南大阪校の藪下です。

真夜中の投稿です。

 

私の育ったところは、京都の田舎です。

スーパーも近くにはなく、自販機も歩いて行ける範囲には

なく。周りは田んぼや畑ばかりで、

少し歩くと小さな山があった。

友達と探検ごっこをする。

庭には「蛙」「蛇」はいて普通。

それを飼っていた猫が加えてきて。

 

「どうだ~・・・」のドヤ顔で飼い主の私達に

見せる。

それが、すごい気持ち悪いんですが、

猫にとっては、戦った事を見せたい

らしく?家族は怖がりながらも誉める。

 

冬になると、雪の中2キロ歩いて学校に

行く。途中で畑に体ごとジャンプしたり

春になると、道端の花を摘んで帰る。

 

これが9歳の私。

 

その頃は、最新のおもちゃを誰が持って

いるだとか。そういう事を自慢すると

結構、嫌われる。(笑)

それがどうした?!のように・・・。

 

そうではなくって、

例えば、作った雪だるまの大きさが

どっちが大きいのか?

そんな事を競う。

運動が出来る子や勉強が出来る子が

みんなから好かれていて、

そこに辿り着きたくて、頑張るのだ。

 

頑張っても、頭の良すぎる子には勝てなくて

だけど、誰でも「得意」な事をひとつ持っていて

そこは、小さな社会の中でも、認めあうように

出来ていた。

 

出来ていたというよりも、

そういう「力」をちゃんと身につけていた。

 

今は、子育てをしていて思う。

誰が何を持っているのか?競い合う。

そして持っていないと、ちょっと馬鹿にされる。

 

ここ数年で子供達の中でも

「発達障害」への理解は進んだと思う。

それは、きっと保護者の方が丁寧に説明

してくれているのかと感謝する。

 

だけど・・・

子供達に言いたい。

最新のおもちゃや、最新の物を持っている事

が自慢ではなくて、それは、周りの大人が

必死になって働いて買ったものだという事。

 

「君の力じゃない」って事。

本当に凄い事は、自分の力で出来る事。

それが遅くても、ちょっとどんくさくても

「待ってくれる人」がいたらそれが最高の「力」

となる。

 

少し話がそれてしまうけれど

スキーで痛めた私の足は、ちょっと歩くのが

遅い。それを家族は

 

「おっそいなぁ・・・」と言いながら

待ってくれる。

 

この「おっそいなぁ・・・」と待ってくれる友人を

見つけて欲しい。勉強も運動も、発達も

「おっそいなぁ・・・」と言っても、

ちゃんと前で待ってくれる友人を見つける事

が何よりの財産になる。