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 みんな上手くいってるのに、うちの子だけが失敗した・・・そんな時、どんな気分になりますか?


実はね、今朝、そんな場面がありまして。

たまたま小2になる娘の通う学校に行ったんです。

外には子どもたちの植木鉢が並んでいて、チューリップの花が咲き始めていました。

「うちの子のはどうかな?」と娘の鉢植えを探してみたら・・・

二つの球根がそのままの状態で頭を出していました。

「あら、これは咲かないかもね汗」

それを見て、ちょっと残念な気持ちになったんですよね。

娘が「チューリップを咲かせられなかった」と傷つくんじゃなかろうか、と。

それはかわいそう、と勝手に同情しそうになってる私がいました。




まぁ、確かに、花を咲かせていたり、茎が伸びていたりと成長している友達のチューリップを見て、子どもなりに感じることはあると思う。

でも、傷ついているかどうかはわからない。

いや、実は傷ついていたのは、ワタシ。

娘のチューリップの姿を見て、ふと思い出したんです。

小学生の時のこと。

3年生くらいだったかなぁ。

授業で、ジャガイモを水につけて育てる、という課題がありました。

みんな教室でジャガイモを育てたんだけど、私だけうまくいかなくてね、腐らせちゃったんです。

その時、腐った水が臭くて、クラスメイトの男の子に「クセ〜!」とか言われたんですよね。

今ならそんなの、笑って終わらせちゃうと思うけど、当時はガラスの心だったので(笑)、自分が責められているような気持ちになっちゃったんですよね。

娘のチューリップはまさに、その時の感情までを私に思い出させるものでした。

私は娘と娘のチューリップに、過去の自分と、腐らせたジャガイモを重ねて、一人傷ついていたのでした。

しかもジャガイモのことなんてずっと忘れていたのに、まだ傷として残っていたんですね。





私たちはつい、できなかったこと、失敗したことには大げさに反応してしまう。

時にはたった一つの失敗で、自分の全てを否定してしまったり、何もかもがうまくいっていないような気になったりする。

できないことや失敗したことよりもたくさん、できた経験やうまく行った経験をもってるのに。

できることは当たり前、できなかったら困った!ヤバい!という感覚の違いは、多くの人が持っている。

本当は当たり前のことなんて何もないし、できないことや苦手なことがあるのは当たり前なのに。

あなたはできることとできないこと、うまくいったことと失敗したこと、どちらに目が向きますか?

どちらに目を向けたいですか?



 

 

 
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誰かの言葉に傷ついたこと、ありますか?

ぐさっとくる言葉やチクリと心が痛む言葉を受けた経験は、いちいち全部を覚えてはいられないくらいあるかもしれません。

私もいくつかの衝撃的なもの以外は忘れてしまっているけど、いまだに思い出してはチクリと痛みを感じるものもあります。

言葉を発した人には何の悪気もない、ということもありますが、言葉って実はすごいパワーを持ってます。




しかも時にはそれが無意識レベルに入り込んで、自分ではすっかり忘れているのに、何かあるごとに過去に言われた言葉が思考や行動に影響する、ということも・・・

例えば私は、小学生の頃、母に散々「遅い!」と怒られてました。

母子家庭だったので、 今思えば母も忙しかっただろうし、貴重な時間をチンタラのんびりされたらイラつくこともあるのでしょう。

もっと早く!と思うのも、今ならわかります。

でも、当時の私からすると、遅くしているつもりもないのに怒られて、「遅いのはダメなこと」という思い込みを持ち、「遅い!」と言われることは「あなたはダメ!」と同じイミを持っていました。

