ご無沙汰しております

なかなか
ブログ更新できず
申し訳ないです


私は今
仕事も忙しくさせて
頂いており
元気に過ごさせて頂いて
おります。

コロナ禍以降
赤門先生の行事には
参加させて頂いておりませんが
赤門先生には
その旨もお伝えし
直接
先生に
お会いして
心からの
お礼と感謝を
お伝えして来ました

今は
行事には参加できませんが
先生に会いたいときに
会いに来ます!

そうお伝えしてきました

先生は
すべてお見通しで
そんな
我が儘な私を
理解して下さり
許して下さり
温かく
受け入れて
下さいました

本当に
心の広い
温かい
お人柄が赤門先生

ありがとうございます
心より
感謝します

私は
これからの
行事のことをお伝えすることが
できなくなりましたが
これから
お寺のこと
行事のこと
わからないことは
直接
不動寺に電話して聞いて下さいね

しばらく
ブログ
お休みします

今まで
読んで下さり
ありがとうございました!
皆さまにも
感謝でいっぱいです

赤門先生は
ずっと
かわらない
ぶれない
その芯ある温かいハートと
深い慈愛で
今日も
誰かを
救っておられます




6月の行事から
再開されるそうです。

6月7日 日曜日
 『法話』からです。

よろしくお願いします。
5月の行事も中止されるそうです

皆さま
くれぐれもご自愛下さい。

4月の行事も
 すべて『中止』とされました。

皆様
ご自愛ください。


今後の行事に関する
『お知らせ』です。

●3月8日 日曜日の
『お薬師さまの鳴り釜』は
あります。

下記の行事は
『中止』になりました。

●3月11日 水曜日
『お稲荷さまの護摩』 中止

●3月29日 日曜日
『不動明王さまの護摩』中止

いつも
ブログを見て下さり
ありがとうございます。
よろしくお願いします。

1月の『法話の日』は
お休みだったのですが
各行事の始まる前に
赤門先生が話された『法話』を
載せてみますね!
今回ブログに書いた法話は
1月の法話CDに入っています。

⚫法話⚫

高学歴・・・役立たず。
言いますやん。

仕事が
できるか
できへんか やと。
言われてますよね

高学歴で
働かれへん人
ニートが 
いっぱい増えてますよね。

ニートが
僕、悪いとは思わへんねん。
なぜかというと
お寺に
そういう人がいっぱい
来はりますから。

そういう人にこう言います。

何を考えてるの?
世間の眼?
親の眼?
兄弟の眼?
そんなんどーでもいい!
自分がここで生まれて
私がここにいる!という
自分に成らないとアカンねん。

こうなったのは誰のせい?
って
10項目あげてみて。
って言うたら
本当に・・・
自己責任なしに
全部
誰々にこう言われた・・・
アイツがこうした・・・
父がこう言った・・・
母に兄弟と比べられた・・・
何々がどう言った・・・
もう
みんーな『相手が悪い』と。
『我は悪くない』と。
なんと
10割がそうやから。
『悪いのは誰かのせい』やと。

ええ大学に入れたのは誰のおかげ?
『いや、僕が努力したから』
そやなぁ
そこの大学に通えるように
してくれたんは誰?
バイトしたの?
『いえ・・・』
ほんなら
お父さん、お母さんやんな?
出たんやろ?大学。
『はい』
何で働かへんの?
並べる言葉は『ごたく』だらけ
突き詰めて
わずか60分聞いていたら
結局
あんた
やっぱり
自分がかわいいだけで
グータラっていう名前が
ついてるねん。

『怖い・・・((( ;゚Д゚)))』
怖い?
何が怖いや。
お前が一番怖いやないか!
親の年金で食うてるんちゃうの? 
『いや、こんな日本で・・・ね』
って
いや
ごめんごめん 
福利厚生
会社や制度
何かあったら
この国のお節介、お世話に、
なってるんやんか!
それが気にくわんねんやったら
日本から出て行きなさい。
日本から出て行って
生活したらよろしいやん!
って言うねん。

結果的に
責められてくるやろ?
自分が、かわいいから
自分を、守りたいから
自分が、楽したいからや・・・
っていうんじゃないねんで!
決して
楽してないねん。
悩んでから。
苦しんでるから。

