「FISHBOY(フィッシュボーイ)×丹野雄貴」SPインタビュー対談 | JSDA オフィシャルブログ 「MORe Dance」 Powered by Ameba

「FISHBOY(フィッシュボーイ)×丹野雄貴」SPインタビュー対談

ー日本のストリートダンス界に新たに語り継がれる“武勇伝”。

日本テレビ系列で絶賛放映中のオーディション番組「スター☆ドラフト会議」にてそのタレント性を見出され話題となり、前ページで紹介したDream 5の4thシングル「Like & Peace!」のPVにも特別出演しているFISHBOY。2009年にフランスで開催されたストリートダンスの世界大会優勝、そして兄は人気お笑い芸人という異色の経歴を持つ彼が感じているダンスへの思いとは?




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―――本日は宜しくお願いします。テレビでお兄さんが、「武勇伝」の振付けは元々は弟さんがやっていたダンスから取ってきたんだと言っていましたが本当ですか?
もう泥棒猫ですよね・・・いやいや、そんなことはないですけど(笑) 僕がフレズノというステップを練習していたとき、まだ一緒に暮らしていたんですが、隣で見ていた兄貴が興味を持ち始めて「何それ?ちょっと教えてよ」って食いついてきたんです。その時は「ふーん…」って言いながら部屋に帰って行って。それから後日になって、芸人の登竜門となっていたテレビ番組に出るから見てくれよとメールが来たんです。僕は兄貴の芸人活動ってそれまで見たことがなかったんですが、昔から兄貴は漫才が好きでビデオもめちゃくちゃ録らされていたので、おそらく「はい、どうもー」っていうような感じで出てくると思っていたんですよね。テレビを見ていたら、「次はオリエンタルラジオ!」ってデンデンデデン…って出てきて「えええぇ!」みたいな(笑) まずそこで「兄貴どうした!?」っていうのが1つあって、ラップ歌い終わった後に「武勇伝武勇伝♪」って「なんか見覚えのあるステップやってるな…」と思って、兄貴の部屋に入ってみたら本棚にダンスの教則ビデオがあったんですよ。『ダンススタイルベーシック』っていうビデオが!「こいつ勉強してたんだな!」って感じでしたね(笑)

―――あのネタはFISHBOYさんの影響を受けているんですね。今もお兄さんと番組とかで一緒になったりすることはあるんですか?
一度だけ兄貴のツアーの千秋楽に参加することになって、そこにテレビが取材しに来たことはありますが、あまり共演はないですね。その時は不思議な気分だったんですけれど、バラエティ的な部分で格の違いを見せつけられたっていう形ではありましたね。すごいなぁと思いました。ネタ盗んじゃおうかなって。一回盗まれたんで(笑) 

―――お兄さんと仲がいいんですね。ところで、ダンスを始めたきっかけって何だったんですか?
親父がムーンウォークの片足バージョンが出来まして(笑) 昔に流行った宴会芸なんですけど。

―――あはは(笑)お父さんもダンスが好きだったんですか?
全然好きじゃなかったです。めちゃくちゃ頭の堅い親父が唯一見せた柔らかい部分でした(笑) それを小学校の頃に教えてもらって、僕が一週間くらいかけて両足バージョンに改良したりして…。転勤族でよく転校していたんですけど、そんな芸に助けられましたね。ムーンウォークが出来るということは他に何か出来ないかなって思って、そこからダンスをしたいっていう潜在的な欲求が生まれました。それで中学生のときにDA PUMPが“We can stop the music”を踊っているのを見て「かっこいいな」と思って、当時の僕は吉祥寺に住んでいたんですけれどB-BOYがまわりで踊っていて「俺も始めてみよう」とブレイキンから入りました。男としては大技をやりたいじゃないですか。でも「お前はヒョロイからフットワークだけにしておけ」って言われて、それがつまらなくてポッピンにしました。

―――じゃぁダンスを始めたきっかけはお父さんだったんですね。その頃はDA PUMP以外には、どんなアーティストに影響を受けていたんですか?
アーティストでは、間違いなくマイケル•ジャクソンですね。ダンスも歌も凄いんですけれど、PV映像の作品としての演出と、周りにいるマイケルを支えている人達も凄いなぁって。チームとしての凄さも感じていましたね。

―――ダンサーではどなたに影響を受けましたか?
ダンサーでは、沖縄のtemporaly(テンポラリー)っていうチームがあるんですが、あの人達を高校生の頃に知って、めちゃくちゃかっこいいなってVHSで撮った映像を何度も見て練習していました。そのときに流行っていたポップのスタイルとは全く異色なスタイルだったんですけど、「こんなのもポップでいいんだ」って、自分の概念を打ち破ってくれた人達でした。


