文書改竄問題の議論に騙されないための論理チェック | マスメディア報道のメソドロジー

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マスメディア報道の論理的誤謬(ごびゅう:logical fallacy)の分析と情報リテラシーの向上をメインのアジェンダに、できる限りココロをなくして記事を書いていきたいと思っています(笑)





森友問題に関する官僚の国会答弁に整合するように行政が行政文書を書き換えたことは、法に従う民主主義を脅かす危険な行為です。行政がこのようなケースを再発しないよう、司法と立法は、書き換えの時系列・関与した人物・指示命令系統等の事実関係及びその動機を徹底的に解明し、関係者に対して法的責任を問うとともに有効な防止策を講じる必要があると言えます。特に、不正に関与した人物の責任を求めるにあたっては、合理的な仮説に立脚した事実の解明が大前提であり、事実から導き出される不正への関与の大きさに見合った必要十分な懲罰を科すことが重要です。

さて、このような状況の中、厳密な調査結果が得られる前から政治が関与した仮説を既成事実のように喧伝し、内閣総辞職・首相辞任・大臣辞任等の重い結果責任を政権に求めているのが一部の野党議員マスメディアです。事案の解明にあたって合理的な仮説を打ち立てて効率的に調査を実施することは重要ですが、その仮説を絶対視して、結果ありきで責任を問うことは厳に慎む必要があります。これまでのところ、一部の野党議員は、行政が一部の過失を認めたことを口実にして、合理性を逸した主張や根拠のない憶測を認めるよう官僚との会議で強要している場面が目立っています。また一部のマスメディアも、連日のように社説で政府の責任論を展開し、政局を煽っています。

ここで重要なポイントは、たとえ野党議員とマスメディアの追及が不合理であっても、現在の状況では、行政側の反論が極めて困難な状況に陥っているということです。実際、一部の野党議員やマスメディアの追及においては、行政側の反論に対してその信憑性を問題視して否定するというメソッド、すなわち「一度虚偽の答弁をした人物の主張は信じられない」という論法で反論を無力化しています。このようなメソッドは【毒の混入論法 poisoning the well】と呼ばれる【対人論証 ad hominem】であり、明らかに不当なテクニックですが、過失を犯した行政に対して悪感情を持っている国民を一時的に騙すには有効であると言えます。

懸念されるのは、【毒の混入論法】で無敵状態となった野党・マスメディアの【群集操作/アジテーション crowd manipulation】によって、いつものように国民が思考停止の【集団ヒステリー mass hysteria】に陥り、問題の本質よりも犯人捜しと懲罰の付与のみに過度の関心が向くことです。このような事態を回避するにあたっては、国民が頭の中を整理して、被疑者側のみならず追及側の主張についても注意深く論理チェックを行うことが求められます。

さて、ここで言う論理チェックとは、被疑者側・追及側の主張に論理的な誤りである【誤謬 ごびゅう logical fallacy】が存在するか否かを判定することです。具体的には、各者の主張に含まれる演繹的推論あるいは帰納的推論における(1)論証構造、(2)原理、(3)概念・情報に対して、誤謬の有無をチェックすることになります。この論理チェックの結果、各者の主張に誤謬が存在する場合には、事案の真偽を確定することができないと判定され、逆に主張に誤謬が存在しない場合には、事案の真偽が確定されるか、既出の証拠では真偽を確定できないことが確定されます。このような論理チェックを常に繰り返すことで、被疑者側・追及側の詭弁に騙されることなく、事案の真偽を把握できることになります。

以下、演繹的推論・帰納的推論の別に、過熱する追及側の主張に認められる誤謬の例を示しながら、(1)論証構造、(2)原理、(3)概念・情報に対する論理チェックのポイントを示したいと思います。


1.演繹的推論に対する論理チェック

演繹的推論とは、正しい論証構造の下で、普遍的な原理に従って、前提となる概念から結論となる概念を厳密に導くものです。

1.1 論証構造[参考記事]

