今日はね


巨人の先輩で

2軍マネジャーや寮長

ジャイアンツ球場長などを務められた

『藤本健作さん』について

お話ししたいな、と思ってね。

 

 

2月22日

川崎市内の病院で

心不全のため亡くなられたと

連絡が入ったんだ。

83歳ですよ。

 

 

藤本さんは投手として

王貞治さんと同級生で

巨人に同期入団

 

 

1軍での成績は

1試合1登板だったけれど

 

 

その後の巨人を

長い間、下支えしてくださり

巨人の生き字引のような方だった。

 

 

俺が入団した時は

すでにユニフォームは脱いでいてね。

 

 

合宿所の寮長と言えば

「鬼寮長」などと呼ばれた

武宮敏明さんが

多く語られるけれど

 

武宮さんがユニフォームを着ると

藤本さんが寮長になって


武宮さんが寮長に戻ると

藤本さんが他に回って、と

そのように記憶している。

 

 

2軍の選手にとっちゃ

武宮さんは年齢が離れていて

親父のように

厳しくて怖い存在

 

 

一方の藤本さんは

年齢が少し近くて

温厚な方だったから



ちょうど上の方達との

クッションのような

存在でいてくれた。



みんな親しみを込めて

「健さん」とも呼んでいたね。

 

 

とにかく

面倒見が良くて

怒ったところを

見たことがない。

 

 

悪太郎の俺にも

「おい、いい加減にしとけよ」

その程度だったね(笑)

 

 

今は時代が変わって

2軍の情報も

たくさん入ってくるけれど

 

 

当時、1軍と2軍には

大きな格差があってね。

 

 

極端な言い方かもしれんが

2軍へ行けば

誰がどうしているのか

よくわからない。

 

 

2軍の選手の中には

日の目を浴びることなく

静かに消えていくものが

多かったわけさ。

 

 

健さんが

そういった選手らの

悩みや愚痴を聞いてやったり

フォローし続けてくれた。

 

 

こういう方が

いてくださったからこそ

巨人が強かった。

改めて、そう思うよ。

 

 

最近、ふと

健さん、元気かな?

頭をよぎったんだ。

 

 

そう思った矢先の訃報でね、

だから余計に寂しかった。

 

 

お葬式は近親者のみで

弔問も香典も辞退されると聞き



最後だけでも

ご挨拶したかった。

本当はね。



そう思ったけど

俺だけ、って訳にもいかんし

身内の方の気持ちを

大切にしなきゃいかんだろう。


 

だからこうして

ブログを通して

皆さんに思い出話を

させていただきました。

 

 

健さんと

最後にお会いしたのはいつだったかなぁ…


多分、ゴルフ場かも。


俺に気づいて

声をかけてくれた。

「こんなところで何してんだ」と(笑)



健さんは

体のためにゴルフをしてるんだ。

ホリ、今度、一緒にやろう。



それが最後の会話かもしれん。



健さん

大変お世話になりました。

そして、長い間

巨人のために

ありがとうございました。



合掌



最後まで読んでくれて

ありがとう。