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マスメディア報道のメソドロジー

マスメディア報道の論理的誤謬(ごびゅう:logical fallacy)の分析と情報リテラシーの向上をメインのアジェンダに、できる限りココロをなくして記事を書いていきたいと思っています(笑)





極悪非道の戦争犯罪者であるロシアのプーチンが仕掛けたウクライナ戦争を契機にして、日本国民およびその基本的人権を守る国家の【防衛 defense】について再点検することが急務となっていますが、その際に問題となるのが、多くの日本国民が「安全」を表す2つの概念である【セキュリティ security】【セーフティ safety】の違いを正しく理解していないことです。防衛事案に対して、実現可能性のない理想論を道徳的に振りかざす日本のナイーヴ過ぎる過激な【お花畑】の本質的な要因は、言論空間においてこのセキュリティとセーフティという異なる概念が混同され、有効な議論に至らないことにあると考える次第です。これまでに何度かこの違いについて説明してきましたが、ここでもう一度簡潔に説明したいと思います。

「セキュリティ」も「セーフティ」も【リスク risk】を低下させて「安全」を構築する際の概念です。

リスクとは、【ハザード=危機的要因 hazard】に起因して特定の【生起確率 probability】【ぺリル=危機的事象 peril】が生起することで発生する【損害 damage】【期待値 expectation】のことであり、次式で定義されます。

リスク = 危険的事象の生起確率 × 危険的事象による損害


この場合、リスクを低下させるためには、少なくとも、危険的事象の生起確率を低下させるか、危険的事象による損害を低下させることのいずれかが必要です。ここに、危険的事象の生起確率を低下させる安全の概念を「セキュリティ」、危険的事象が生起した時にその危険的事象による損害を低下させる安全の概念を「セーフティ」と言います。巷に溢れている「セキュリティとは人為的な脅威に対しての安全であり、セーフティとは自然的な脅威に対しての安全である」というのは、科学的な定義として妥当ではありません。

ここで、わかりやすいように「コロナによる死」を例にして説明します。コロナ死のリスクは次式で示されます。

コロナ死のリスク=コロナの感染確率 × コロナによる致死率


この場合、コロナの感染率を低下させるのがセキュリティ、コロナによる致死率(コロナに感染した患者が死亡する確率)を低下させるのがセーフティです。このために日本政府が行ったセキュリティ対策は、人流の抑制・飲食店の営業自粛・マスク着用の厳行・ワクチンの接種(感染抑制目的)などであり、セーフティ対策は、ワクチンの接種(重症化抑制目的)・病床の確保・治療薬の確保などです。これらは、必ずしも正しい対策であったとは言えませんが、考え方としては、コロナに罹らないようにセキュリティ対策を行い、コロナに罹っても死なないようにセーフティ対策を行っているのです。



さて、ここからは本論の防衛問題について考えてみたいと思います。防衛問題で最も回避すべき「戦死のリスク」は次式で示されます。

戦死のリスク=戦争の発生確率 × 戦争による致死率


この場合、戦争の発生確率を低下させるのがセキュリティ、戦争による致死率(戦争に巻き込まれた市民が死亡する確率)を低下させるのがセーフティです。

このときに国家が行うセキュリティ対策は、戦争を起こさないための措置であり、多くの先進国は【集団的自衛権】の枠組みへの参加と【核の傘】への依存を通して、戦力投射が不可能な強大な軍事同盟から回避が不可能な強大な反撃を受ける【恐怖 fear】を侵略国に認識させることによって戦争を抑止しています。侵略国の同盟国への攻撃は、同盟全体への攻撃とみなされるため、同盟全体と対峙しても利益を得る可能性がない限り侵略国が攻撃する論理的な理由はなくなるというわけです。

さて、日本は1960年から【日米安全保障条約】による米国との同盟関係がありましたが、それを具体化して強固にしたものが2015年に成立した【安保法制】による集団的自衛権の行使の法制化でした。安保法制の制定にあたっては、日本の防衛よりも党利党略を優先した野党と、日本の防衛よりも政府批判を優先したマスメディアと、日本の防衛よりも自己呈示を優先した左翼活動家という日本が誇る超お花畑集団の【情報操作】【印象操作】【認知操作】による常軌を逸した抵抗がありましたが、3回の国政選挙で示された民主主義における多数決の原則によって成立するに至りました。

安保法制の成立を阻止した日本の憲法9条信者のセキュリティ対策とは何かと言えば「憲法9条によって戦争放棄をしている道徳的に優位な日本は、話し合いをすれば侵略国に攻撃されることはない」というものであり、非武装の丸腰こそが最も安全であると主張するものです。この主張は侵略者の性善説に立つものであり、保証が完全欠如していますが、彼らは主張への反対論者を「狂気の軍国主義者」と見なして悪魔化することで日本国民に非武装を強要してきました。その「丸腰こそ最も安全」というカルト的な信仰が幻想であったことは、日本の隣国でもあるロシアのウクライナ侵略で証明されたと言えます。実際、ロシアの左派政党「公正ロシア」のミロノフ党首は「ロシアは北海道に権利を有する」とまで宣言しているのです。

一方、国家が行うセーフティ対策は、戦争が起きた時に国家が国民を守るための措置であり、多くの先進国は、国家自体が持つ緊急事態法制に従って反撃するとともにセキュリティ対策として既に保障されている集団的自衛権の発動の下に各国との共同戦線を形成することでセーフティを確保しようとしています。加えて市民も国家の指導に基づき民間防衛を開始することがプログラミングされています。

日本の場合は、自衛隊法、安保法制によって改良された各種事態法、そして民間防衛としての国民保護法がありますが、いずれも米国が助けに来るまでの時間稼ぎが主な内容であり、そこには国民を保護する【防衛戦争】としての合理的な戦争計画が欠如しています。その根本的原因は、セキュリティとセーフティを混同しているために頭の中の整理ができず、「憲法に抵触することを恐れる」という本末転倒な理由でセーフティ対策を議論してこなかったことによるものと考えます。日本の殲滅を目標とする侵略国の野望を打ち砕く防衛戦争を展開するためには、クラウゼヴィッツも論じるように戦況が好転することなく悪化の一途を辿ることになる純粋な防衛だけでは限界があり、軍事力を行使した侵略国への牽制が必要なのです。