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―――彼らは使っている音源もかっこいいですよね。ちょっと話が逸れますが、これはよく聞かれていると思うのですが“FISH BOY”というダンサーネームの由来はどこから来ているんですか?
元々は本名でやっていたんですが、当時、一緒にダンスをしていた相方がある大会で優勝したんですね。僕とは一緒じゃなくて違うチームで優勝したんですけれどそれが凄く悔しくて。その頃は自分自身も、「こいつについていけば有名になれるだろう」って甘えがあって、実際は自分の実力を高めていなかったなっていう事実に気付いたんです。今までの自分が恥ずかしくなって生まれ変わりたいな、生まれ変わる為には名前を変えて心機一転して頑張るしかないと。そんなときに、兄貴が芸人になる前に書いた「ピコル君の小さな冒険記」っていう物語があるんですが、読んでみると面白いんですね。その物語の中で“フィッシュボーイ”っていうキャラクターが主人公のピコル君と冒険しているんですけど、“フィッシュボーイ”っていう名前にある英単語“FISH”も“BOY”もどっちも知っているし、もし自分が海外に進出する時にとても覚えやすいんじゃないかと思って。そのキャラクターのファンキーさにもやられましたね。

―――お兄さんが書かれた物語の登場キャラクターだったんですね。ところで、FISHBOYさんが目指しているダンススタイルやダンス観ってどんなものなのですか?
ひと言で言うと、「死んだら一生見れないダンス」をしたいかなと思っています。スキーター•ラビットっていうポッピンの第一人者がいるんですけれど、僕が大学1年の頃にお亡くなりになったんです。彼はよく日本に来日していたので「いつでもワークショップを受けれる」って気持ちではいたんですね。でもいきなりスキーターが死んだっていう知らせが入って、「嘘だろ?あの人のダンスは一生見れないんだな・・・」って思ったときに、ものすごく悲しくなって。自分がいないとその踊りが存在しないって言う状態は究極のオリジナルだなと考えるようになって、そういうものを目指していますね。

―――ちなみにこれから海外の大物アーティストのバックダンサーの仕事をどんどんやっていきたいという思いもあるんですか?
もちろんやってみたいとは思いますが、それがメインと考えるのではなくて、ダンスの公演とかダンサーが主役であるコンテンツがあるといいなと思っています。ダンスでメッセージを送信したいという気持ちがあって、それには受け手に合わせて作品を作るという考え方があると思います。そうすると伝えたいメッセージって限られてくると思うんです。僕の発想は、受け手のレベルを徐々にあげていくことが大切だと思っています。サッカーでもフィギュアスケートでも、解説者が「ここがすごいんです!」「このパスすごいでしょ?」ってなるから、サッカーやフィギュアスケートを知らない人でも段々とわかってきたりして面白みが伝わってくると思うんです。ダンスでも今こういうメッセージを送っているんですよっていうのを、ちょっとずつ教えていきたい。そうすると受け手も楽しくなってくるじゃないですか。ダンスを見る人の知識を高めることで、メッセージを送る側もモチベーションが上がって、全国のダンスシーンも楽しくなっていくんじゃないかなと思っています。

―――なるほど。見る人の知識を高めるということですね。FISHBOYさんは、イベントMCもやられているじゃないですか?じゃぁ、そういうダンスの解説者的な分野もゆくゆくは?「今、ここのムーブやこの脚さばきがやばいんです!」とか?
 もちろん狙ってますよ(笑) 例えばハイライトやスローモーションみたいな感じになって「これだよね!」みたいな(笑)

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―――非常に面白いですね。ダンスを知らない人でも何が凄いのかわからないけれど、このダンスはそんなに凄いんだってなりますよね。話は変わりますが、現在の日本のダンスシーンについてどう思いますか?

Kento MoriさんだったりTAKAHIROさんだったり、日本人が活躍している理由の1つとして外に出るようになったことだと思います。元々日本人には実力が備わっていて、でも痛い目見そうだから世界に出なかっただけで、それが段々と出るようになったから結果が伴ってきただけだと思っています。けれど、シーンが結構バトルメインになってしまいましたよね。世界的に活躍しているダンサーもバトルで勝ち上がるしかないんですよね。みんなもそれを目指すんですが、そうなっちゃうとダンスの楽しみが半分に減っちゃうような気がしてるんです。自分のきわどい部分を見せるようなダンスが見たいのに、どこかバトルに勝てるような基準を自分で作ってそれに合わせたダンスをするようになっちゃったっていうのが寂しいですね。僕はジャッジもしているんですが、そういうダンサーが多くなってきている気がします。「バトルで勝つためには?」って練習をしてきて名を挙げるにはそれしかないっていうような…それには危機を感じています。