演繹的推論では、事実のみを前提として結論を導く論証構造が要件となりますが、今回の野党の追及ではこの最低限の要件が確保されていない言説が散見されます。財務省森友文書改ざん問題野党合同ヒアリングにおいて希望の党の山井和則議員が書き換えの目的について次のように主張しています[参考映像]

[前提1] 安倍総理は「私や妻が関係していたら総理も国会議員も辞める」と言った。
[前提2] 財務省はこれに合わせるために改ざんして安倍昭恵夫人の発言を削除した。
[結 論] 財務省は安倍総理が主犯であることを隠ぺいしようとしている。


この主張は【覆面男の誤謬 masked man fallacy】と呼ばれる形式的誤謬であり、事実の証明になっていません。山井議員の主張のうち、[前提1]は事実ですが、[前提2]は個人の認識に過ぎず、山井議員は事実と個人の認識を混合させる誤った論証構造の下で[結論]を導いているわけです。事実と認識を混合させた推論で得られるものは仮説に過ぎず、山井議員は財務省の役人に対して仮説を無理強いしているということになります。

1.2 原理[参考記事]

演繹的推論は普遍的な原理に基づいて結論を導きますが、今回の野党の追及ではその原理に誤りがある言説が散見されます。ここでも上述した山井議員の主張を例として説明します。

国民は誰一人として理財局の単独犯行だと思っていない。バレている。図星だと思うが正直に言ってもらえないか。


この主張は、結論が含まれた前提によって結論を証明する【先決問題要求 begging the question】と呼ばれるものです。そもそも「国民は誰一人として理財局の単独犯行だと思っていない」という前提も事実ではなく憶測に過ぎませんが、この主張では、そのことがバレているので「理財局の単独犯行ではない」という結論を暗示しています。

また、この主張では、「国民」の認識を勝手に決めつけて、それをある種の権威として用いて自説の根拠としています。これは権威者の言説を無批判に肯定して推論する【権威に訴える論証 appeal to authority / ad verecundiam】のヴァリエーションです。

さらに山井議員は次のように続けます。

職員の尊い命も失われている。いい加減、安倍総理のために財務省も日本の国もメチャクチャにするのは止めてもらいたい。職員の人が亡くなっているではないか。


これは情報受信者に同情心を喚起させて自説に導く【同情に訴える論証 appeal to pity / ad misericordiam】という【感情に訴える論証 appeal to emotion】の一つです。感情を排除してありのままに発言を解釈すれば「財務省の職員が自殺したから安倍総理が主犯である」とする何の脈絡もない原理となります、これは、自説を正当化するために明らかに自殺者を利用するものです。山井議員は2018年2月28日衆議院予算委員会[参照映像]において泣きながら質問を行いましたが、その内容も政策議論の本質とは直接関係しない【感情に訴える論証】に過ぎません。

また、「財務省と日本をメチャクチャにしているのは安倍総理のためである」とする明らかな【ルサンチマン ressentiment】の原理で結論を導いている点では、典型的な【人格に訴える論証 ad hominem】を展開していると言えます。

さらに、この問題の本質は、書き換えの事実関係について解明することであるにも拘らず、わざわざ【論点転換 diversion】し、事実解明が前提となる責任追及を行っています。

いずれにしても、わずかな発言にこれだけ様々な原理不全が認められる山井議員は、言論の府の構成員として明らかに不適格と言えます。事実の解明を野党に期待するシチュエーションの中で、このような不合理発言が頻繁に飛び出すようでは、野党は一層国民の信頼を失うことになるものと推察します。

【人格に訴える論証】と言えば、[毎日新聞2018年3月13日記事]も【集団ヒステリー】を誘発する稚拙な人格攻撃と言えます。

毎日新聞「麻生氏の言動、反発増幅 陳謝で頭下げず」
麻生太郎副総理兼財務相の尊大とも取れる態度が反発を招いている。麻生氏はこれまでも物議を醸す発言があったが、改ざん問題を巡る記者会見などでも不用意な発言が目立っており、世論の反発を増幅する一因となっている。(中略)12日に記者団の取材に応じた際には、「深くおわび申し上げる」と陳謝したが、頭を下げることはなかった。また、「佐川の国会答弁に合わせて書き換えたのが事実」などとして、国税庁長官を9日に辞任した前財務省理財局長の佐川宣寿氏を呼び捨てにした。そのため、野党からは「何回も呼び捨てにし、佐川さん一人を悪者にするかのような会見だ」(立憲民主党の福山哲郎幹事長)など、批判が出ている。