日本が誇る超お花畑集団による丸腰のセキュリティ対策はセーフティ対策にはならず、プーチンのような極悪非道な殺人者の前では、多くの無防備な国民の死を意味することになります。憲法9条信者の丸腰戦略を行なえば、セキュリティが突破された時点で侵略者の奴隷になる以外に生きる道は閉ざされるのです。



さて、防衛におけるセーフティ対策の効果は、事前に判明しているものではなく、多くのゲームがそうであるように、軍が保有する戦争装備品と軍が展開する戦術との相互作用によって決定します。今回のウクライナ戦争でもそのことが顕在化しています。

NATO加盟の夢が叶わずセキュリティ対策が不十分であったウクライナに対して、ロシアはセーフティ対策も不十分であると判断して侵略を開始しました。しかしながら、ウクライナのセーフティ対策は必ずしも脆弱ではなく、ロシア軍を引き込んで叩くという防衛戦争の戦争計画によって北部の領土を回復しました。ウクライナの殲滅を狙った戦争計画で進軍したロシアに対して被害と消耗をもたらして領土を防衛したウクライナは短期的な防衛戦争に勝利したと言えます。ただし、極悪非道のロシア軍を国土に侵入させてしまった結果、不幸にも民間人の虐殺事件が発生してしまいました。これは【戦争犯罪】に他なりません。

その戦争犯罪を根拠にロシアと妥結するような世論を形成しようとしているのが橋下徹氏と玉川徹氏のようなテレビのコメンテーターや鈴木宗男氏です。専制国家ロシアとの妥結は、国家に君臨する極悪非道かつ約束不履行の戦争犯罪者であるプーチンとの妥結を意味し、彼に利する何かしらの譲歩が必要となります。ロシアのプロパガンダを分析して常識的に考えれば、それはウクライナの一部東部領土についてロシアの実質的支配権を認めるものであり、そのことは、恐怖支配による一部住民に対する精神的・身体的自由権や社会権(生存権・生活権)といった基本的人権の蹂躙を意味することになります。論理的に履行可能な具体的条件についてのアイデアもなく、ウクライナとNATOに対して道徳違反であるかのように非難した上でロシアと妥結するよう要求することは、戦争犯罪者であるプーチンに与することに他なりません。

重要なことは、セキュリティはセーフティとの相互作用で強化され、セーフティもセキュリティとの相互作用で強化されるということです。命を左右する戦略的ゲームに対して論理的に取り組んだこともない素人が、「妥結すれば何とかなる」といった何の保証もないお花畑な認識をふりかざしてリアリストを気取るのは明らかに有害です。

現在のところ、この戦争犯罪を抑止する方法としては、各国による強固な経済制裁が戦力投射能力を低下することに有効であることが確認されています。国連はロシアからの地位の剥奪と集団安全保障について議論するのが必要でしょう。いずれにしても、各国には最終兵器を持つ戦争犯罪人と対峙する覚悟が必要です。



最後に、日本の防衛の大戦略としては、NATOおよび豪州といった価値観を共有できる国々とのフルスペックの同盟関係を構築し、軍事インフラを共有することが政治的にも経済的にも最大のコスト・パフォーマンスを発揮する効率的かつ効果的でな方策であると考えます。

極悪非道な侵略国に対して有効なセキュリティ対策は、侵略すると利益よりも損害が上回ることを強大な同盟のコミットメントによって認識させることであり、有効なセーフティ対策は、侵略しても有効な損害を与える前に絶望的な損害を受けることを科学的データによって認識させることしかないのです。

2022年3月7日、「自衛隊は違憲である」と主張する日本共産党の志位和夫委員長が「急迫不正の主権侵害が起こった場合には自衛隊を含めて、あらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守り抜く」と述べました。ついにここに来て、お花畑のド真ん中で「憲法9条はセキュリティ対策になる」と瞑想していた超楽観主義者が「憲法9条はセーフティ対策にならない」ことに気付いたものと考えられます。




国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)によれば、ロシアの侵略が始まった2022年2月9日から3月8日までの期間、ウクライナにおいて少なくとも29人の子供を含む474人の民間人がロシア軍に殺害されたことが確認されました[CNN]。彼らの殆どは、ロシアが使用した重砲・多連装ロケットシステム・ミサイル・空爆による被害者であり、力による一方的な現状変更の犠牲者に他なりません。米国防総省の発表によれば、ロシアは民間人の犠牲をいとわずに不正確に標的を狙う無誘導爆弾を使用している可能性があります[The Times]

無実の人間を殺す行為が悪であることは人類共通の道徳としてアプリオリに認識されていますが、国際法違反である一方的な力による現状変更を全世界の衆目の下で行っているロシアの軍人も、当然そのことを認識していながら民間人を殺害しているものと考えられます。彼らは「殺してはいけない」という【義務論 deontology】よりも優先する何らかの考えに従い、「ウクライナの民間人を殺害する行為は合理的である」と判断したものと考えられます。

この記事では「戦争とはそういうものである」という思考停止に陥ることなく、「道徳」と「倫理」の観点から、彼らが無実の民間人を殺す心理状態について考えてみたいと思います。


道徳と倫理

まず考察を行う前に「道徳」と「倫理」という概念について確認しておきたいと思います。

「道徳」と「倫理」はいずれも「すべきである」「すべきでない」という言葉で表現される【規範 norm】です。ここに「すべきである」は【善 goodness】、「すべきでない」は【悪 evilness】にそれぞれ対応します。

まず、【道徳 morality】とは、自分と他者で構成される社会がもつ規範です。

この規範は、私たちが社会で生活する権利である基本的人権を守ってくれます。例えば、「他者を殺してはいけない」「他者の生活を邪魔してはいけない」「他者の所有物を盗んではいけない」「他者をみだりに拘束してはいけない」という規範を社会が共有すれば、自分および他者の生存権・生活権・財産権・自由権がそれぞれ守られることになります。

このような利得を享受するため、私たち人間は、概ね道徳に従って生きています。この価値を共有する人々で構成される社会は【共同体 community】と呼ばれます。逆に言えば、道徳は共同体内部の人間の関係を司る規範であると言えます。さらに言えば、道徳に反する行為を共同体内で犯した人物は何らかの社会的制裁を受けることになります。