―――そうですね。そんな日本人でも世界で活躍するダンサーが増えてきている中で、日本ではストリートダンスの検定が始まったり、中学校では2012年から義務教育化されるというムーブメントがあります。それについてはどう思いますか?
非常にいい流れだと思います。時間割りの中にダンスがあるっていうのは興味がそそられるし、そうなってくるとダンスに触れる人も圧倒的に多くなるし、ダンス番組を見る人も多くなりますよね。検定については、判断する側の人も検定されなくてはいけないと思いますし、厳しく見ていかなくてはいけないですが、入り口としては革命といえるほど大きな流れだと思っています。

―――FISHBOYさんが感じるダンスの魅力って何ですか?
視線を一点に集中出来るっていうところですかね。自分が芸術作品になれるわけですから。それって絵描きでは味わえないことだと思うんです。自分の描いた絵だけれど、絵はどういう見られ方をしているんだろうっていう実感が出来ないわけです。ダンサーっていうのは自分が作品になるわけで、自分がどう見られているっていうのが、視線を肌で感じて受け取れる。そこに楽しみがあるんじゃないかなって思いますね。あとは、始める人にとってあまりお金が掛からないことも魅力ですよね。靴と音があれば始められますから。

―――なるほど。それでは、FISHBOYさんの今後の夢や目標を教えてください。
ダンスを見る時代は終わったと思っていて、今はダンスに親しむ時代なんだと。僕のこれからの活動もダンスに親しんでもらうために、まずはダンスに触れてもらうっていうことから始めますし、そうしていく上で日本人全体がダンスに慣れ親しんで、テレビ番組とかでダンスの大会が放送されたりするのが理想ですね。何十年後になるかはわかりませんが、そのスタート地点として頑張ります。全国ダンサー化計画ですね。ワールドカップのように、ダンスに親しんでもらえたらいいですね。

―――最後に読者の方々にメッセージをお願いします。
もっとみんな自分の実績をひけらかしてもいいと思います。僕の世界大会優勝っていうのも2ON2だったわけで、僕一人の実績ではないけれど、それに注目してくれる人がいるならもっとひけらかしてもいいんじゃないかなと。こういう発想になったのは、あるきっかけがあって、昔からダンスは頑張っていたんですけど、兄貴が芸人として売れ始めた頃からだんだん見ているお客さんから「あれ、あっちゃんの弟」ってヒソヒソ言われて注目され始めたんです。僕にとってはそれがすごく嫌で、そういう代名詞的な呼ばれ方をされたくないって思ってたんですけど、ある先輩が酒の勢いだったのかもしれませんが飲みながら「“あっちゃんの弟”って言われてるけどお前悩んでないか?悩んでるとしたら大間違いだぞ。兄貴が有名になったってことはすごい嬉しいことだし、兄貴にも“あっちゃんの弟”ってことを利用してなにか活動してもらう責任がある。だからもっと“あっちゃんの弟”っていうことを利用して世に出て行けばいいじゃないか?兄貴に負い目を感じずに出していけ。それもお前だ。」って言ってくれたんですね。その言葉にハッとなって、そういう環境にいるんだから仕方ないし、それで注目してくれている人がいれば万々歳だという思いになりました。だから世界大会優勝っていうのも番組で言っちゃうし、“あっちゃんの弟”って街中でヒソヒソ言われても僕は胸張っていられるんです。隠すことを美徳としている日本人っていますけど、みんなでも、もし大会で優勝したとか誇れるものがあるならどんどん出しちゃえばいいと思います。Kento Moriさんだって絶対そうですしTAKAHIROさんや仲宗根梨乃さんもみんなそうだと思います。そうやってみんなに注目してもらうことこそが、ストリートダンス界に役に立つことだと思うので、そういうのを忘れないでいて欲しいですね。



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FISHBOY

1985年生まれ。東京都出身。
2009年にフランス・パリで開催された2ON2で競うストリートダンスの世界大会「JUSTE DEBOUT」のPOPPIN'部門で、KITE(フォーマーアクション)と共にコンビを組んで見事優勝し注目を浴びる。実兄は、人気お笑い芸人・オリエンタルラジオの中田敦彦。

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インタビューアー:丹野雄貴(タンノ・ユウキ)
98年よりダンサーとして活動を始め、イベント・PVなどに出演。2000年にヨーロッパ7か国をダンス修行としてまわり、その後、ダンス番組への出演やアーティストのバックダンサーなどを経験し、08年よりエイベックス・プランニング&デベロップメントに入社。現在はエイベックス・グループのダンス事業全般に携わり、ダンス文化の普及に努めている。




<クレジット>
interview: Yuki Tanno (avex planning&development)
photography: Atsushi Oikawa
text: Daisuke Yuzuka