毎日新聞が問題視する「頭を下げないこと」や「呼びつけにすること」は問題の本質とは全く関係がないことです。「呼び捨てにすると佐川氏一人が悪者になる」という原理は理解不能です。

1.3 概念[参考記事]

演繹的推論では前提となる概念から結論の概念を導きますが、今回の野党の追及ではその概念が曖昧であったり混同されていたりする言説が散見されます。

そもそも今回の森友問題に一部の野党やマスメディアが飛びついたのは、2017年2月27日の衆議院予算委員会における安倍首相の発言中の「関係」という言葉の曖昧性に起因しています。

私や妻が関係していたということになればこれはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきりと申し上げておきたい。


発言後に一部野党やマスメディアは、安倍首相の関与を徹底的に追及し、証拠がないと見ると、他者から忖度を受けたことも「関係したことになる」と主張し、安倍首相に辞任を要求しています。これは、言葉の意味を自説に都合よく解釈する【言葉曖昧の誤謬 verbal ambiguity】というものであり、次の例と大差がない極めて低次元な主張と言えます(笑)。

例1) A「嘘をつけ!」B「嘘をつけって言ったから嘘ついたんだよ~」
例2) A「なめるんじゃね~!」B「なめてないし!」
例3) A「お前にそんなこと言う権利はない!」B「言論の自由は憲法で保障されているよ」
例4) A「自分はアホか!」B「そのとおり、テメーはアホだ」(Aは関西人、Bは関東人)
例5) A「お前、バカじゃないの!」B「そのとおり、バカじゃないよ」


しかしながら、池田信夫さんが指摘しているように[記事]、このことが行政のボーンヘッドを招き行政文書の書き換えの主要因になった可能性もあります。他者からの忖度は不可避であり、安倍首相の「関係していたら」の意味は、「首相あるいは国会議員としての権力を使っていたら」の意味であることは自明ですが、この意味を行政が誤解釈することも可能性としては十分あり得ると言えます。

ところで、今回の議論では、「書き換え」「改ざん(改竄)」を混同した主張も散見されます。この違いは行為者の悪意の有無によります。例えば、「誤謬」という言葉は論理的誤りのことですが、そのうち言説の論者が悪意を持って誤ったものを「詭弁」と言います。また「誤報」という言葉は誤った報道のことですが、そのうちマスメディアが悪意を持って誤ったものを「虚報」と言います。このようなコンテクストと同様に「書き換え」という言葉のうち悪意を持って行ったものを「改ざん」と定義することができます。今回の事案においては、仮説において「改ざん」という言葉を用いることは妥当ですが、事実認定において「改ざん」という言葉を用いる場合には根拠が必要です。合同ヒアリングにおいて野党議員が「改ざん」を事実として連発するのは悪意を印象付けるための【レッテル貼 labeling】である可能性があります。

「行政文書」とその一部である「決裁文書」という言葉についても混同して使われがちです。「行政文書」のうち「決裁文書」は、行政機関の意思決定の権限を有する者が押印,署名又はこれらに類する行為を行うことにより、その内容を行政機関の意思として決定し、又は確認した行政文書と定義されています。

さらに、「実行責任」「結果責任」という言葉も分けて考える必要があります。例えば、麻生大臣が書き換えの指示を行っている場合には事案に関与しているので「実行責任」が問われ、事案に関与していなくても管理者としての「結果責任」が問われます。このうち「結果責任」の認定は必ずしも簡単でなく、例えば事象が予見困難で管理者としての事態回避が困難な場合には懲罰を最小限にとどめる必要があります。日本社会にありがちな「黙って早く責任を取る」という行為は合理的でなく、社会をアンフェアにします。