一方、【倫理 ethics】とは、社会とは無関係に存在する個人の価値判断に基づく規範です。

個人の価値観は多様なので、その規範である倫理は、個人に固有のものであると言えます。したがって、倫理の持主は基本的に個人であり、構成員の価値観が一致する場合のみにおいて集団が倫理を持つことが可能となります。

ウクライナ攻撃を命令して民間人の生命・生活・財産・自由を奪っているプーチンの侵略行為は、自分が欲する利益を優先させるため、ウクライナ国民の基本的人権を侵害しているので、少なくとも「ウクライナの道徳」に反しています。また、国連総会における非難決議に加盟国の7割超にあたる141か国が賛成(反対は5カ国)したことから「国際社会の道徳」にも概ね反していると言えます。

加えて、世界中の多くの個人が非難しているプーチンの行為は「各個人の倫理」にも反していると言えます。この各個人には、侵略の被害者であるウクライナ国民一人一人をはじめとして、侵略を非難する日米欧などの一般市民、そして侵略反対デモに参加するロシア国民などが含まれています。


民間人を殺す行動原理

このように、プーチンの侵略行為は、一般社会の道徳や多くの個人の倫理に著しく反していることは自明ですが、ウクライナ侵略はけっして止まりません。それは、ロシア軍がプーチンの命令通り、侵略行動を実行しているからです。

たとえ軍人であっても、プライヴェイトでは一般社会の道徳の中で暮らしているため、ウクライナの民間人を殺害する自分たちの侵略行為が一般社会の道徳および多くの個人の倫理から大きく逸脱していること、つまり、道徳的・倫理的判断としては著しく不合理であることを認識しているのは自明です。

にも拘わらず、ロシアの軍人はなぜウクライナの民間人を「殺せる」のでしょうか?

その理由としては、(1)ロシアの国民としてロシアの国益を優先している、(2)一般市民として個人の倫理を追及している、(3)ロシアの軍人としてプーチンの命令に従っているといった行動原理が考えられます。以下、それぞれについて詳しく見ていきたいと思います。


ロシアの国益優先

まず(1)の行動原理は、ロシアの軍人がロシアの国民としてウクライナの民間人の命よりもウクライナ領土を占領する国益を優先しているというものです。

地政学的な環境から考えれば、欧州向けの天然ガス・パイプラインの要衝で黒海にも通じるウクライナを侵略することはロシアにとって単純に政治的・経済的利益となります。しかしながら、国際法違反の一方的な現状変更によって利益を大きく上回る大きな政治的・経済的代償をロシアが支払わなければならないことを軍人も同時に認識しているものと考えられます。加えて、仮にロシアがウクライナを占領したところで、その政治的・経済的利益をロシアが享受することを国際社会は認めないはずです。

また、プーチンは軍事作戦の理由として「ロシアの自衛」を目的にしているかのように主張していますが[ロシア大統領公式ウェブサイト]、まず侵略を受けた当事国であるウクライナにはロシアの領土に軍を展開して維持する【戦力投射能力 power projection capability】がないのは自明であり、ロシアへの侵略が不可能であると同時に侵略を行う合理的動機もありません。また、ロシアが軍事的脅威とするNATOは【集団的自衛権 right of collective self-defense】のフレームワークであり、常任理事国ロシアの反対で国連決議が絶対に可決しない状況下において、NATO加盟国に対して領土を侵略しない限りロシアがNATOに侵略される可能性はありません。そのことはロシアの軍人も当然認識しているはずです。

このように、常識的に考えれば、ロシアの軍人が国益に貢献すること自体を民間人殺害の行動原理にすることは考えにくいと言えます。


ウクライナの道徳の否定とプーチンの倫理の肯定

次に(2)の行動原理は、ロシアの軍人がウクライナ人の民間人の命よりもロシアの正義を優先する【帰結主義 consequentialism】の倫理を追及しているというものです。

【プロパガンダ propaganda】に長けたプーチンは、テレビ局のRT、通信社のスプートニク、SNS等を利用して国民向けの情報操作・心理操作・倫理操作を展開しています。プーチンのプロパガンダは大きく2つに分けられ、一つは敵の【悪魔化 demonization】、もう一つは味方の【偶像化 idolization】です。

<敵の悪魔化>
■ゼレンスキー政権はネオナチだ
■米国はNATOを東方に拡大しないと約束した
■ウクライナ東部でロシア系住民のジェノサイドが行われた
■ウクライナは生物兵器を開発している
■ウクライナは核兵器を開発している
■ウクライナ軍が最初に戦争を始めた
■ウクライナの被害は自作自演だ
■西側の制裁強化は宣戦布告だ

<味方の偶像化>
■ロシア人とウクライナ人は歴史的に一体だ
■ロシア軍はウクライナには侵攻しない
■ウクライナ侵攻は自衛のための特殊作戦だ
■ロシア軍の攻撃対象は軍関連施設のみだ
■ロシア軍はウクライナの都市を空爆していない
■ウクライナ戦争は西側のでっち上げだ

これらはいずれもロシアの侵略を【正当化 justification】あるいは【弁解 excuse】する明確な虚偽、好都合な認識、そして検証不可能な情報で構成されています。これによってプーチンは、ウクライナの道徳を否定し、プーチンの倫理を肯定しているのです。

プーチンが国内メディアを完全に掌握して徹底的な情報統制と情報操作を行う中、多くのロシア国民はプーチンのプロパガンダをそのまま受け入れてしまっているものと考えられます。そしてそれ以上に、行動を完全に管理された軍人に対してはより厳格な情報統制と情報操作が行われていることは自明であり、彼らの洗脳を解くことは極めて困難であると考えられます。

そもそも、ロシア国民にとってプーチンは、エリツィンの急激な新自由主義経済の失敗によって極度に経済が低迷して財政が悪化した1998年のデフォルト時に彗星のように現れたカリズマです。プーチンが大統領に就任後、米国911テロと湾岸戦争が発生し、幸運にも石油価格が数年にわたって右肩上がりに上昇、石油輸出で成立しているロシア経済は顕著な成長を続けました。その後2014年のクリミア併合によって人気を得たプーチンは「偉大なロシアの復活」という【ナショナリズム nationalism】を刺激する勇ましいスローガンを掲げた【ポピュリズム populism】によって、国民の圧倒的な支持の下に政治的統制と経済的統制を強める【全体主義国家 totalitarian state】を確立し、【独裁者 dictator】として君臨するようになったのです。

