駄話 No.1610 銭湯の経営者に北陸出身者が多い理由? | 役に立たない駄話 ブログ版

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 度重なる失言が元で、支持率が低空飛行を続けた森喜朗内閣。「シンキロウ内閣」とも呼ばれ、国民からすっかりそっぽを向かれてしまったときでも、東京や大阪の銭湯の一部には、森首相の写真を飾るところがあった。


 なぜなら、森前首相は石川県の出身。じつは、銭湯の経営者には、石川県出身者が多い。とくに、東京の銭湯の初代経営者の場合、石川・富山の北陸2県と隣接する新潟県の出身者を合わせると、全体の7~8割にのぼったという。


 もともと、北陸は昔から出稼ぎの多い地域だった。また、江戸時代から明治時代にかけて、北陸から東京に出て、大工、左官。また、古本屋、豆腐屋、銭湯を経営する人が多かった。


 そして、東京や大阪で銭湯を開業すると、身内や知り合いを呼び寄せた。帳簿をまかせるなら、信頼のできる身内が一番というわけだ。さらに、仕事を覚えた彼らが、のれん分けの形で新たに開業して、北陸出身者の経営する銭湯がますます増えていった。


 しかも、北陸の人たちは、出身地別に団結力が強く、仲間内での資金の融通もし合っていた。そういう助け合いを利用して銭湯を開業する人も多く、さらに北陸出身の銭湯経営者が増えていった。


 ちなみに、大正元年、初めて風呂場にペンキ絵を描いた神田の「キカイ湯」の経営者も、石川県鳳至郡の出身者だった・・・








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