いずれにしても議論では明確に定義された言葉を用いる必要があります。



2.帰納的推論に対する論理チェック

帰納的推論とは、正しい論証構造の下で、経験的な原理に従って、前提となる情報から結論となる概念を概略的に導くものです。

2.1 論証構造[参考記事]

帰納的推論は、客観的情報を前提として結論を導く論証構造が要件となりますが、今回の野党の追及ではこの最低限の要件が確保されていない言説が散見されます。

2018年3月16日の参議院予算委員会において、民進党・杉尾秀哉議員は次のような主張でヒステリックに麻生大臣を断罪しました。

麻生大臣は「理財局の一部の職員によって行われた」と断言している。佐川長官に責任を押し付けている。マスコミ的に言うとトカゲのしっぽ切りだ。


調査の途中経過を基に「今の段階で理財局の一部の職員が書き換えに関与したことは明確だ」と説明する麻生大臣に対して、杉尾議員は客観的情報なしに「麻生大臣は佐川長官に責任を押し付けている。トカゲのしっぽ切りだ。」と断言しました。これは個人的確信を根拠として推論する【個人的確信に訴える論証 personal assurance】と呼ばれる誤謬です。事実がどうであれ、このような証拠のない決めつけが冤罪を生む素因となります。

2.2 原理[参考記事]

帰納的推論は経験的な原理に基づいて結論を導きますが、今回の野党の追及ではその原理を濫用する追及が散見されます[2018年3月15日記事]

毎日新聞「やむなく「佐川カード」来週にも証人喚問」
野党は「官僚の判断だけで改ざんを指示することはありえない」と強く反発している。


人間の行動に絶対はないので、この「ありえない」とする原理は実質的には「多分ない」という言葉で置き換えられる帰納原理に他なりません。そして実際には、この帰納原理は「多分ない」というよりも「可能性としては小さい」という程度の推量に他ならないと言えます。「可能性として小さい」という推量は、仮説設定に用いる分には合理性が高いと言えますが、事実確定に用いることはできません。事実を確定するには何らかの客観的な証拠が必要であり、その証拠を得ることが「追及」に他なりません。このような状況の中で、一部野党議員は、この「ありえない」という原理を何度も行政側につきつけて認めさせることを「追及」と勘違いしているフシがあります。帰納的推論の論証構造の誤りとして位置づけられる【悪魔の証明 proving non-existence】をこれまで政府に繰り返し求めてきたのもこの勘違いのためと考えられます。ちなみに、官房長官会見において、証拠を提示することなくヒステリックに同じ質問を何度も繰り返してそのことを「追求」であると思っている[新聞記者]がいますが、同様の勘違いを犯しているものと推察されます。

この他に、山井和則議員がよく口にする「~するに決まっている」、報道ステーション後藤謙次氏がよく口にする「~といわれても仕方がない」、サンデーモーニング岸井成格氏がよく口にする「~と言わざるを得ない」、NEWS23星浩氏がよく口にする「~という感じがする」を含む多くの言説は、いずれも【偶然と必然の誤謬 secundum quid / a dicto simpliciter】【単純化の誤謬 false simplification】によって導かれた不当な帰納原理と言えます。検証されていない帰納原理は当然のことながら事実の認定には何の効力もありません。

2.3 情報[参考記事]

帰納的推論では前提となる情報から結論の概念を導きますが、今回の野党の追及ではその多分に特定の意図を含んだ情報や出所不明の情報を用いた言説が散見されます。[日刊ゲンダイ2018年3月10日記事]はその典型と言えます。