軍人は自らの攻撃によって罪もない民間人が殺害されていることについては百も承知であると考えられますが、プーチンによる洗脳を解くことは簡単ではありません。ロシアの軍人にとって、プーチンのプロパガンダは、【加害 assault】については認めるものの倫理的な【責任 responsibility】については認めない「弁解」の根拠を与えているのです。


「命令に従う」という安易な責任回避

(3)の行動原理は、軍人が国益・倫理も考えずに思考を停止してプーチンの命令に従っているというものです。今回のウクライナ戦争におけるロシアの軍人について言えば、私はこの行動原理が圧倒的に強いと考えています。

極限状態に置かれた個人は、他人から命令されると自分の倫理的責任を回避できると考え、たとえその命令が理不尽であると認識していても簡単に服従してしまうことが【ミルグラム実験(アイヒマン実験) Milgram experiment】という有名な社会心理学実験によって立証されています。

第二次大戦中のドイツにおいては、このメカニズムによって、国民が残虐なナチスを支持し、軍人がジェノサイドを行い、普通の若者が突撃隊や親衛隊となって極悪非道のヒトラーに服従したのです。彼らは倫理的責任を放棄していたため、戦後は疑うこともなく戦争や虐殺の責任をすべてナチスに転嫁し、自己責任を回避しました。しかしながら、客観的に見れば、その熱狂的行動は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という【集団極性化 group polarization】における【リスキーシフト risky shift】であったものと考えられます。

(1)(2)の行動原理は、最終的には自らの責任に基づくものであり、すべてが検証される戦後になれば、罪のない民間人を殺害した責任を回避することはできませんが、(3)の行動原理に従えば、加害の実行者も戦後は善良な市民に戻ることができるのです。しかしながら、それは見せかけに過ぎません。プーチンに好き放題させる状況を作ったのは、彼を熱狂的に支持した一人一人のロシア国民に他ならないからです。

このように、思考停止して独裁者の命令に従うという善良な市民の安易な責任回避こそが侵略戦争の狂気の本質であると私は考えます。


安易な責任の回避は現在の日本でも

さて、実は現在の日本でも、このような市民の責任回避が堂々と行われています。戦争とはまったく次元が異なるのが救いですが、コロナ禍の日本国民は、日本政府にコロナ対策という命令を出させることで、自ら考えてコロナと対峙する責任を回避したのです。

2021年12月のNHK世論調査によれば、岸田政権のオミクロン株の発生に伴う外国人入国禁止措置について、日本国民のなんと8割以上が日本の鎖国を望みました。2022年1月のNHK世論調査によれば、岸田政権の内閣支持率は7%上昇して57%、政府の新型コロナ対応については「評価する」が65%、まん延防止等重点措置については「拡大が必要」が58%という結果が得られました。この期に及んでも多くの日本国民は国民を束縛する「ゼロコロナ政策」に突き進む岸田政権を強く支持たのです。

岸田政権が科学的には根拠がないゼロコロナ政策を突き進んだのも、ワイドショーがゼロコロナ推進報道をやめないのも、ワイドショーに洗脳された多くの国民がゼロコロナを目的化してしまったからに他なりません。コロナ禍で最も懲りていないのは明らかに日本国民です。極めて深刻なことに、日本国民はコロナ禍を通して【自由 liberty】を求めることなしに、政府から私権制限を含む【命令 command】を受けて【服従 obedience】することを自ら求め続けたのです。

思えば日本国民は、私権制限に最後まで慎重であった安倍晋三首相と菅義偉首相に対して、「気の緩み」を防止すべく、科学的には効果が期待できない「人流抑制」を柱とする緊急事態宣言の発令を強く求めてきました。特に、菅首相に対しては「言葉が伝わらない」とブチ切れ、自らの自由を束縛する命令をするようヒステリックに求めたのです。

そもそも日本国民が気を緩めずに自粛するのが合理的であると考えていたのであれば、日本国民自らが気を緩めずに自粛すればよかっただけであり、菅首相に「気を緩めずに自粛して下さい」と言わせる必要はなかったはずです。

あまりにも幸福に生まれて災害に遭遇する以外には危機を知らない日本国民は、危機に際した時に責任ある行動をとることができず、全ての責任を政府に転嫁するため、政府に命令を求めたものと考えられます。極めておバカなことに、命令に飢えていた日本国民はテレビのワイドショーのコメンテーターの命令に従順に従いました。そして、コロナの波が到来して蔓延するたびに政権の支持率は低下しました。日本国民は自然現象であるコロナの蔓延を日本政府の責任にして罵倒したのです。

コロナ禍の場合には、日本国民に脅威を及ぼした相手はコロナウイルスという意思を持たない存在であったため、何とか騙し騙し対応してきましたが、日本侵略を狙う悪意ある覇権国家や日本の弱体化を狙う策謀国家などを相手にした場合には、このような日本国民のナイーヴな思考プロセスは国家の致命的な脆弱性となりかねません。今こそ日本国民は、自らに迫る危機に対して自らが責任を持つという意識改革を行う必要があります。危機はいつやってくるかわかりません。




TBS夕方の報道番組『Nスタ』で井上貴博アナが、新規陽性者数の悲観報道に終始したコロナ報道の自己批判とコロナ報道の在り方に関する提言を連日にわたって展開しており、その発言をニュースサイトの[スポーツ報知]が連日にわたって報じています。

本稿では、第5波のピークが観測された2021年8月から現在に至るまで、スポーツ報知の記事を参照することで一連の井上アナの発言を分析し、そのドラスティックな変化を検証しました。以下、時系列順に見ていきたいと思います。なお、発言の日付はすべて2021年のものであり、カッコ内の数字はその日に発表された東京都の新規陽性者数を表します。(冒頭写真は『スポーツ報知』記事のスクリーンショット)

08/02(2195)
先週は倍で増えてきましたが、今日もまた増えました。7日間平均も3200人台に乗ってきました。先が見えないというところが心配なところなんですが。

08/05(5042)
緊急事態宣言が機能していないのは明白です。

08/06(4515)
先週の金曜日から1000人強増えました。明日から3連休。その後、お盆に突入するとなると、これからさらに増えるだろうという状況が続いています。

