「ネガは楽譜であり、プリントは演奏である。」 アンセル・アダムス(アメリカの写真家。1902〜1984)

 

ただ、写真を撮ってプリントしただけでは、譜面どおりに演奏しただけということです。でも、指揮者が違ったり、オーケストラが違ったりすると、同じ楽譜なのに、違った感動が生まれます。また、同じ指揮者が30代の頃に演奏したのと、60代で演奏すれば、生涯をとおして違ったものが生まれ表現されます。写真でも、10年、20年と経ってから、プリントしなおすと、新しい発見と表現があります。写真というのはそういうものだと考えます。

  

写真を撮って写真屋さんにだして終わりでなく、撮ったところは、まだ過程の半分の一歩手前なんです。自分のイメージにそこから近づける作業が必要です。

 

 パソコンの画面上だけではなく、プリントする場合には自分が良いと思った和紙であったり、版画の紙であったり、そして、表装などの見え方まで、写真をするなら考えるべきだと思っています。私は、紙の質感を見せたいので、展示会では、額装の時でも、ガラスを入れません。

(2016年個展「閑寂幽寂」手仕事扱い処 ゆこもり会場 展示風景)

 

作品一つ一つに題名はつけません。見ていただく方の感性で対峙して見ていただくのに、題は必要ないと思っています。地名ぐらいは表示する場合もありますが、それも、作品を観てもらうには、あまり重要ではないと考えています。言葉で表現できないものをやっているのに、言葉でどこまで説明する必要があるのかということです。

 

 

 

「小嶋さんご自身が持っていらっしゃるテーマは?」

 

自然の中の命の光です。やってきて気づいたのはそこです。一つの光として表現する。Photographyとは、本来、光で描くという意味です。光は大事です。単に明暗の話ではなく、光を描くには、影が必要で、逆に陰を描こうとすると光が必要になります。両方の調和の世界です。

 

このニュージーランドでの写真は、敢えて、青色を出しました。ベースはモノクロです。父がちょうど亡くなった時だったので、青を使ったのは影響があったのかもしれません。

 

(ひかりといのちとの題名がついているのは小嶋さんの作品では珍しい。ニュージーランドで撮影)

 

このダイヤモンド富士ですが、普通に撮ると逆光ですので、山肌がベタで真っ黒になるのです。シルエットでよければそれで良いのですが、山や森を出すには、技術的な裏付けが必要です。残念ながら、写真では実際の明暗の差を再現できません。ラティチュードと言いますが、記録し再現できる階調の幅に限りがあります。それが前提ですので、自分の表現したいものに近づける調整が必要です。暗い所のディティールを描写するには、明るく撮れば良いのですが、そうすると明るい所は真っ白になってしまいます。明るい所を大切にして暗くして撮れば今度はシャドウ部が真っ黒になってしまう。そこで、暗室で光を多くあてたり少なくしたりするプリント調整をします。

(ひかりといのちとの題名がついているのは小嶋さんの作品では珍しい。ニュージーランドで撮影)

 

このダイヤモンド富士ですが、普通に撮ると逆光ですので、山肌がベタで真っ黒になるのです。シルエットでよければそれで良いのですが、山や森を出すには、技術的な裏付けが必要です。残念ながら、写真では実際の明暗の差を再現できません。ラティチュードと言いますが、記録し再現できる階調の幅に限りがあります。それが前提ですので、自分の表現したいものに近づける調整が必要です。暗い所のディティールを描写するには、明るく撮れば良いのですが、そうすると明るい所は真っ白になってしまいます。明るい所を大切にして暗くして撮れば今度はシャドウ部が真っ黒になってしまう。そこで、暗室で光を多くあてたり少なくしたりするプリント調整をします。

(朔旦冬至ダイヤモンド富士)