日刊ゲンダイ「自殺者が出て尻尾切り 悪魔のような政権を許していいのか」
安倍夫妻が深く関わっている底ナシの「森友疑獄」。とうとう自殺者まで出てしまった。近畿財務局に勤務していたノンキャリアの男性職員が7日、神戸市の自宅で首をつり、搬送先の病院で死亡していたことが分かった。遺書もあり、兵庫県警は自殺と判断している。(中略)朝日新聞が今月2日、近畿財務局が森友学園との取引に関する「決裁書」を書き換えていたと報じた後、再び職場に顔を出していた。遺書の中身は明らかにされていないが、森友疑惑の犠牲者なのは間違いない。(中略)自殺した男性職員は、安倍夫妻の犠牲になったようなものだ。(中略)近畿財務局の職員が自殺し、佐川長官が更迭されたことで、さすがに国民も安倍政権の異常ぶりに気づいたはずだ。安倍首相は、国会を閉じる6月20日以降「私は秋の総裁選には出馬しません」と宣言するのではないか、という見方が広がっている。支持率が急落したら、一気に党内政局が勃発する。国民はトドメを刺さないとダメだ。


自殺した近畿財務局の職員の遺書が開示されていない中、この記事は、遠因を過大評価することで原因と結果を誤解釈する【直接原因と間接原因の混同 confusing remote cause with immediate cause】によって安倍政権を断罪しています。もしも森友学園籠池理事長の標的にされた安倍夫妻の存在が自殺の原因として認められるのであれば、その安倍政権を問題視した報道で近畿財務局にプレッシャーを与えた日刊ゲンダイも自殺の原因であると言えますし、安倍政権を選挙で誕生させた国民も自殺の原因であるとすることもできます。このようなハチャメチャな原理は2.2で説明した不当な帰納原理ですが、この不当な言説を根拠にして安倍政権を【悪魔化 demonization】する行為がここで取り扱う帰納的推論における情報不全であると言えます。

希望の党の柚木道義議員はこの日刊ゲンダイの記事を紹介するツイートをリツイートした上で、自ら次のように[ツイート]しています。

明確なのは安倍夫妻の軽率な言動で、財務省近財局の職員が自殺までしたこと。昨日の読売みても今日の安倍総理答弁は死者への冒涜。「書き換え前」の決裁文書までも嘘だったのか、安倍総理が嘘つき答弁してるのか。

首相「書き換え前の文書を見ても私も妻も関与なしは明確」


ここに歪曲された情報の独り歩きが始まり、情報弱者がミスリードされていくことになります。人間の自殺は非常に重いことであり、故人のご不幸とご家族のご傷心を拝察し心よりお悔やみ申し上げます。しかしながら、その結果は事実関係の事後に発生したものであり、事実関係の解明とは分けて考える必要があります。このような人の死がもたらすセンティメントを【アジテーション】に利用するのは厳に慎むべきであると考える次第です。



エピローグ

今回の事案で財務省が行政文書の書き換えを認めたのは、純粋な自浄作用に基づく【内発的動機
intrinsic motivation】
というよりは、「行政文書を書き換えているか不明である」とするそれまでの説明が明確に反証されることを水面下で認識したことによる【外発的動機 Extrinsic motivation】によるものと考えられます。具体的には、コントロール不能な外部集団から書き換えの証拠となる情報を提供されたことによるものと推論され、例えば[国交省][大阪地検]による情報提供が考えられます。その意味で[朝日新聞2018年3月2日記事]は事実の解明に結果的に役立ったと言えます。

野党にも論理的な人材は存在し、そのような議員が徹底的な調査に基づき論理的に事実解明を行うことを要望するところですが、前面にしゃしゃり出て倒閣を叫ぶ一部野党議員による不合理な追及を目の当たりにすると極めて残念ながら今回も野党に期待することはできません。やはり、政権の存亡に利害関係を持つステークホルダーの集団は、フェアな調査には不向きと言えます。このような状況の中では、与野党協議の上、政治的な背景を持たないメンバーによる第三者委員会を構成して事実解明につとめるのが妥当であると考えます。

いずれにしても、国民に求められるのは、行政による説明と立法による追及に対して厳しく論理チェックを行い、行政が理不尽な追及逃れを行っていないか、立法が理不尽な追及を行っていないかを注意深く監視することであると考えます。