どうしたいんや?って聞いたら
『自分で
 もうどうしていいか
 わかれへん・・・!』って
もう
自棄っぱちになるねん。

そのときは
もう
一旦
全部  
受け止めて
今までのことを
自分を
かなぐり捨てる勇気あるか?
って。
ニートやろ?
高学歴  関係ないねん。
低学歴  関係ないねん。
学歴ある 関係ないねん。
学歴なし 関係ないねん。

『自分が
 どれだけ価値のある人間か』
って
自分が自分で
認めない限り
他人が
認めるはずがない。
自分で自分のこと認めてないのに。

自分が
自分の価値を認めてあげなアカン。

それが
払拭できる年が『いのしし亥』です
今年です。

僕らは
『子どもに
 面倒見てもらわんでいいんや!』
っていう
親になっとかなアカンねん!

『一人で死んで逝くんやから』

ひとりで死んでいくんやで!

ひとりで死んでいくんやから
自分が死んだときに
『ああ!
 よくしっかり生きはったな!』
『これで
 片付けてくれということやな
 そうさせていただきます。』
言ってもらえるがわに
立っておかなアカンねん。

私たちは
『死に向かって生きています』
いい死にかた
いい迎えかたを
してもらえる自分を
『今』つくって
『今』やから出来るんや!と
いうこと。

それと
自分ならこれできる。
なのに
なんであの子はできないんやろ?
なんでこの人できへんねんやろ?
って思うやろ?

それ
いっさい言うな❗

その人が
できへんって
わかってるんやったら
自分が
やってあげなさい。

その人が
できへんねんやったら
なんでそこを
なんでや?って
『疑うな!』 
できへんねんやから。 

できて
気がついた人間が
さっさと
やってやったらいい。

そしたら
早よ片づくねん!
文句言わんですむねん!

『なんで
 お前これできへんねん?』
『なんでやねん?』
って
指摘ばっかりしとったら
感情だけ
イヤな感情だけが
残ってしまうんやがな!

全部 自分でしなさい!

ぜーんぶ自分でやったらいい!

『わし、しんどい!』

当たり前!

社長さんやねんから。
家長さんやねんから。
主婦やねんから。
父親やねんから。
母親やねんから。

『誰か助けてくれー』っていう

依存。

それが
強ければ強いほど
自分が
どれだけ頑張ったか
という評価を
過大評価してしまうねん。

一番
上に立っているねんから
一番
仕事して当たり前!
一番
お金稼いで当たり前!

家は
ちゃんと
片づけなさい

僕、さんざん言うてるやろ!

ものが多いから片づきませんねん
ものを減らしなさい。
そうしたら
ホコリのたたない
穏やかな
人生になります。


以上
2019年
今年 
始めの
お稲荷さまでの『法話』でした。

1月のCDには
その他
合わせて
三つの法話が入っています。
































2018年12月最後の『法話』です。

大変、遅くなり
申し訳ないです。m(_ _)m

⚫法話⚫

しあわせになるためには
みなさん
何が必要やと思う?
『しあわせになるため』には。

しあわせになるためには
『自分が所有できない欲を持つな』
ということです。

所有物が
多ければ多いほど
あれがなくなる
これがなくなる
あれが足りない
これが足りない・・・
たくさんお金があっても
健康でなく
悲しい思いをしてる人・・・

お金はなくても
元気が一番!って
楽しく
明るく生きてる人間・・・

さぁ
どちらが・・・?

両方とも
僕は
『どうでもいいかな』って
思ってるねん。

自分が良かって
自分が嬉しくて
自分が楽であったら
人が
どう思おうが
自分はいい。

でも
『ルールはある』

人とのルールは
ちゃんと
お互いに合わせもって
いないと
自分だけの生き方は
しあわせか?って言えば
身勝手なだけやから
決して
それが
しあわせの道には
繋がれへんねん。

だから
『私のしあわせ』ってなんや?
って
人と比べたら
こうなんかな・・・?
ああなんかな・・・?
ってなるけど

人と比べて
なんかいいことあるか?

人と比べたくなかったら
『人と比べる必要のない人間』に
なれへんかったら
いつまでも
そっから抜け出されへん。

でも
私が努力して
『この子のために
 何か気づかなあかんねん』
っていう努力はな
みんな認めてくれるねんやんか。
どこの世界でも。

子どものために・・・
この人のために・・・
あの人のために・・・
っていうのは。

でも
それは
自分に見返りを求めてる側と

見返りなんかいらんねん
自分がやりたいことを
その人のためにやるねん!

