京から旅へ。四国花遍路/番外〝穴禅定〟 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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◆京都の石屋 石茂 芳村石材店◆部録/石のセレナーデ
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平成九年、京都に暮らしはじめて、二年目。

これから梅雨という時期に縁があって、 八十八ヶ所の霊場を
巡礼する四国遍路を経験することができた。 

発心(徳島)、修行(高知)、菩提(愛媛)、涅槃(香川)の四か所の
道場をバスでお参りするのだが、毎年、約一週間で三十カ寺程
を廻り、三年続けて、合計で八十八箇所を巡礼する。

そして三年目は札納めに、高野山の宿坊泊もプラスされる。
穴禅定1穴禅定2

真言宗のお寺の主催なので、内容が濃く充実している。
参加者もご年配の方が多く、夫々の思いがある慰霊の旅である。
 
バスの移動中はずっと、次にお参りするお寺の御詠歌と、
般若心経をみんなで、何度も唱える。

お世話になる宿坊では、朝早くから読経するお勤めもある。
門前の小僧よろしく、終いには般若心経が諳んじれるほどだ。

初めは緊張し、寝る間も、車窓からの景色を見る余裕もない。

全員が背中に“南無大師遍照金剛”と、大きく墨で書かれた
揃いの白装束を着て、編み笠をかぶり、金剛杖を持つ。

お参りも縦一列に並び、乱れず、私語もなく、サッサッと歩く。

各お寺では、太子堂と本堂、夫々に御札とお賽銭を納め、
皆で大きな声で、般若心経を唱え、御詠歌を歌う。
終わったら即、踵を返し、次の札所へ。

ほとんど見学はなく、サッサッと向かう。撮影の間もない。
恐ろしく真面目な巡礼の旅である。

そんな旅に、私は過去5年続けて行き、四国霊場を1.6周した。
(残念ながら二巡り目の最後は、仕事の都合で行けなかった)

その最初の旅で、私はとても貴重で、思い出の深い経験をした。
 
四国の巡礼には、一般的に行かれる八十八の札所(寺院)に加え、
番外として二十ヵ所の札所がある。

その番外の、別格寺院3番目「慈眼寺」でのことだ。
穴禅定3

「慈眼寺」は徳島県の第二十番札所「鶴林寺」の奥の院である。
山岳修行の場として、有名な寺である。

ここは、三日目の宿泊場所だが、山寺にバスが着いた時は、
すでに夕闇もせまり、ショボショボと小雨が降っていた。

弘法大師(空海)も修行したと言われる“穴禅定”を行う場所は、
お寺からさらに、山道と岩の上を十分ほど登った所にある。

薄い白衣と小さな草履を借り、雨で滑るきつい道を用心して登る。
まもなく岩盤上に、古錆びた赤い鉄格子に囲まれた鉄扉が現れる。

岩山を這うように鉄階段が作られ、普段は人が立入らないように
鉄扉に鍵がかかっている。

扉をくぐり、急な鉄階段の手摺に掴まり登ると崖の上にでる。
そこに“穴禅定”へ続く小さな洞窟口がある。

“穴禅定”への入口は、岩がせってできた狭い縦割れの隙間だ。
 
身体を横に、左手にローソクを持ち、その手を前に伸ばしたまま、
岩肌に身体を擦らせながら、横歩きで少しずつ進まねばならない。

御導師の小さな御婆さんが先頭に立つ。
その人の指示どおりに、 身体を動かさないと、少しも進めない。

教わった人は後ろの人に、伝言ゲームのように教え、また次へ。
「頭を下げ~、左肩から斜めに入って、もう一歩。左足を前に~、
そこで右足を抜く。 そう、そこで身体をひねって~、曲がる」

みたいに、なんとも、頼りない。 だが‥
本当にその通りにしないと、体の大きい男などは岩に挟まって、
前進も後退もできなくなるのである。

穴禅定4

事実、去年は、男の人が引っかかり、半日、出れなかったという。
私は比較的、肩幅と胸厚があり、その不吉な話に、顔面蒼白。

 小柄な女性は問題が無い。だが、大きめの男には“地獄”である。

入ってすぐ“これは絶対に無理”と毛が逆立ち、戻ろうと振り向く、
が、既に狭い岩間に後続の列。退路が絶たれ、前進しかない。

20人近くが顔と顔を近づけ、暗闇を手探りで、前を頼りに進む。
正にに暗中模索。 “今、地震があったら?” 嫌な思いがよぎる。

 フゥー、フゥーっと、荒い鼻息でローソクが、何度も消え、暗くなる。

せった岩が、白衣一枚の肌を容赦なく擦り、骨盤を挟みこむ。
奥へと下る地面は雨水が伝い、素足はドロまみれ。
草履がやたらと滑り、足の裏を岩が噛む。
 
這いつくばらねば抜けぬ難所もある。汗みどろで必死のパッチ。
嗚呼、夢なら、早く覚めて欲しい‥‥

たっぷり一時間かけ、やっと中央の広くなった空間へたどり着く。
そこには大きな鉄の燭台があり、何百もの蝋燭が灯されている。

岩肌が橙色にユラユラと揺れ、長く伸びた複数の人影が躍る。

なんと、神々しい風景であろうか‥。 思わず、合掌。

全員がたどり着くのを待ち、灯火で煤けた空気にむせながら、
般若心経の大合唱。  仏説 摩訶 般若 波羅~ 蜜多 心経~
 
カンジザイボサツ ギョウジンハンニャハラミタジ‥
洞窟内がグワンと響き、湿気た生温い空気が大きく、揺れる

ショウケンゴウオンカイクウ ドイッサイクヤク‥
唱える男女の顔が汗と雨に濡れ、蝋燭の揺らめきに赤く輝く。

とても神秘的で荘厳な、仏との一体感さえ感じる、時が流れた。

穴禅定9

一息の後、また同じだけ苦労して、隙間を縫い出口へと向かう。
頭をぶつけ、腹をこすり、ひざを痛めて、やっとの思いで下界へ‥

だがこの穴は、両手を外へ伸ばし、頭を先にせぬと出れないのだ。

外で手助けしてくれる御導師の御婆さんに励まされ、岩を掴み、
両腕に力を入れ、グッと身体を浮かせ、スルッと穴から抜け出す。

「アァ、生き返った~」    思わず、大きな吐息とともに声がでる。

すかさず、御婆さんがニッコリして、声をかける。
「オメデトウ、安産だったねぇ~」。   その一言に、ハッとする。

そうだ、この“穴禅定”は、母体(子宮)から産みの苦しみを経て、
誕生する赤子の道にも通じていたんだ。

この世に生を授かった喜び、それを体感する修行なのか‥。

清清しい思いと、生かされている事の喜びを、心から感じた。
「ありがとう、オフクロ。俺を生んでくれて」 感謝の念が堰を切る。

この年の桜の季節に母は他界した。その供養の巡礼でもあった。

そして今日、四月十一日は、母の十五回目の「命日」である。

穴禅定6
※この文は5年前、Mixiに掲載したものを改めて加筆修正しました