京から旅へ/ 紅葉の身延山「久遠寺」② | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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身延山「久遠寺」の境内には、斜行エレベータに乗って行く。
20分毎に運行し、これなら三門から287段の階段を上らずにすむ。

三門とは、空、無想、無願の三つの境地を経て仏国土に至る門
の事で、三解脱(さんげだつ)の門を表す、とされている。

久遠寺三門は、京都の南禅寺、知恩院と並び、日本三大三門に
挙げられるが、今回はコースから外れ、残念だが見れない。

斜行エレベータで昇ると、そこに幾つもの大伽藍が広がっていた。
本堂、祖師堂、仏殿、五重塔、大鐘楼‥。

身延山「久遠寺」の歴史は古く、最初の元寇(文永の役)があった
1274年(文永11年)に、日蓮上人が身延一帯の地頭から山を寄進
され開山した時から始まる。この時、日蓮上人、五十二歳である。

それまで幾多の試練を乗り越え、波乱万丈の生涯を送られたが、
身延山に入ってからは九年間。門弟の教育と信徒の教導にあたる。

                   

長い歴史の中で、久遠寺は何度も大火に見舞われてきた。

特に、1875年(明治8年)に西の坊から出火した火事では、殆どの建物
が消失している。何と150棟あった建物の内140棟も無くなったと云う。

その後、本堂は1985年(昭和60年)の日蓮上人700恩忌の記念事業
として再建。五重塔も2009年(平成21年)に再建されたばかりである。

 

本堂は黒塗りの柱が斬新で、また、五重塔は弁柄色が際立っている。

建物に重厚感と荘厳さを与える色彩だが、普段から京都の古い木の
文化財や社寺建築を見なれている者には、少し違和感がある。

が、新しい建物はこういうものだ、と一人、己を納得させた。

本堂の天井には、天龍寺の法堂と同じ、加山又造画伯により描かれた
龍が睨みを効かせていた。金箔に墨で描いた「黒龍」である。

本堂、祖師堂、仏殿を巡り、「久遠寺」の人がとても楽しく、詳しく
案内をしてくれたが、やはり時間が少ないのは否めない。

 

もっとじっくり、建築のディテールや、仏像、秋の景色に溶け込む
社寺のシルエットを楽しみたいと云う、想いを残しながら‥

身延山山頂に建つ「思親閣」へ向う、ロープウェイまで、足を進めた。

■つづく、紅葉の身延山「久遠寺」③