08/11(4200)
新規陽性者は4200人です。陽性者の数だけ見ますと、先週の水曜日とほぼ同じ。重症者は197人と過去最多です。

08/13(5773)
過去最多です。先週の金曜日から1000人以上増えました。陽性率を考えますと、検査をもう少し増やすことができるのであれば、陽性者ももっと多く出てもおかしくないと言うことを専門家が指摘しています。緊急事態宣言の効果が効かなくなりまして、お盆を迎えました。

この時期は、7月28日をピークに報告ベースの実効再生産数(中央7日移動平均)が急速に減少していた時期にあたります。感染者数の「加速度(2階微分)」である実効再生産数が急減しているということは、それを抑止する「力」が継続的に作用していたことになります。「先が見えない」「緊急事態宣言が機能していない」「お盆に突入するとさらに増える」は不安を煽る単なる憶測であり、報道として適切ではありません。



このような時間変動の報道で最も重要なのは、将来予測に有効な「新規陽性者数の増加度合い(実効再生産数)の変化」であり、たとえ微分の知識がなくても義務教育の知識があれば、エピカーヴから増加傾向が鈍くなっている異変に気付くことはできたと考えられます。この程度のことを認識できない日本のテレビが感染状況を妥当に予測する判断能力を持っていないことは明らかです。そんな中、テレビは毎日のように「過去最高」というパワーワードを叫び続け、国民を不安のどん底に陥れました。一度過去最高を記録した波の上昇局面において「過去最高」が続くのは当然のことです。もう一度言いますが、感染状況の将来予測に重要なのは、感染速度(新規陽性者数)の変化の傾向、つまり感染加速度(実効再生産数)の変化です。

08/16(2962)
今週の推移を見ていく上で月から火曜の辺りである程度、頭打ちになるのか。はたまたお盆の結果が来週辺りに出てきますので、陽性率を考えると、まだ増えていくのか、検査との兼ね合いをしっかりと見ていく必要があります。緊急事態宣言から1か月で延長もやむなしとなっています。

08/17(4377)
大変、重要な局面を迎えています。2600人台だったところから、4300人台にまで増えました

08/18(5386)
水曜、木曜日は行政検査の分母も増えますので、陽性者も多く出がちですが、昨日から1000人以上増えました。入院できないという方もふくれ上がっています。自宅療養者をどうケアしていくのかが問題です。

08/19(5534)
様々な計算法はある中で今、東京都の実効再生産数は1.1ほど。そして、陽性率が高いので日々出てくる人数というのは、これからも上がっていくと言われています。先週のお盆の結果が来週あたりに出てきます。8月中は小学校、中学校がお休みですが、9月以降の学校の再開をどうしたらいいのか(の声)も学校長などからポツポツ出始めました。

お盆・正月・連休中は報告数が自ずと少なくなり、連休後に陽性者数が一気に計上されるという現象が起こりますが、マスメディアはその見掛け上の増加だけをことさら強調するので、実効再生産数がわずか1.1と増加がほぼ鈍化した状況であっても、あたかも急上昇したかのようにとりあげて大騒ぎしてきました。この頃の『Nスタ』の報道はまさにその典型ですが、大局的に見れば、実効再生産数は1.7から1.1に急激に下降し、感染は収束に向かっていたのです。これはこの時点よりも2週間前の状況であり、しかもそれより過去約3週間にわたって事態は好転し続けていました。基礎的な知識を持っていないテレビが「緊急事態宣言延長やむ無し」などと決めつける世論を形成することは安易に他なりません。9月から学校が再開すると感染が増加するというのも、予測を外し続けている西浦氏の予測を無批判に盲信したものでした。

08/30(1915)
月曜日で2000人を切るのが7月26日以来ですか。表に出てくる陽性者の数が減っていく。これはいいことです。陽性率が極めて高い状況は続いていますので、陽性者だけを見ていくのは判断を誤ってしまうという見方もあります。

08/31(2909)
先週が4200人台だったので、2000人台まで下がりました。下げているのはいいことです。しかし、夏休みが終わりまして、これから人の流れが増えていった時にどうなっていくのか。もう少し長いスパンで見ていくべきではないかという指摘があるのも事実です。

09/02(3099)
先週が4000人台でしたから、3000台まで減らすことができています。今の実効再生産数が0・82と下がってはきました。一方で今日のモニタリング会議で話されたのは、お盆の期間を過ぎて特に中高年層の人出が増えてきており、その影響が今後出てくるかもしれないと。9月に入り、学校なども再開したことの影響も今後、どう出てくるのかが話されました。

新規陽性者数で散々危機を煽ってきたテレビは、陽性者数が減ってくると、今度は「陽性者だけを見ていくのは判断を誤ってしまう」と言い出しました。会社が一斉に休業した盆明けから人流が増えたにもかかわらず陽性者数は減少し続け、実効再生産数は0.82まで下降しました。完全な下降局面ですが、今度は学校が始まるとしてテレビは危機を煽ったのです。

09/03(2539)
実効再生産数は今、0・82というところ。陽性率は極めて高い。表に出てくる陽性者の人数は12日連続で前週より減らせています。東京都に寄せられる発熱相談件数も少し下がってきました。一方で9月に入って人流はどう見ていくのか。そういったところを総合的に見る必要があるというのが専門家から出されているメッセージです。日々お伝えしていく中で「陽性者が増えても危険だ、減っても危険だと言われる。じゃあ、ずっと危険だと言われるじゃないか。テレビはすぐに危機をあおるようなことはやめた方がいい」というお叱りも受けるんですが…

09/06(968)
本当にメンタルが難しいですね。3ケタになって良かったと思いたい。でも、良かったと口にするのがはばかられる世の中ですし。でも、これは皆さんのご努力の結果が圧倒的に出ている

09/08(1834)
実効再生産数も0・75と下がってはきました。陽性者を減らすことができています。これはテレビの前の皆さんのご努力があってのことと思いますし、前週比も下げることができています。

09/09(1675)
実効再生産数は減っています。様々なデータがありますが、0・72まで減らせています。陽性率をぐっと下げることができた。東京都は特に人流の変化のない中で陽性率を減らすことができています。