これ
いいことかもしれん。

でも
相手が求めているものと
こちらが差し出すものが
同一か?
同じものか?
いうことやわな。

別に
相手が
それを求めてないのに
これどうぞ
これどうぞ
これどうぞ!
って
言われたって
使い方がわかれへんかったら
それ
どうにもならへん。

よく言うやろ?
『宝の持ち腐れ』って。

『こんないいもの持っているのに
 なんでよう使わへんねん』

わかる?
宝の持ち腐れって・・・

『あんた
 こんなええとこあるねんで
 なんでこれを出さへんの?』

『いや・・・私は
 人前に出るような人間やないし』

人前に出るような人間じゃない
って
もう人前に出てんねんで!
人間として。
そうやろ?
ちゃんと世の中には
出てしまってるのに
『人前に出るような人間じゃない』
って・・・
『そりゃ人間じゃないよな
まだ
ものにもなってないねんから』
って言われたら
それで終わりやんか!

今まで生きてきて
何か
自分の購入したもので
どこかの
誰かの
命を救ったことある?

『過ぎたるは及ばざるが如し』

『品物』じゃないんよ
ここ (ハート) 。。。『心』

ここやで
ここ。

ここが歪んでたら
いいこと言おうが
いいもん聞こうが
いいこと考えようが
ここが
歪んどったら
すべて
『いいもん』じゃなくなるねん!

自分が先か
相手が先か
じゃない

私は充分これで満足してるから
これ以上あるものを
誰かに
差し渡す
というのが『愛』や。

そして
たった一度しかない人生
悩んで
苦しんで
妬んで
恨んで
悲しく生きる?
どんなことしたって
楽しく
笑って
生きなかったら
意味がない。

そう思わへん?
『美味しいなー♪これ!』
と言って生きるか
『これホンマに
 美味しかったんやろうか・・・?』
と言うて生きるか
この言葉の意味わかる?
食べてる最中は
『美味しい』って認識しとるねん
その姿が無くなったら
『これ美味しかったんかな・・・』
って言うてるねん。

わずかな間に
『感情』って変わるんや‼
ということを
自分自身でわかっとかなアカン。

これを
『移り変わり』って言うんです。
移り変わり
移り変わり・・・
なぜ
移り変わりが必要か
っていうのは
『これは私のものでは
 なかった』
『これは私のものにしたけど
 私に必要なものではなかった』
ということが
わかった地点で
『別なものに
 作り直さなアカン』ねん。
今、
一番 
必要なものは
何なのか?

適当に集めてきて
これが必要かどうか
なんて
結果が出ない限り
それが必要だったかどうか
わからへんねん。
でも
自分が
日にちを見て
結果的に
物事が動いてなかったら
『これは
 必要なかったものなんだ』と
判断を
いち早く
せなあかんねん!

私の心は『ここ』にあります。
これ『ここ』を
満たすように
私は努力していきます。
私は
『ここ』を
ちゃんと戒めとして
生きていく私を
自分で作りたいと
思っています。
さぁ
私を
どのように
私を雇いますか?

というくらいの
人間に
成らへんかったら
意味がないやん!

いい学校
いい成績
いい学歴
なんかいらんねん!

『いい教育』は必要。

自分が
自ら
何を『学ぶ』か。

すべて
『自分の思考』次第ということに
早く
気づき
早く
『思考』を作り直せる自分に
変えていく努力を
実行するか 
しないか

移り変わる感情を
コントロール出来るように
努力するか
しないか

いい話を聞いても
実行するか
しないか

そこです。



以上
2018年
最後の『法話』でした。

CD
2018年
12月の法話に収録されてます。










どんなことがあっても
わたくしたちから
皆さまを
裏切ることはございません。
どうぞ
何でも託して下さい。
でも
出来ることと
出来ないことは
はっきり
申し上げます。
特別扱いすることは
私からは一切ございません
皆さん
同じです。
特別に
その方だけに
って僕は一切しません。
それが
『みな平等』

