「小嶋さんの作品について教えてください。モノクロ写真が多いようですが、その意図は?」

 

内側から湧き出してくる光なんです。色というのは、表面的なものになってしまうのです。きっかけは、太素杳冥の中にある写真を撮影していた時です。日没頃撮っていた時に、自分には光溢れる風景に感じられていたのにはっと気がついて周りを観ると真っ暗だったのです。でも、下は輝いて見えました。それが何でだろうと思ったのが始まりです。陰が極まって、陽が生じるようなイメージです。そこには、色はいりません。観る人が陰影の中にご自分の色を感じてもらえれば良いです。

(写真集「太素杳冥」から。光と陰の中の生命感を表現している。陰の部分も一つだけの黒ではない。)

 

プリントの中の黒ですが、けっしてベタの黒ではありません。存在感がある黒です。版画をやっている時に学んだことですが、真っ黒に潰すのは簡単なことです。しかし、一見、真っ暗に見えても、僅かな陰影の濃淡の差異の中に何かの存在を感じさせるのはとても日本的です。

 

(写真集「太素杳冥」から。光と陰の中の生命感を表現している。陰の部分も一つだけの黒ではない。)

 

和紙は良いけれども、難しいです。何が難しいかというと、黒の濃度が全然出ないのです。明暗の階調の幅が狭く、それで、普通の階調の再現域の広い洋紙と違った表現をしないといけないからです。私は、調和の世界を気にします。それは、単純に数字化したら、この黒の濃度は出ていないけれど、調和の世界ならその黒の色を感じることはできます。

(2016年個展「閑寂幽寂」手仕事扱い処 ゆこもり会場 展示風景)

 

その生命感をちゃんと描写して、全体的に暗さを表現するには、技術が必要になります。例えば、この滝の写真ですが、普通に撮るだけだったら、決してこうはなりません。暗いところを出したら、滝が白く飛んでしまうし、滝を出したら、まわりは真っ黒に潰れます。

 

(2012年「閑寂幽玄」、滝の写真は写真家小嶋三樹のSignatureWorksのようだ。)