伊勢神宮・式年遷宮/お白石持行事 | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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「お白石持行事」は20年毎に行われる、式年遷宮の行事の一つである。

新しい御正殿の聖域に敷詰める「お白石」を奉献するのだが、参加には、
事前に神社等を通じて申込み、一日神領民という立場を得る必要がある。

7月から9月にかけ、内宮で18日間、外宮で16日間、その行事は行われた。
延べ約23万人が、全国から伊勢へ伊勢へと集まった、大イベントである。
その23万人の一人として私も、8月の中旬に参加した。
 

「お白石持行事」は、前日の浜参宮でのお祓いから始まる。
夫婦石が有名な二見興玉神社で、心身を清める禊の儀式である。

以前「お木曳き行事」の時は本殿で行われたが、今回は人数が多い為か、
熱中症を気づかってか、手前の海岸広場に集められ、サクッと行われた。

石鳥居の前に白い箱形テントが建ち、中を白と紫の垂れ幕が三方に掛けられ
真ん中に祭壇が設けられている。その前で神職が禊のお祓いをしてくれる。

低頭する行列に、大幣(おおぬさ)が左右左と、大きくゆっくりと揺れて、
すっかり身と心が清められ、晩餐に御神酒をたっぷり頂いたら完成である。

                     

翌日の「お白石持行事」は、朝七時からの開始である。
五時に起き、朝風呂と食事をすませ、生あくびを噛みしめてバスに乗る。

ホテルから会場まで移動。お白石を積んだ大きな「奉曳き車」の白綱を
全国から集まった人々が総出で引っ張り、外宮内に納めるためである。

背中に“伊勢”の書き文字が印刷された白い袢纏を着て、頭には鉢巻き、
腰から下は、白いウェアとシューズ。全身白づくめの出で立ちである。

「奉曳き車」は巨大な木製のリヤカーである。
大人の肩に届くほどの車輪を左右に設け、荷台には大きな白木の酒樽が
30以上積まれ、その樽毎に「お白石」が山盛り入れられている。
 

全長260Mの白い綱を二本「奉曳き車」に繋ぎ、二列に広がって引っ張る。
綱の左右に分かれた人々が、エィヤーの掛け声と共に、緩々と曳いて行く。
 

どれだけの人々が参加しているのだろうか?前との間が詰まり歩きづらい。
朝とはいえ気温も上昇し、袢纏の下は既に、じっとり汗ばんでいる。

距離は知れたもので、1時間もかからず外宮の入口にたどり着いたが、
集合から出発まで、待ちがエラク長かった為か、ヤレヤレという感じだ。

                     

目的の「お白石」は車を曳いた後、別の場所まで歩いて移動して受取る。
使われる石は、大台ケ原を源とする宮川流域で拾い集められたものである。
 

私が渡された「お白石」は、大人の拳より一回り大きい扁平の石だった。
一人一個とはいえ、延べ約23万個が、人の手で運ばれたと思うと凄い。

「お白石」を持った人々は、再び長い列をなし、新しい御正殿へと向う。
白い大蛇のような列は、木の鳥居を潜り、聖域へと吸い込まれていく。

御正殿の建つ、内玉垣の中は未知の世界。正式参拝でも決して入れない。
その聖域へ、造りたての茅葺神殿造りが拝見できる。感動である

太く真新しい白木の帆立柱。緩やかな曲線を描く、美しい茅葺屋根。
その上で鋭角に空間を割く千木、どっしりと座る、九本の鰹木。
夫々が主張し、調和しながら、夏の光を浴び、黄金色に光輝いている。

古代から続く、優れたアーキテクチュア。まさに神々しい風景である。

 ご正殿廻りに既に敷かれた「お白石」に、自分のを納める役目も忘れ、
写真が撮れぬ代りに、脳裏に焼き付けるため、食い入るように見続ける。

やがて前の列との間が、空きすぎたのに気付き、後ろ髪を引かれながら、
もう二度と、見れないという思いを残し、聖域を離れて行った。

                     

外宮には、豊受大御神(とようけのおおみかみ)がお祭りされている。
豊受大御神は、天照大御神のお食事を司る御饌都神(みけつかみ)である。

雄略天皇が夢の中で、天照大御神の教えを受け、丹波の国から内宮に近い
山田の原にお迎えしたのが始まりで、1500年ほど昔のことのようだ。

豊受大御神は、衣食住の恵みを与えてくれる、産業の守護神だとも聞く。

とすれば、今回の旅は、景気回復を願う庶民にとっては、何とも有難い
女神様の“ご縁”に触れた、サマージャンボなひと時だった。とも言える。
 
※写真は内宮に入る入口の鳥居です。外宮ではない