私の育ての親が
よく言うておりました。

富める者、、、
金持ちであろうと
貧しき者であろうと
中流の者であろうと
『帰るお里』は
みな同じである。

現世の
この世の中で
自分は
不満を持って
生きるようなことはせず
己れの出来ることを
精一杯して
そして
帰っておいで。と。

くだらぬ悩み事で
己れの人生を
悔やみ
哀しみ
苦しみなど
持っても
何の意味もない。


生き方ひとつである。

どんなことでもいいから
丸裸の自分で
生きてみなさい。

世間の人々は
見てるようで
何一つ見てませんよ。

自分が
人とのルールさえ
しっかり
守っておったら
人から
道から
外れることなく

己れの考え方一つで
前の道が閉ざされ
前の道が開き
前の道が
川を渡る橋となるかも知れません

己れ一人の考え方なんです。

私が
どうであろうと
生きていくために
自分が
どんなけ努力するか。
です。

貧しき者も
富める者も
中流の者も
『戻る里は同じ』です。

胸を張って帰れる自分で
ありますように。

人より
努力して
当たり前

人より努力して当たり前なんです。

でも
人のものを奪ってまで
自分のものを
追いかぶさるような生き方は
人ではありません。

いずれ、自分に返ってきます。

誰かを愛する
ということは良いとこです。
でも
そのたびに
自分と
その人の『好き』と『嫌い』
を計りにかけて
『私はこんなけ好きやのに
 あなたはどうなの?』
って言われても
自分の産んだ子どもでさえ
自分の愛した夫でさえ
私の好きと
相手の好きとは
物凄い
差があって当たり前です。

その差を
自分のものにしよう
などと思わず
『私の好きなように
 あなたを愛します。
 だから
 あなたは私に
 苦労をかけることなく
 あなたは
 自分の人生を生きて下さい』

苦労ってわかる?
苦労ってわかるかな?
苦労っていうのは
自分の嫌なことを
させられて
重ねることを
苦労って思ってはるやろ?
それは
苦労ではなく
自分の選んだ道を
自分で好きでしてるから
それが
苦労となるんや。
ところが
自分の好きなことを
やってるときには
何の違和感もなく
それに努力できるやろ?
苦労は
己れの逃げ道です。

わかりますか?

苦労という言葉は
『己れの逃げ道』ですよ。

自分より
苦しい人はいっぱいおる。
自分より
幸せな人間もいっぱいおる。
でも
本当にみんな
丸々
幸せで生きてるんやろか?

どんなに幸せであろうと
『不満』はある。

だって
神様の中でも
八百万の神様
火の神
水の神様
国ゆずりの時に
大国主命と
天照大神が
大国主命はヨミの国を守る
では
天照大神よ
お前は人の国を守れ
と言って
明と暗に別れてきた。
その時に
別れたときに
うんこの神様までおるねん
おしっこの神様
タンの神様までいるんやで
ようするに
人から出るものは
すべて
『神』なり。

わかってる?

私たちは
『神のしるし』として
生まれて来てるねん。

『神のしるし』として
生まれて来てるのに
『我、神に等しいか?』と
問いかけてみて下さい。
私の生き方、考え方、育て方。
『我は神』と思うて
『私は神に等しいか』って
己れの生き方を見てください。

それで
『神に等しくない』という
ところを
伺い知れたなら
それを『正して』まいりましょう

誰よりも美しく
なんて
無理です。

我が一番美しいんやから。

そやろ!

みんな
自分のことだけを
考えてるから
人のことが気になるんや!

『己れがどう思われたいか』
と思うておるから
人のことが気になる。

いいか

人はそこまで見てない。
そこまで気高くない。
もっと
自分らしく
人間らしく生きたらいい。
丸々の
自分を出して。な。

みな
それぞれ
や。

いいですか?

みな
それぞれ
やで。

人より劣ってる。
人より貧しい。
人より美しくない。
人より努力が足りない。
そこを
認めて
わかったなら
『自分が神なり』と思うて
『私は神に等しいか?』と
思うて問うて生きなさい。

そしたら

人よりも
ゆっくり
穏やかに生きれます。

いいですか

『人』がどう思おうと
どうでもいい。
『我』がどう生きるか

いいか

我がどう生きるか や。

人がどう思うかなんて
どうでもいい。
でも
自分の努力は
人より
して当たり前。

人と比べるから
己れが苦しくなる。

いいか?

誰かに
物事を教わったら
それが
『宝物』や!

しかし
『己れの努力』は
誰にも奪われない!

自分が
精一杯
努力したものは
誰も
奪うことが出来ない。
でも
それを
簡単に捨てるのも『自分』
やで!

わかるか?

今まで
つちかったものを
ドブに捨てるのも『己れ』や!

