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今日は、私の叔父の素晴らしい言葉を綴りたいと思いますおねがい

実は、私の叔父は有名な人なんです。。
名前は出しませんが(^^;)
そして、叔父は何冊もの本を書いています。

今日はその中から、今の私の心に深く残る素晴らしい一節をご紹介させていただきますおねがい


宮城県の瑞巌寺には、伊達政宗が持ち帰ったという樹齢300年の梅の古木「巌流梅」があり、私の叔父が瑞巌寺を訪れた時の話しです。。

以下、叔父の本の言葉を抜粋致しました。



……(瑞巌寺を)訪れたときは十二月だったので、もちろん花はおろか蕾さえ膨らんでいませんでした。

「三百年の歴史を感じさせる堂々たる枝ぶりだな」と思い、しばらく魅きつけられたように見入っていました。

そのときです。不思議なことに、私の目の奥で、見事というほかない紅い梅の花がいっせいに開いたのです。三百年の時を超えて、なお豊穣なエネルギーを奔流のごとく発し、絢爛たる花を咲かせようという古木の「気」を感じたのでした。

もちろん現実には花など咲いていません。私は古木が発する強い「気」を受けて、幻想の花の美しさに酔いしれ、感動を受けたのです。

咲くべきときを知っていて、そのときのために根をしっかりと生やしている木からは、たとえ咲いていないときでも、最盛期の見事な花を感じ取ることができます。

しかし、それは四季をわきまえ、自らを生かしきる「時」をとらえている木に限ります。

咲くべきときを知り、素晴らしい花を咲かせる木は、咲いていないときも人を感動させる、ということは、絶えず偉大な花を咲かせていることと同じなのです。

瑞巌寺の古木にめぐり合い、素晴らしい幻想の花に魅せられて、私は人間のことを考えました。
木も人間も同じことで、ほとんどの人は(自分の人生における幻想)をいつも咲かせようとしますが、いつも咲かせようと焦る人ほど、来るべき時が来ても、大きく花を咲かすことができないものです。

咲くべき花(幻想)を大きく咲かせるためには、何よりも根(自分が生きているという事実)をしっかりと下ろしている事が肝心です。

いつか咲くものには「気」が宿っています。咲くべきときに咲く木は、いつも咲いているのと同じことです。

だから少しも焦る必要はありません。
自分を見つめ、根さえしっかりしていれば、咲くべき「時」を過たず知ることができます。

幻想を真実と見誤りさえしなければ、いつの日にか真実という根の上に、大きな幻想の花が咲くのです。……



私は、この一節を読んだ時、感動して涙が溢れてきました☆彡

読む方によって、捉える事が違うでしょうし、様々な意味が含まれているのだと思いますが、今の私が1番に感じたことは、まさに…

今を生きる。
自分自身を生きる。
自分自身を信じる、そして認める。

という事の大切さを教えられた気がします。

決して焦らず、自分を信じて、今この時を大切に、私のすべてで感じ・行動し、生きていきますキラキラキラキラキラキラ

大丈夫!すべては
うまくいっている☆彡

今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ 
今日も皆様に、素晴らしい幸せな時間が訪れますように✲゚。.(✿╹◡╹)ノ☆.。₀:*゚✲゚*:₀。




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