし不愉快に思われる方がいたら、お読みにならずスルーしてください(笑)。

というようなことを心配したくなるくらい、じつはタロットというのは怪しげな手法なのです(爆)。

自分も使っておきながら、それはないだろう! と思わないでください。
要するにこれは、常識的に考えたら、という判断ですから。

占星術の星々の動きというのは、じつはちゃんと統計学的なアプローチもできます。
こういう星の特徴の人間には、それなりの傾向があるとか。
ある星のアスペクト時に、特定の傾向の出来事が起きるとか。

過去にはそういうアプローチをした科学者もいたりしますが、学会的には認められていません。
まあ、そうですよね。
星の角度とか、そんなものが地球上の出来事に影響があるはずがないというのは、非常に強固な固定概念ですから。

でも、そこを論じることが占星術はできたりします。

しかしながら。

タロットは、論じる余地すらないのです。

テーブル上でシャッフルし、引いたカードがその人の現状や過去、あるいは未来を言い当てる。
こりゃ、オカルトか!? という感じです。

私に問いかけた人だけでなく、「なぜ当たるんだろう」と思った人は多いはずです。
私自身、タロットが占星術以上にリアルな結末を表示していると感じた経験は、数えきれないほどあります。
だから、今日の記事は当たるかどうか、ということを論じるのではなく、当たるということを前提にした記事ですからねっ(汗)。

その点はご理解ください。

もちろん、人間のすることですから、百発百中はないと思います。
何らかの理由で、うまくタロットを引けなかったケースも、中にはあるでしょう。

でも、私自身、経験的に分かっているのは、当たることのほうが圧倒的に多い(これ、自分統計ですから、あくまでも)。
頭で考えて、これはないだろう、と思うような結論でも、実際にその通りになってしまったり。
私が知るはずのない相談者の過去を、タロットが克明に表示していたり。

タロットのほうは正しくて、その解読を自分が間違っていた、ということもあります。
私も人間ですから、つい相談者への情に傾いて、好意的な解釈をしてしまっていたが、実際にはもっとクールな結論をタロットは出していた、とか。

特に最後に書いたケースなどがあることを考えると、重要なことがわかってくるのですが……。


ともあれ、タロットはなぜ当たるのか?

これには客観的な証明は不可能で、すべては私の感じるところ、こうではないか、という、目下のところの考えとしてお読みください。

タロットは基本的に、問いかけたことに対してのカードを展開させます。
「この恋はどうなりますか?」
「彼と結婚できますか?」
「どんな仕事についたらよいですか?」
「転職してよいですか?」
「不倫相手との関係をどうしたらよいですか?」
「この旅行は楽しいものになりますか?」
「この車を買ってよいですか?」
タロットは、ほとんどの問いかけに対しての答えを出してきます(不向きな問いかけもあることはありますが)。

こういった問いかけに対して、無意識に引いたカード、あるいは質問を思い浮かべながら引いたカードでもいいですが、これが意味ある配置になるのには、それを引かせる何らかの要因があると見ていいはずです。

カードを引く段階では、すべてのカードはシャッフルされ、一つにまとめられていたり、シャッフルされた状態で散らばってたりします。
このルールはカードによって異なります。
このルールも、実は一定ではないのです。

シャッフル後、カードをまとめて、上から何枚目、次は何枚目とか、そうやってカードを展開するものもありますし、私の使っているものはシャッフルしたカードから無作為に次々に選んでいきます。

でも、唯一、決まっていることがあります。
当然のことですが、どのルールでもカードは伏せられていて、絵柄は見えないということです。

傷がついて、それが何のカードであるのかわかるとか、そんな不適切な状態になっていない限り、どのカードを選択するとか、どのような順番で山にするのか、まったくわからないのです。

つまりカードを引く人間にも相談者にも、カードの解読者にも、この判断はできないのです。


この問題を考える時に、とても役立ちそうな人物がいます。

それは、ジョー・マクモニーグルという人物です。
そう、日本のTVでも「FBI超能力捜査官」というような肩書で登場し、数々の驚くべき能力を示した、あの人物です。
実際にはマクモニーグル氏は、アメリカ軍の遠隔透視開発プロジェクトでその能力を開花させた元軍人で、興味深いのは氏の透視の手法です。