人から
どう思われようと
『私はこうして生きる!』
という
自分を出せい!

そうせんと
生きた意味がない!



以上
不動明王様での
力強い
思いの込められた法話でした。

11月の『法話』CDに
収めてあります。
ぜひ
赤門先生の
力強い声を聞いてみて下さい!

















重複しますが
新しい祈りの場所に関する
お知らせです。

先日
お伝えしました通り
毎月4回の『行事』
 ⚫第1日曜日 法話
 ⚫第2日曜日 薬師様の鳴り釜
 ⚫第2水曜日 お稲荷様の護摩
 ⚫最後の日曜日お不動様の護摩
の開催日時は今まで通りです。

12月21日 金曜日 1時
『落慶法要』の日より
新しい場所へ移動して執り行うことになりました。

新しい祈りの場所は
阪神『尼崎駅』の隣駅である
阪神『大物駅』から
徒歩6分のところになります。

今の尼崎のお寺から
歩いて行くと15分くらいの
距離にあります。

新しい祈りの場所の周辺は
一切
⚠駐車場🅿がありません。
お車でお越しの方は
大物駅周辺
もしくは
最寄りの駐車場🅿を
探して頂き
そこから
歩いてお越しくださるよう
よろしくお願い申し上げます🙏

新しい場所の行き方、
詳しい住所や地図は
尼崎のお寺に置いてあります。
必要な方は
取りに行って頂ければ助かります。

なお
移転準備で
晃眞先生ご多忙のため
移転場所の
電話でのお問い合わせは
出来る限り
お控え頂きますよう
何卒🙇
よろしくお願い申し上げます🙏

お寺での
『落慶法要』は 
滅多に参加出来ない
静粛な
喜ばしいお祝い行事となります。
あまりカジュアル過ぎない服装で
堅苦しくない程度の
清楚な服装で
お越し頂ければ幸いです。🙏
とのことです。

落慶法要につきましては
『落慶法要』で🔍検索して頂くと
一般的な詳しいことが載っている
かと思います。

これから
新しい祈りの場所は
月4回の
行事の日のみしか
使用されませんので
お忘れ物のないよう
また
出来るだけ
ゴミは各自で
お待ち帰り下さいますよう
よろしくお願い申し上げます🙏








⚫行事の場所移転に関する
    重要なお知らせです⚫

すでに
先日25日の不動護摩にて
皆様に
配布されましたとおり
来年2019年1月より
『毎月の月行事』のみ
開催される場所が
移転されます。

移転場所の地図は
今の尼崎に常時あります。
必要な方は
取りに行って頂ければ幸いです。
移転場所の詳細の
お電話での
問い合わせは
極力
控えて頂きたいとのことです。

年内12月の行事は
今の尼崎にて
行われますので
場所がわからない方は
その際に
新しい場所の地図を
受け取って頂ければ
助かりますとのことです。

12月の行事
⚫12月2日 日曜日 尼崎にて
   赤門先生の法話
⚫12月9日 日曜日 尼崎にて
   薬師様の鳴り釜
⚫12月12日 水曜日 尼崎にて
   お稲荷様の護摩供養
⚫12月21日 金曜日
   『落慶法要』 1時より
   新しい祷りの場にて
   
✳注意
⚫12月30日 日曜日の
   不動護摩はありません。


新しい祷りの場へ移転に伴い
『落慶法要』が
12月21日 
金曜日 
1時より
執り行われます。
平日となりますが
お誘い合わせの上
皆さま、ご参加頂けますよう
よろしくお願い申し上げます。
新しい場所は
今の尼崎のお寺に
新しい住所を載せた地図があります。

⚫12月21日落慶法要をはじめ
来年1月より
『すべての行事』は
この新しい祷りの場に
移転して執り行われます。

⚫なお
ご神託』に関しましては
今まで通り
『尼崎』の場所でされます。

来年1月からの
行事の開催日程も今まで通りです。
ただし
⚫1月6日の法話はありません。
⚫1月9日 第2水曜日 11時
お稲荷様の護摩供養より
新年度行事は開催される予定です。

お間違えのないよう
よろしくお願い致します🙏

⚠新しい場所に移転しましてからは
ゴミは各自でお持ち帰り頂きますようよろしくお願い致します。
⚠行事が終わりましたら
くれぐれもお忘れ物の無いよう
ご確認のほどよろしくお願い致します。