09/10(1242)
この2年間、私たちもずっと経験してきて。下がって、ああこれで良かったでなく、下がった時に何ができるのか

人流が増加しているにもかかわらず、実効再生産数が単調減少しているということは、感染を抑制する「力」が7月の五輪開始前から継続して作用していることを意味します。つまり、感染数の変動には人流が関与していないことがわかります。2020年2月から1年半の間、日本国民は専門家とマスメディアが確固たる検証もせずに流し続けた「人流神話」に惑わされて経済活動を不必要に断続的に停止していたのです。

また、感染収束のメカニズムがわかっていないにもかかわらず、感染収束の理由を「テレビの前の皆さんのご努力があってのこと」とするのは、あまりにも安易な【機嫌に訴える論証 appeal to flattery】であり、視聴者を完全に愚弄する行為です。国民は盆以降は自粛をやめ、その結果人流は増えているのです。「皆さんの努力」という根拠のないへつらいは、危機を煽ってきたテレビの不明を隠す卑劣な【論点転換 red herring】に他なりません。

さらにテレビは危機を煽ってきた自らの不明を懺悔することなく「下がってこれで良かったではなく下がった時に何ができるのか」と「私たち」という言葉を主語に使うことで、国民に対して新たな間接的要求を課したのです。

ただし、井上アナの言動はこのあたりを境に大きく変身します。

09/15(1052)
われわれマスコミの報じ方も含めて、人流抑制ばかりにいっていると思考停止に陥ってしまうのが怖い。対策をしっかりと行いながら、ワクチンもありますし、さまざまに総合的にと感じています。

09/16(831)
日本では毎日、検査陽性者数を報じるスタイルになっていますが、海外に目を向けますと、毎日、検査陽性者数を報じることは少なくなってきました。その代わりに重症者や死亡者の人数をお伝えするというスタイル。私たちも切り替えるタイミングというのを模索していく必要はあるだろうと末端の局アナながら感じています

09/17(782)
1000人を切ることができています。1週間前が1200人でした。このようになってくると、さすがに自粛一辺倒の考え方はもう終わりにすべきだと、私個人的には考えています。

09/20(302)
この先必ず来る波に関しては悪い予測のシミュレーションが多く発表されている。その一方で8月から9月にかけての今の大幅な減少をシミュレーションというのは私は見た覚えがありません。また、なぜ下がったのかの要因も今、分かりません。つまり、リスクの判断というのは極めて難しいということ。ゆえに私たちはもっと丁寧にお伝えすべきですし、メディアの責任も重いと感じておりますので、私自身は伝え方を変えていきたいと、そんな気持ちでいます。

09/21(253)
人出一辺倒、自粛一辺倒の報道からの脱却ということで医療体制については日本は人口あたりのベッドの数が世界一。でも、医療従事者の数に限りがあって、民間病院が大半を占めている。そういったところで2年間、病院のベッドが増えていきませんでした。(中略)抜本的に考え方を変えるべきでは

国立感染研のゲノム解析の結果、感染のリバウンドの原因は有力な変異株の出現によることが概ね判明しています。日本の第0波は武漢株、第1波はヨーロッパ株、第2&第3波は日本由来の変異株、第4波は英国由来のアルファ株、第5波はインド由来のデルタ株です。マスメディアは「下げ止まり」なる言葉を使っては安易に恐怖を煽り、リバウンドの発生の要因を緊急事態宣言の解除による「気の緩み」のせいにしてきました。井上アナは自らが信じ切っていたこの不合理な【俗説 popular belief】を疑問視し、【自己批判 self-criticism】を始めたのです。

日本では混同されがちですが、安全の概念には【セキュリティ security】【セーフティ safety】という2つの異なる概念があります。セキュリティとは危険な事象が発生しないよう抑制することを意味し、セーフティとは危険な事象が発生したときにその被害を最小に抑制することを意味します。今回の新型コロナ危機においては、セキュリティ対策とは【外的リスク external risk】としての感染現象を抑制することであり、セーフティ対策とは【内的リスク internal risk】として感染現象が発生した時にその致死率を抑制することを意味します。

多くの日本のニュースショーやワイドショーは、感染メカニズムを把握していなかったにもかかわらず、政府のセキュリティ対策を半狂乱状態で否定し、安倍首相と菅首相の人格を罵ってきたのです。その一方でセーフティ対策のエキストラな実働部隊である医師会の非協力なスタンスをガン無視し、強制力のない政府だけを徹底的に罵ってきました。日本のコロナ危機において、公共の電波を独占するテレビは、妥当な知識を提供することなく、むしろ社会を率先して混乱させる害悪のエピセンターであったのです。

第5波で致死率の劇的な改善について殆ど報道しなかった不作為も常軌を逸するものでした。国民がもっとも恐れるのは死亡リスクであり、この点を明確に説明することなく、新規陽性者数の報道に終始することで危機を煽ったのは悪意としか思えません。



これまでのキャリアで、TBSの【イエロー・ジャーナリズム yellow journalism】とは一線を画してきた井上アナは、けっしてコロナ報道の安易なステレオタイプに染まることはありませんでしたが、制作を行う番組の大方針に逆らうことはできなかったものと考えられ、多かれ少なかれ上記発言に認められるような瑕疵が結果として存在することになったと考えられます。

09/29(267)
今の東京の実効再生産数が0・56。発熱相談件数もかなり減ってきました。800件ほどです。皆さんの対策、努力でここまで激減することができた。いよいよ次は政府、厚生労働省、自治体などが医療を拡大させていく努力が求められていく。(岸田文雄)新総裁にはその辺りが求められるわけです。

09/30(218)
陽性率など含めて激減させることができました。その要因については季節性、ワクチン、後は変異の置き換わりなど指摘されていますが、ここは専門家にしっかりとその要因を分析していただかないと、これから私たちのメディアとしてのメッセージ、分科会としてのメッセージが皆さんにより届き辛くなるということを危惧しています。一つ一つの私たちのメッセージがより問われているな、今こそ、これからはと感じます。

10/01(200)
ここからは政府や自治体が全体を俯瞰した交通整理、コロナ対応の枠組を抜本的に変えるべきだろうと。それが今だろうと言われています。今こそ医療体制を抜本的に変えて、次にまた検査陽性者が増えますから、そこに備えるという時期でしょうか。

10/04(87)
このウイルスに関しては今、重症化を抑えることができれば対応できる病気になりつつある。だからこそ、現在は感染症法2類相当ですが、これがこのままでいいのか、その議論も必要ですし、テレビへの不満が渦巻く今、私たちは反省し、変えていきたい

