京から旅へ/お伊勢さん初まいり | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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お伊勢さん=「神宮」へ初まいりをしてきた。

正月ではなく、毎年、この時期。
京都市内、山城、丹波の神社が希望者を募り、皆でお参りに行く。

今回は245名の参加。バス5台が連なっての「お伊勢参り」である。


私は2005年に、式年遷宮に関わる「お木曳き」に参加して以来、
8年間ずっと、この初参りにも参加している。

熱心な伊勢信仰がある訳でなく、むしろ八百万の神にすがる方。

だが神宮は、京都からの距離も程よく、熊野三山へも周れる要所。
特に今年が遷宮の年でもあり、何かと訪れる機会は多いのである。

昨年も、他団体の研修と個人的な旅を含め、四回は来ている。

私的なお参りの他は、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)其々に、
正式参拝もさせていただいた。今回もそんな一コマである。

                   
 
参加者の年齢は高い。たぶん私はまだ、若い?。とは言っても
走行距離の割に休憩が多く、ゆとりのある行程は、やはり有難い。

内宮へ続く宇治橋と、前に立つ大鳥居を車窓に映しバスが停まる。

バスから溢れ出る参拝者の波は鳥居を潜り、五十鈴川に架かる
橋を渡り、神苑へと流れる。広く長い参道が、奥の森へと誘う。

朝早く、散水されたのか、参道の砂利が、黒い道を形づくり、
砂埃が靴を白くする、そんな不安もなく、足が快く運ばれる。

ザッザッザッと小気味良い音に馴染む頃、大きな手水舎が現れる。

普段ならこの場所で、柄杓を使って、両手と口を清めるのだが、
今年は初めて、五十鈴川のせせらぎに直接、手を入れて清める。

「去年はこの川に肩まで浸かって、禊をしたんですよ」と、
若い神職が、屈託のない笑顔で、懐かしそうに語ってくれた。
 

さらに一行は二つの大鳥居を抜け、正宮の入口へと歩みを進める。

正宮内へ入り、参拝の前にコートを脱ぎ、マフラーもはずす。
首筋にスーッと冷気が差し、ピンと、気持ちまでが引き締まる。

手荷物を外棚に残し、全員、四列に並び直して、そのまま低頭。
塩によるお清めをいただき、黙したまま、新御敷地へと列は動く。

一面に敷き詰められた、拳ほどの濃い鼠色の玉石をカチャカチャ
と踏み鳴らし、ぐるりと玉垣を大きく廻り、御正殿前へと進む。

ネクタイを締め直し、背広のボタンを探り、背を伸ばす。

代表の方が一人、鳥居下へ続く白い玉石を歩み、立ち止まる。

彼の動きに合せて全員で、二拝、二拍手。“パン! ” “パン!”

そして、深く、一拝。数分で滞りなく、正式参拝は終了する。
 

いよいよ今年は遷宮である。昨年末はまだ槌音がしていたが、
今は其処が、新たな聖地となるべく、御正殿が建っている。

白く覆われた幕間から、茅葺屋根の太い曲線が美しく伸びて、
冬の低い午後の陽を浴び、初穂のような黄金色に輝いている。

残る工事は、周りを囲む、木造りの玉垣だけだと聞く。

二十年の歳月を経て、いよいよ秋には新御正殿へ移られる。
そのための式典日程は、保安上もあり、まだ未定のようである。

式年遷宮は、日本の伝統技術と文化を継承する事を主目的に、
二十年毎に、建築物だけでなく宝物も、全てが新しく造られる。

その歴史は、690年の持統天皇4年から始まり、戦国時代の一時期
を除いては、現在まで、1300年間も続けられてきたのである。

膨大な人々の情熱とエネルギーが、動植物など自然の営みも含め、
長い時間をかけゆっくりと、遷宮に向けての「創造」がされてきた。

そして今年、遷宮が終えられた日からまた、次の二十年後へ。
七千三百日後の遷宮へと。コツ、コツと、時は動き出す。

                   

この地を訪れる人々の思いは其々。日頃、手を合す神々も其々。

とは言え、恒久の平和を願う“心”は誰もが、きっと同じはず‥

これからの二十年も。子供たちの、子供たちに続く、その後も。
平和の中でコツ、コツと、時が刻まれていく事を願いたい。

2013年冬。そんな思いの“お伊勢さん初まいり”であった。