”阪神淡路大震災で被災―切り絵という手法で、日本を描いていこうと、決意しました。”

 

阪神大震災で被災しました。一瞬のうちに長く続いたものが消えるということを体験したのです。日本には、数々の自然災害があります。 自然災害が起こると、廃材の山ができるんです。神戸の時、若い夫婦が、年代物だけれどまだ綺麗な輪島塗の箱を捨てているのを目撃。なぜ、捨てるのか聞いてみると、「この機会に、全てを新しくしたい。」と、そう言っていました。それを見ていて感じたことは、復興は大事だけれど、このままでは、日本の大事なものが無くなっていく。とにかく、これはまずいと感じました。

その時です。自分は切り絵という手法で、日本を描いていこうと、決意したのです。日本の原風景的なものは、消失しかけている。もちろん、まだまだ存在しているけれど、田舎の風景の中に都会があったりして、消失している日本があるのも事実。又、日本には、四季があって、長いこと続けていた生活は、その四季の変化に基づいているんです。

(作品:町家の四季 久保さんの代表作。2009年の制作。左から右に向かって四季の移り変わりが一枚の絵の中に描かれている。)

 

神戸の地震の後、日本全国を旅しました。47都道府県全部を回りました。飲みに行くと楽しかったけれど、良い作品をつくることが大切と、飲みにいくことをやめて、作品作りに没頭しました。そして、テーマは「紙のジャポニスム」と決めました。日本には、素晴らしい四季の変化があります。それは、四季の風物詩だったり、旬の食材であったり。生命力にあふれた瞬間を切り取って作品に仕上げています。

 

久保さんが、今回の福島での展覧会会場での解説で、紙のジャポニスムについて、「日本を見つける旅、日本に出会う旅、日本を感じる旅となっていった。」と、説明している。

(作品:朝靄)

  

例えば、季節の代わり目。日本の春の色は、単純に緑一色ではないのです。多様な緑です。それは、グリーンが、濃かったり、パステルだったり、ハーフトーンだったり。そんな色の変わり方を出したい。そう思って、絵の具を混ぜていきました。葉っぱを一枚一枚、違ったグリーンで色付けします。これは、何十年もかかったけれど、これからも、それを追及していきたいです。

 

(左から秋の七草、都の桜、朝顔、雪中椿)

 

嬉しかったのは、ふるさと切手「隅田川花火、東京都」が1999年に採用されたことです。とにかく、自分の個展の案内状を、自分のデザインした切手で出したいと、強く願いました。思い続けていると、願いは叶うのかなと思います。その後、切手では、2009年に「深川八幡祭」と2012年に「大阪天神祭」とデザインが採用されました。 

1999年に発行されたふるさと切手を最初に、久保さんのデザインは、その後2回採用されている。:隅田川 花火、東京都)

 

切手のデザインが採用された頃に、東京に進出しました。それから、東京と大阪を行ったり来たりする生活になりましたが、悔しかったのは、東京で紹介される時に、「関西では有名な久保君」と言われていたことです。