(インタビュー風景、実に優しい笑顔で、山井さんに習うのは怖くなさそう。)

 

道具としては、装束、面、扇、足袋があります。普段のお稽古の時は、洋服で扇と白足袋だけです。最初から特別しつらえる、ということはありません。中には発表会にむけて、着物を買われるかたもいらっしゃいますが、お持ちでない方にはお貸ししています。最初はできる範囲で続けていただくことが大切です。

 

舞を舞うことも謡を謡って声を出すことも、どちらも、ストレス発散になります。マイクを使わないので、お腹から声を出し、地声をどう響かせるかというところから始まります。それこそが、能が能であるために、大事なところなのです。いくら音声技術が発達しても、空気がピンと張り詰めることは、テレビの画面ではなかなか伝えることができません。しかし、その能の伝わりにくい部分にこそ意味があり、だからライブで、生で観て、聴いていただくと、良さを一回で理解して頂けると思います。

 

能は、わが国の最高権力者たちによって愛好されてきました。ですので、能は、趣味の中では最高ステータスです。趣味のステータスとしては能以上のものは無いと言えます。昔は将軍、大名からはじまり、特権階級の方々にしか愛好されていませんでした。今では、どなたでも気軽に能を嗜んでいただけます。それはごく最近になってからなのです。

(NHK大河ドラマ真田丸でのシーン)

 

”初めてやろうと思っている人間には、能の五流派というのが分かりづらいのですが?”

能楽には5つの流派があります。一番所帯が大きいのが、観世流(かんぜ流)。そして、一番新しいのが、江戸時代にできた喜多流(きた流)、それでも400年になります。そして、金春流(こんぱる流)、宝生流(ほうしょう流)に金剛流(こんごう流)があります。観世流、宝生流、金剛流は、室町時代の観阿弥・世阿弥父子の時代の頃が起点になっています。

 

一方、私の属している金春流は、飛鳥時代に遡ります。聖徳太子の後見人といわれた、「秦河勝(はだのこうかつ)」という渡来人を始祖としています。ですから、金春流は、歴史的にみると一番古くからある流派です。現在の我が宗家の金春憲和師は81代目を数えます。他の流派のご宗家が20-26代であるのに比べてみても、金春流の歴史の長さを感じていただけると思います。

 

わりと、皆さんから勘違いされているのは、能楽は世阿弥がゼロから創作したものではありません。彼は、様々な先行芸能をミックスしてオーガナイズしたのです。能はある意味ハイブリッドな芸能なのです。そんな中で、金春流は、古来からの宗教的アトラクションをしていた流派です。所謂、自然崇拝、シャーマニズムです。他の流派と違って、金春流は、現在でも奈良を拠点にしています。1000年前より、春日大社で神事の舞を、今現在でも奉納しています。能舞台の背景の松の絵は、春日大社の一の鳥居横にある「影向(ようごう)の松をモデルしたと考えられています

 

流派によって何が異なるのかというと、舞方と謡(うたい)の節のメロディーが流派によって異なります。よく見慣れている方なら見比べて、その違いを認識できるかもしれませんね。具体的には、基本形はありますが、動き方が全然違います。

 

観世流と宝生流は少し似ています。また金春流と観世流とは全く違う動き方をします。台詞が流派によって違うということもありえますが、台本の本文自体は8~9割がほとんど共通のものです。メロディー、つまり謡の節が違います。

 

それぞれの流派によって、特徴やアイデンティティがあるので、それが時代を経て特色として出てきているのだと思います。金春流は野外で行っていた歴史が長いので、昔ながらで、古式を重んじて型を大きく扱います。手を大きく広げて、オーバーアクションで、声も大きく出します。やはりそれらは野外でしていた歴史が長かったことが根底にあるように思います。そして、ほかの流派は、中世の時代に京都に早くから進出していき、都会に出ることでモダンな洗練された芸風になりましたが、金春流は、京都で上演することはもちろんありましたが本拠地は奈良のままでしたので芸風が素朴だとも評されます。

具体的に言うと、写実的な型をすることがあります。「鉄輪(かなわ)」という演目があり、先妻の女が、自分を捨てて後妻をとった夫を呪うという曲で、その中で女の怒りのスイッチが入った時に、装束の裾を捲り上げる型があります。それは、かなり写実的な所作です。

 

“金春流には、どういう経緯で入られたのですか?”

 

私の母方の祖父は、金春流の能楽師でした。梅村平史朗といいます。私は外孫です。私には兄が二人いますが、能はやっていません。母の兄、つまり伯父の一家も能をやらなかったです。昭和の高度成長期は、欧米化が盛んに叫ばれ、日本の伝統文化は否定され、嗜好される時代ではなかったのでしょう。

 

小さい頃、祖父の家に遊びに行ったときに能面図鑑を見ていたんです。それに気づいた祖父が、綱雄は、能に興味があるようだと言っていたそうです。そのころ祖父は、病気だったので、私は病床の祖父しか知らず、祖父の舞台を見たことがありません。私の初舞台の三か月後に、祖父は亡くなりました。祖父の芸は、祖父の高弟であった女性能楽師のパイオニア、富山禮子先生に教えていただきました。

 

小学校6年生の時、祖父の7回忌追善能の舞台で初めて、シテを勤めました。演目は「経政」でした。その時に、能楽師になるんだと決意したことを覚えています。その後、私は金春流79世宗家金春信高先生に師事しました。小学5年生の時に、直弟子になって以来、信高先生より手取り足取り「金春宗家」の芸をご伝授頂きました。

 

第二編は、ここまでです。能には、興味があるけれど、どういう風にしたら良いか分からない。いや、この記事を読むまでは、能を習うなど考えたこともない人のためのガイドとなるような記事になれば良いと思います。第三編では、その山井さんが「一番感動した」のは、という話です。この話をしていただいた時、約一時間ぐらい、その話に聞き入ってしまいました。