報道とは裏腹に「政府、厚生労働省、自治体などが医療を拡大させていく努力が求められていく」といった医療提供の責任を叩きやすい政府に100%押し付ける安易な世論形成が医療資源のひっ迫に拍車をかけました。日本で医療資源が逼迫した最大の要因は、自らの経済的なセキュリティ対策のために国民のセーフティ対策に協力しなかった医師会の不作為にあります。医師は免許制であり、医師の生活を守るために医師会が医師数を制限するよう政府に働きかけてきたことが、コロナ患者を診る医師の人手不足を招いた根本的な原因です。メディアはこの医師会の公然の不作為をガン無視したのです。

また、「ここは専門家にしっかりとその要因を分析していただかないと、これから私たちのメディアとしてのメッセージ、分科会としてのメッセージが皆さんにより届き辛くなるということを危惧しています」というのは加害は認めるが責任は認めない【弁解 excuse】に他なりません。テレビは、ネガティヴ評価一辺倒の「専門家」という名の御用コメンテーターばかりをヘビロテで番組出演させ、コロナの危機を煽ってきたと言えます。このような番組が安易に用意した御用コメンテーターに迎合することなく、視聴者の利益のために真実を追求する手助けをすることこそ報道の役割であると考えます。

そういった中での「テレビへの不満が渦巻く今、私たちは反省し、変えていきたい」という井上アナの発言は、視聴者の利益を無視した発信側の都合に基づく番組作りから視聴者本位の番組作りに舵を切る決意の表明であったと考えます。井上アナの「懺悔」は続きます。

10/05(144)
これまで優等生と言われてきたニュージーランドでも今月に入り、ゼロ・コロナ戦略を断念しまして、行動制限を緩和しています。世界的に見ましても行動制限やロックダウンは限界に来ていると言われています。

10/07(143)
激減した一因は皆さんの努力や頑張りですという文脈を私自身使ってきたのですが、この表現を繰り返すと、根性論や気持ちの連鎖になってしまうと。これを断ち切るべきではないかと考えます。今さら遅すぎて恐縮なんですが…

10/08(138)
先週からさらに減っています。これまでもウイルスというのは増殖する過程でコピーミスで変異をすると。その変異した強いものが生き残って増えていくと感染拡大につながる。それがもしかすると、今、そのコピーミスで自らを壊して自滅している可能性があると指摘する研究者が出てきました。この辺りも検証が必要です。

10/13(72)
1400万人都市で考えますと、ゼロに極めて近い人数ということを言っても差し支えないかと思います。8月からの推移を見ても、まさに激減。この激減を予測できていた専門家はいらっしゃらないような気もします。ということはまだまだ分からないことが多いウイルスである。だからこそ、悲観的な予測ばかりに引っ張られることなく、バランスというのがとても重要なんだろうなと、遅ればせながら強く感じています。

10/15(57)
遅過ぎているので恐縮ですが、私たちメディアもマインドチェンジをしていかなければならないと考えています。報じ方を変える。新規陽性確認者、重症者、死者をバランス良く見ていくというのは大前提です。

10/19(36)
専門家の皆さんも驚くような激減。その一方で世界的に言われていることですが、うつ病、不安障害、心の問題を訴える方の報告数が増えていると。これは私自身、メディアの責任というのも大きく感じているところでありまして…。重症化率、致死率は日本では下がり続けています。ワクチンの普及、治療薬が言えてきた。こう言ったところから、今更何を言ってもというところがあるかも知れませんけれども、恐怖、不安ばかりを強調するのは終わりにすべきだろうと僭越ながら、私個人的には感じています。

第5波が終わった後に始めたこの「反省」は、おっしゃるとおり「遅すぎる」と思います。例えば、言論プラットフォーム『アゴラ』では、以上のような議論は2020春の第1波の時点で既に終了していました。

しかしながら、公然たる周知の場である地上波において一つ一つ報道の具体的な問題点をあげて再発防止を宣言する井上アナの自己批判は勇気ある合理的行動と考えます。先述したように、番組には番組の報道方針というものがあり、井上アナはその方針に沿ってチームの一員として報じてきたものと考えられますが、明らかにこの場面では、番組と視聴者のインターフェースとして、コロナ報道の加害と責任を認めて【謝罪 apology】を繰り返しました。少し前までは加害を認めて責任を認めない【弁解 excuse】をしていたのとは大きな違いです。ちなみに多くのニュースショーやワイドショーでは、コロナ報道の批判に対して、いまだに加害も責任も認めない【否定 denial】か責任を認めて加害を認めない【正当化 justification】に終始しているケースが殆どです。

以降、井上アナは、常に後ろ向きで破壊的な議論に終始していた過去とは完全に決別し、前向きで建設的な議論を展開しました。

10/22(26)
ワクチン、抗体カクテルと治療薬も見えてきた中で新型コロナウイルスのことだけ、感染状況だけを気にしていても仕方ありませんし、生きていれば様々なリスクも存在します

10/25(17)
1400万人都市で17人ということは陽性者を見つけること自体が大変な状況になっています。人間の行動に関係なく、ここまで減り続けていますので、ウイルス側に何が起きているのか。この点をぜひ解明、分析していただきたいと思います。

10/26(29)
ワクチン、治療薬、そして重症率も低下している。その中で感染症法の2類相当のままでいいのか。感染状況が劇的に変わっている中で2類相当でいくのか。コロナ治療費は全額公費負担というのは維持しつつ、分類は緩和していくのか。その議論が起きてこないというのもなぜなのか。不思議なところではあります。

10/27(36)
1400万人都市でこの人数ということで限りなくゼロに近づいてきたと言えると思いますが、そろそろ下げ止まるとも考えられます。下げ止まるのはむしろ当然で、ここから先は検査陽性者が増減を繰り返すだろうということが予想されています。その中で今まで以上に重要になるのは重症者の波です。ワクチンが普及しまして、無症状患者も増えています。重症化率も確実に低下します。ゆえに様々な疾患も増えます。その中の一つとしてある新型コロナウイルスの重症化をいかに抑えられるか。これが今まで以上に重要になってくるわけです。

