高橋大輔から坂本花織ら次世代へ受け継がれる日本フィギュアスケートの『滑る』伝統

●フィギュアスケートの基礎

  今年7月、大阪。フィギュアスケートの全日本強化合宿で、コーチとして招へいされていたザカリー・ダナヒューが、氷上の選手たちを高揚させていた。世界トップクラスのアイスダンサーとして活躍した滑りは伊達ではない

 

 『滑る』ダナヒューコーチは、それを体現していた。下半身の使い方だけで、自在に速度が上がる。そのスケーティングの基礎があるからこそ、演技が深淵に達するのだろう。制御が難しい氷上で、むしろ摩擦が最小限なことを利用し、地上ではできない変幻の動きができる

 

 『No,Noisy!』(うるさく音を立てないで!)その声が会場に響いた。ダナヒューコーチはわざと格好をつけたような大げさな滑りで耳障りな音を立て、悪い例を実演する。  その後、相反する軽快さとダイナミズムで、模範的スケーティングを披露した

 

  選手たちからは小さな感嘆の声が上がる。ゆったりとした体の重心移動だけで優雅に滑るのは、じつは簡単ではないのだ

 

『滑る』。それはあらためてフィギュアスケートの基礎

 

●『滑る』で『日本人初』を連発した高橋大輔

  世界のフィギュアスケート史上、『もっとも滑れる選手』のひとりに、高橋大輔の名前が挙げられる

 

  高橋は日本の男子フィギュアスケートのパイオニアのひとりと言えるだろう。先人たちがつくってきた道を大きく広げ、人気スポーツのひとつに押し上げた。そのおかげで、日本フィギュアスケート界は新時代を迎えている

 

 『世界一のステップ』。海外のメディアから絶賛されたスケーティングは、ひとつの伝説だ

 

  2010年バンクーバー五輪では日本男子初のメダリストになり、同年の世界選手権で初めて頂点に立った。『日本人初』の金字塔を立て続けに打ち立てた

 

  全日本選手権では6度の優勝で、10度も表彰台に上がった。2018年には4年ぶりの復帰で、全日本で2位になっている。記録も記憶も残した『不出世の選手』と言えるだろう

 

  そして、そのキャリアはシングルに収まらない。アイスダンスに転向し、村元哉中と3シーズンに渡って『超進化』を遂げた。識者たちの予想も華麗に覆していった。全日本選手権で優勝、世界選手権でも11位とトップテンにあと一歩まで迫ったのだ

 

  その原動力となったのは、何より『フィギュアスケートの申し子』と言えるスケーティングの技量にあった

 

●二人三脚で歩んだ長光歌子コーチの証言

『初めて指導した時、「ワルソー・コンチェルト」を振り付けしたら、当時中学2年だった大輔はすぐに滑れて驚きました。それも内面からの表現で、頭より体で理解できて』

 

  高橋のコーチを長年務め、二人三脚で栄光の時代を築いた長光歌子コーチはそう説明している

 

『頭で考えるよりも、体で理解してるっていうか。「ちょっとこんな感じで」とさりげなく振り付けをして見せると、すぐに(感覚を)つかめる。多くの人は見て、聞いて、それで体を動かそうってするじゃないですか?  大輔は感覚的っていうか、(曲を伝えた時に)細胞が勝手に反応するところがある気がしました』

 

  天賦の才があったが、それに甘んじなかったという

 

『大輔は、自分がどういうスケーターになりたいかっていうのが、中2の頃からありました。スケーティングへのこだわりというか、たとえば、体が硬いのに柔らかく見せられるように、自分が理想とするスケートをイメージし、それに近づいていった気がします。彼なりの世界観があって、それを実現する天性も努力もありましたね』

 

  長光コーチが振り返ったように、滑りを極めたことでたどり着いた領域なのだろう

 

●受け継がれる『滑る』伝統

  全日本強化合宿も、まさにそうしたプロセスの一部だった。ダナヒューコーチの熱烈な指導を受け、選手たちが目を輝かせていた。滑りが上達する感覚が手応えとしてあるのだろう

 

『呼吸、そのタイミングが大事!』

 

  かみ砕いた端的な指導で、熱量が上がる。エッジワークの違いで、スケーティングに変化が出た

 

  世界女王の坂本花織は、能力の高さゆえか、短時間でも吸収力が高く、滑りのクオリティが上がった印象を与えた

 

  また、坂本に追随する三原舞依は、少しも指示を漏らすまいと耳を立て、『先生はすごくパワーを感じられる人で、自分に足りない強さやパワーを学んで活かしたい。「エレガンスだけど、そこに強いメリハリを」と言ってもらって』とまっすぐな目で語っていた

 

『滑らせるために、上半身を曲げるのではなく膝とか下半身を曲げ、力強く押し出す、という教えを先生から受けています』

 

  競技に復帰後に合宿に参加した樋口新葉も、高揚した表情でダナヒューコーチの指導について語っていた

 

  当然、合宿に参加した男子選手も、友野一希、島田高志郎、山本草太、佐藤駿、三浦佳生、そして北京五輪メダリストの鍵山優真が『滑り』と向き合っていた

 

  わかりやすくハイスコアが狙えるジャンプだけに没頭せず、カウンターひとつ、ブラケットひとつで、どれだけ印象が変わるのか。ダナヒューコーチは終始ユーモアで笑顔も交えながら、もう密な練習を続けた

 

  高橋はアイスダンスを経て、競技者としてはリンクから去った。しかし、『滑る』伝統は受け継がれる。今シーズンも、氷上の舞は華やかだ