最近、少し真我探求から外れてしまっていたので、ここら辺で、「今何よりも大切にしていること」を、備忘録として綴ります^_^




何かを欲しているのなら
何かを望んでいるのなら
その欲する心を完全に捨て去ること。
 

「求めよ、さらば与えられん」という教えがあるように、本当に求めれば、それはただちに与えられる。


しかし、「求める」の真の意を、私は見誤っていた。


「求める」とは、欲する心を完全に捨て去ること。


なぜなら、自我の私には欲するものを手に入れる為に出来る事など、何一つ無いのだから。
自我には何一つ願望を叶える力はない。

それは全て、真我・神のお仕事。
真我・神のみが、私に与える事ができる御業。


自我の自分が、執着したり現実的に動き回っても、何一つ役に立たないどころか、自分をどんどん苦しめていき、願望実現を妨げてしまうかもしれない。


欲する気持ちが現れてきたら、それを判断せず、執着せず、またその欲に抵抗せず、ただただその心を認め、捨て去っていこう。


※というより、そもそもこの現象(現実)世界は幻想であり、真実ではないのだから、そこに何かを望むことこそ愚かであり、この上なく虚しいということに気づくことが、願望実現よりも遥かに素晴らしいのだけれど。


…わかっちゃいるけど、自我の存在が強く在ると、ついつい願望を実現したくなってしまいますね😅笑



そして、出来事、人、状況、環境、あらゆる全てに対しても…

抵抗しない
判断しない
執着しない
ただ、あるがままに身を委ねる。


そう在るためには
常に自分の内側を見つめ続け
自らの心を観照し続けること。


まず、呼吸していることに意識を向ける。
すると呼吸をしているのは「私」ではないことに気づく。
 

その立ち位置に立てたなら、視覚や聴覚や味覚や嗅覚などの体のあらゆる感覚、感情、思考に気づいていきながら、どんどん意識を広げていく。
 

出来事、人、状況、環境、感覚、思考、感情、あらゆる事全てに気づき続けならがも、決してそれらに惑わされることなく、ただ内側の真の自己を見続ける。


自我が自然と落ちてゆくまで。。
自我が完全に落ち、「それ」が起こるまで。。


今の私はまだ、自我が完全に落ちるまでに至っていない。
まだ、「それ」が起こっていない。


以前の私ならば、なぜ?どうすれば良いの?何がいけないの?早く!早く!?何とかしなくては!と、思考がうるさく騒ぎ立て、必死になっていただろう。


でも今の私は、そうはならない。 
なぜなら、「全ては勝手に起こり、自我の自分がやれることなど何もない」という事を、理解しているから。


自我の私にできることは、先に書いたことだけ。


現象(現実)世界で何が起こっていたとしても、ただ静かに内側の真の自己を見続け、そこに留まり続けること。

自我が自然と落ちてゆくまで。。
自我が完全に落ち、「それ」が起こるまで。。


これもまた、願望実現よりも遥かに素晴らしいこと。




今日も、真我を信じて。。

大丈夫!すべてはうまくいっている☆彡


今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございました😊