マクモニーグル氏は、かならず封筒の中に、自分自身、読むこともできない質問事項を紙に書いて封入してもらい、それを開くこともせずに透視に入るのです。

たとえば、私に弟がいたとして(いませんが)、その弟が失踪しているとします。

「zephyrの弟はどこにいますか」

という封入される紙に書くとしても、マクモニーグル氏には「誰を探すのか」ということは知らされないままです。
知らされるとしても、この質問に関するターゲットの場所を探すというようなことしか伝えられません。

それなのに、マクモニーグル氏は透視能力を発揮し、ターゲットの居場所やその姿、生活などを透視することができ、実際に失踪した人物をTV番組の中で発見するということも実現しています(一応、ここではやらせではないとしておきます)。

氏の能力は、過去において人質救出作戦の成功のために役立てられているという報告もあります。

私は、このマクモニーグル氏について書かれた書物の中に、「事前に知らされる情報が、むしろ透視の邪魔になる」というようなことがあったのに注目していました。

つまり誰を探せではなく、誰かわからないけれど、ターゲットを探せ、というほうが、正しい透視ができるのです。

これはつまり、タロットに似ています。

カードの背しか見えない。
何がどうなっているかわからない。

この状態でカードを選択するという行為は、このマクモニーグル氏のやり方に、かなり近いものです。

つまり無に近いほうが、正解を出せるのです。


タロットが当たることには、現代科学では説明できない理由があるはずなのですが、少なくともそれは、たとえば守護天使がささやきかけてくるから、とか、そんな「外的」な要因が働きかけるからではないのではないか?

天使が「このカードだ」と伝えてくるのなら、人はまずその天使にアクセスしなければなりません。
しかし、そんなプロセスは必要とせず、ただ「無」でカードを引けばよい。

無になれば、天使がささやきがよく聞こえるようになって、ちゃんとしたカードが引けるのだ、といういい方もあるでしょう。

それでも間違いではないのかもしれない。


私は、人間が「無」の状況、自分個人の考えが入り込む余地がない状況さえ作り出せば、それはカードであろうとなんでもあろうといいのだと考えています。

「無」であればあるほど、ピュアな、明瞭な答えが出てくる。

カードはその状況を作り出す方便です。

要するに無の境地に達していれば、自然にマクモニーグル氏のように映像や言葉、インスピレーションが下りてくる。

この「無」の状態を、カードは強制的に作り出してくれるのだと思います。

経験上、相談者や私が、「こうなるはずだ」という思いを持っていても、カードはそれに影響されません。
その思い込みを超えて、ちゃんとした結論を出してきます。

タロット占者の中には、「あなたの思い込みがこのような結論を出した」という人もいるかもしれないのですが、私個人の考えとしてはカードが厳正な状態で、裏読みできないのであれば、ちゃんとした結論を出してくるはず。
思い込みなど関与する余地がない、はず……。

もしタロットの結論が、最終的に現実にそぐわないとしたらそれは占者がうまく「無」になれていないのかもしれません。
しかし、タロットの結論は、ある程度の長い目で見ないとわからないこともあります。
直後には「間違っていた」と思われる結論も、後になって「やっぱり!」と覆されることもあります。

タロットには個人の思惑など、入り込む余地は、まずない。
選択条件が「無」に近いほど、明瞭な結論が出る。

とすれば、自分が無になった時に、何が起きるのかということを考えるべきでしょう。


自分が無になるというのは、エゴから解放されるということです。

それはお釈迦様の悟りの境地のようなもので(まあ、そこまでいかなくても)、そこには人の集合無意識があるのではないか、というのが、私の目下のところの考えです。

自分を手放してしまったほうが、物事がうまく行くというのは、占星術をやっていても痛感することが多い。

タロットも同じです。

自分がないほうが正確な判断ができます。

集合無意識は、人の意識の集まったものですが、ここから正しい情報ソースを受け取ろうとするなら、自分がクリアであるのが一番です。

この受け取りを、集合無意識からのものとするのもよし、守護天使からのささやきだとするのもよし。
要するにそれはニュアンスの問題でしかないように思います。

同じことなのです。
守護天使を自分の最良の意識が形となったものだとすれば、それも正しいでしょう。

私は個人的には、タロットを引かせるのは集合無意識のなせる業だということにしています。
言葉の違いでしかありません。
ただ、このケースでの天使というものを自分とは別に存在していて、テレパシーとかそのようなもので通信する対象と考えているなら、これはNOでしょう。

そのような意味での天使なら、すでに書いたように、その天使に同調する作業が常に必要とされるはずです。

自分が無に近づくから結論が自然に出てくる。

それがタロットの当たる理由だろうと、私は目下のところ考えています。