10/28(21)
ウイルスはゼロにはなりませんので、この先、検査陽性者のリバウンドが起きるのは当然のことと言えます。むしろ、専門家の皆さんには今回の激減の要因が何なのか、分析、検証を進めていただきたい。それをきっかけに今後の対策に置いて、大変、重要な意味を持つはずだと考えます。

10/29(24)
最近、下げ止まりという言葉が使われようになりましたが、むしろ、それより下がり切ったという言葉の方が適切ではないのかなと個人的には感じています。

11/01(9)
ウイルスはゼロにはならないので、この後、下がり切った後はいいサイクルになっていますが、増減を繰り返していくのは当然です。ワクチンも7割完了しました。治療薬も普及して、これまでの対策を続けながら、重症者を抑えていく。無症状者も増えていますので、その中で1億2000万人の人口がいる日本で、どのくらいの検査陽性者を許容できる社会をつくっていくのか。許容していくのか。

11/02(18)
もちろん、まだまだ、このウイルスについては分からないことも多く、正解はない。だからこそ、その都度、検証し、修正することが求められているわけですが、政府の専門家組織も検査陽性者や人流のことばかり発信するのではなく、日本がどこを目指すのか、出口はどこにあるのか。ワクチン接種、治療薬で状況は一変しました。冬の疾患が増える中での一つのコロナウイルスをどう位置づけるのか。やはり、大局観を持った見方というのも重要になってくるのではないでしょうか。

11/08(11)
今日発表されました政府の新しい指標でも検査陽性者をこれまで重視していものから医療提供態勢に軸足を移すということですので、この(午後)4時45分きっかりに検査陽性者数を発表するという今のスタイルもいつ終えるタイミング、止めるタイミングにすべきなのかを模索しながら出口を見極めたい、そんな気持ちでいます。

11/11(31)
検査陽性者、今日は31人でした。先週が大体、下がり切った数値と見られていますので、この後は増減を繰り返すというのが、ごくごく自然なことです。

11/12(22)
今週に入って増加とか増えたとかいう見出しも増えてきたんですが、あくまでも1400万人都市でのこの数字というのは、とても低い水準ということが言えます。重症化率、致死率、陽性化率ともにかなり低い水準となってきているということで総合的に判断していくべきなんだろうと思います。ワクチン接種2回目完了者も74%を超えました。

11/16(15)
今日は15人でした。今まで下がり切ったと思っていたところから、また、さらに下がっています。重症化率、致死率、陽性率、いずれも低い水準です。ちなみに1400万人都市の東京で交通事故にあって、ケガをする人が1日に大体100人くらいです。様々な死因で亡くなる方は東京で1日300人ほどと発表されています。生きていく上での病気やリスクというのは新型コロナウイルスだけではありません。様々なものを総合して俯瞰(ふかん)して考えていただければと思います。

11/17(27)
医療従事者の皆さんの力により重症化率、致死率もぐっと低下している。今さらテレビ局の人間が何を言ってもというところがありますし、今さら遅すぎるぞってことなんだと思いますが、ワクチンについては完了者が7割を超えました。抗体カクテルも普及しました。飲み薬の道筋も見えてきた今、新型コロナウイルスだけを特別視するということは、もうやめるべきだと考えています。数ある病気のうちの一つの新型コロナウイルス…

11/18(20)
下がり切ったと思っていたところから、さらに下がっているということ。この先、冬になっていきますので、検査陽性者が増えていったとしても、その中で入院を必要とする方が急増しなければ、医療はひっ迫することはありません。今はワクチンや治療薬によって入院を必要としない方、無症状の方が増えている。重症化率が下がっている中で入院患者の推移がどうなっていくのかも大変、重要なポイントです。

11/19(16)
下がり切っているということで陽性率含め極めて低い水準が続いています。一方、インフルエンザも現状は感染者、全国的にゼロに近い状況が続いています。数あるウイルスや病気とどう付き合っていくのか。後はマスクに関しては屋内では着用すべきというところがありますが、屋外では着ける、着けないは個人の自由。同調圧力がなくなっていくといいのかなということも感じています。

大衆が意思決定にあたってメディアが頻繁に取り上げる情報を過大評価することは【アジェンダセッティング理論 agenda-setting theory】として知られています。日本のコロナ禍は、実際の【パンデミック pandemic】よりも、テレビが無理やり造った「常識」という名の「非常識」が蔓延した【インフォデミック infodemic】がその大半を占めているものと考えられます。危機発生時におけるテレビ報道の在り方は明らかに日本の大問題です。

今後のコロナ報道で重要なのは、新規陽性者数をみだりに強調して報道しない、あるいは報道しても余計なコメントをしないというのが一つの方法かと思います。もちろん、大まかな傾向(トレンド=平均値関数)を一定期間ごとに報じることには価値があり、まん延時に感染リスクを伝えることは報道の当然の役割です。しかしながら、感染メカニズムも不明な中で確信的に悲観的な予測を大声で叫ぶこれまでの報道は有害でしかありません。

これまで多くのニュースショーやワイドショーでは、悲観的な予測であれば、たとえ社会に打撃を与えても責任回避できるというスタンスで、感染リスクを安易に過剰評価する報道を続けてきました。当たれば「言った通り」、外れれば「警告しておいてよかった」と主張できる、自分たちにとってはリスクゼロの報道です。しかしながら、この安易で無責任な報道は、日本経済を徹底的に凍らせた上で見事に破壊してくれました。公共の電波を独占するテレビの報道に求められるのは、このような国民を恐怖のどん底に陥れる安易な視聴率稼ぎではなく、国民の利益のための報道であることは明らかです。そんな中、井上アナの一連の「懺悔」は、国民本位の前向きな合理的提言であり、多くのニュースショーやワイドショーが規範とすべき内容を含んでいると考える次第です。

なお蛇足ですが、TBS『Nスタ』の時間帯、テレビ朝日では小松靖アナがMCを務める『スーパーJチャンネル』を放映しています。多くの評判通り、けっして思考停止に陥ることなく論理的に報道番組を進行する小松アナは日本の報道アナのエースであると考えます。そして今回新たに進化した井上アナは、小松アナに対抗できるTBSで最有力な報道アナであると考えます。繰り返しになりますが、今までテレビで展開されている後ろ向きな議論一辺倒ではなく、前向きな議論を展開するよう報道アナウンサーが公正に報道番組をドライヴィングしていただけるのであれば、テレビ報道も捨てたものではありません。