「お白石持行事」は20年毎に行われる、式年遷宮の行事の一つである。
新しい御正殿の聖域に敷詰める「お白石」を奉献するのだが、参加には、
事前に神社等を通じて申込み、一日神領民という立場を得る必要がある。
7月から9月にかけ、内宮で18日間、外宮で16日間、その行事は行われた。
延べ約23万人が、全国から伊勢へ伊勢へと集まった、大イベントである。
その23万人の一人として私も、8月の中旬に参加した。
「お白石持行事」は、前日の浜参宮でのお祓いから始まる。
夫婦石が有名な二見興玉神社で、心身を清める禊の儀式である。
以前「お木曳き行事」の時は本殿で行われたが、今回は人数が多い為か、
熱中症を気づかってか、手前の海岸広場に集められ、サクッと行われた。
石鳥居の前に白い箱形テントが建ち、中を白と紫の垂れ幕が三方に掛けられ
真ん中に祭壇が設けられている。その前で神職が禊のお祓いをしてくれる。
低頭する行列に、大幣(おおぬさ)が左右左と、大きくゆっくりと揺れて、
すっかり身と心が清められ、晩餐に御神酒をたっぷり頂いたら完成である。
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翌日の「お白石持行事」は、朝七時からの開始である。
五時に起き、朝風呂と食事をすませ、生あくびを噛みしめてバスに乗る。
ホテルから会場まで移動。お白石を積んだ大きな「奉曳き車」の白綱を
全国から集まった人々が総出で引っ張り、外宮内に納めるためである。
背中に“伊勢”の書き文字が印刷された白い袢纏を着て、頭には鉢巻き、
腰から下は、白いウェアとシューズ。全身白づくめの出で立ちである。
「奉曳き車」は巨大な木製のリヤカーである。
大人の肩に届くほどの車輪を左右に設け、荷台には大きな白木の酒樽が
30以上積まれ、その樽毎に「お白石」が山盛り入れられている。
全長260Mの白い綱を二本「奉曳き車」に繋ぎ、二列に広がって引っ張る。
綱の左右に分かれた人々が、エィヤーの掛け声と共に、緩々と曳いて行く。
どれだけの人々が参加しているのだろうか?前との間が詰まり歩きづらい。
朝とはいえ気温も上昇し、袢纏の下は既に、じっとり汗ばんでいる。
距離は知れたもので、1時間もかからず外宮の入口にたどり着いたが、
集合から出発まで、待ちがエラク長かった為か、ヤレヤレという感じだ。
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目的の「お白石」は車を曳いた後、別の場所まで歩いて移動して受取る。
使われる石は、大台ケ原を源とする宮川流域で拾い集められたものである。
私が渡された「お白石」は、大人の拳より一回り大きい扁平の石だった。
一人一個とはいえ、延べ約23万個が、人の手で運ばれたと思うと凄い。
「お白石」を持った人々は、再び長い列をなし、新しい御正殿へと向う。
白い大蛇のような列は、木の鳥居を潜り、聖域へと吸い込まれていく。
御正殿の建つ、内玉垣の中は未知の世界。正式参拝でも決して入れない。
その聖域へ、造りたての茅葺神殿造りが拝見できる。感動である
太く真新しい白木の帆立柱。緩やかな曲線を描く、美しい茅葺屋根。
その上で鋭角に空間を割く千木、どっしりと座る、九本の鰹木。
夫々が主張し、調和しながら、夏の光を浴び、黄金色に光輝いている。
古代から続く、優れたアーキテクチュア。まさに神々しい風景である。
ご正殿廻りに既に敷かれた「お白石」に、自分のを納める役目も忘れ、
写真が撮れぬ代りに、脳裏に焼き付けるため、食い入るように見続ける。
やがて前の列との間が、空きすぎたのに気付き、後ろ髪を引かれながら、
もう二度と、見れないという思いを残し、聖域を離れて行った。
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外宮には、豊受大御神(とようけのおおみかみ)がお祭りされている。
豊受大御神は、天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)である。
雄略天皇が夢の中で、天照大御神の教えを受け、丹波の国から内宮に近い
山田の原にお迎えしたのが始まりで、1500年ほど昔のことのようだ。
豊受大御神は、衣食住の恵みを与えてくれる、産業の守護神だとも聞く。
とすれば、今回の旅は、景気回復を願う庶民にとっては、何とも有難い
女神様の“ご縁”に触れた、サマージャンボなひと時だった。とも言える。
※写真は内宮に入る入口の鳥居です。外宮ではない