これは大人になるまで、私の深いところで自己イメージに影響し、思考や行動を支配していたな、と思います。

別に母はそうしようと思ったわけではないんですよね。

ただ「もっと早くして欲しかった」だけ。


言葉のコミュニケーションではこんな風に、意図とは違うメッセージが伝わってしまうことがありますよね。




「そんなつもりじゃなかったのに!」
という経験も、誰もが持っているかもしれません。

だからこそ、どんな意図を持って言葉を発するかは大事。


ちょうど今朝、保育園児と引率の先生が歩いている場面に出会いました。

年少さんくらいの子に先生が
「登らないで!転ぶから!」
と注意しているのが聞こえてきてね。

「あ〜、呪いの言葉のよう!」
と思ったんですよね。

だって、「転ぶから」って、まるで予言のようでしょ?笑

それも起きてほしくないはずの予言。

先生が子どもに転んでほしくて言ってるわけじゃないことはわかってる。

でも、その言葉の使い方ではやっぱり「呪いの言葉」だなぁって思うんです。

脳は否定語を理解できない

これは脳科学をかじったことがある人ならきっと、一度は聞いたことがあると思います。

「青いゾウを想像しないで」
と言われたら、多くの人の頭には“青いゾウ”が浮かびます。

「登らないで」と言われれば、登るイメージが浮かぶし、「転ぶよ」と言われれば転ぶイメージが浮かぶ。

図らずも先生が起きてほしくない方を子どもにイメージさせてるんですよね。

そしてイメージは、現実を招きやすくする。

だからこそ、先生の言葉が「呪いの言葉」に聞こえてしまったのです・・・


でも言葉って、時に勇気をくれたり、幸せな気分になったりもします。

自信がなくなった時、誰かの言葉に「また頑張ろう」って思えた

落ち込んでる時、誰かの言葉にあったかい気持ちになった

そんな経験も、誰もが持ってるんじゃないかな?

これはまさに、言葉の魔法だと思うんです。




言葉は魔法にも呪いにもなる。

だからビクビクするのではなく、私は愛をもって発することを大事にしたいなぁ、と思ってます。

言霊、という言葉があるように、昔の人々は言葉として発したことが現実になる、と信じていました。

それは迷信とか思い込みではなく、本当にそうなんだと思うんです。

だからこそ、どんな意図を持って言葉を発するかが大事で、そこにはいつも愛をもっていたいな、と。

あなたはどんな意図を持って言葉を使いますか?

 

 
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昨日の春分に合わせて、私が贔屓にしているYouTubeチャンネルでは「こんなことをするといいよ」系の動画が上がっていました。
(ちなみに私は、スピリチュアル系の動画をよく見ます)


何人かの方の動画を見たのですが、多くは視聴者からの「何をしたらいいですか?」「これができないけど、大丈夫?」といった質問に答える形でお話しされていました。


たしかに大きな節目の時だし、運氣を上げるためだったり、良からぬことを引き寄せないためにできることはやりたい、と思う方が多いのも納得。


私も春分の日は毎年、お墓参りに行くと決めてます。


ただ、「何をしたらいい?」「何が必要?」と聞くのもいいけど、それを知った後、「自分はどうしたいのか」を確認するのを忘れていないかな?と思うことがあります。


私自身もクライアントさんから「こういう時、どうしました?」「こんな場合、どうしたらいいですか?」と聞かれることがあります。





私の経験をお話しするのは全く問題ないのですが、それはあくまでも「私の経験」であって、その方にとって良いかどうかは別の話。


参考にはなるかもしれませんが、正解ではないのです。


そしてコーチとしては、その人の中にある答えを見つけるのが存在意義でもありますから、「あなたはどうしたいですか?」と聞くことがほとんどです。



それは「縁起がいい」とか「エネルギーが高い」とか言われるような日の過ごし方も同じ。


いろんな視点から「これをやるといいよ」というものはあります。


それら全部を「良さそう!」と受け入れて、「やってみたい」とやるのもいいし、「へぇ〜、そうなんだ。でも、ちょっとめんどくさい」「私には難しいな」とやらない方を選んでもいい。


結局、いろんな話を聞いても、その後どうするのかは自分次第。


やるのかやらないのか、どちらを選ぶこともできる。


その時、選択基準で大事なのは「やった方がいい」とか「やらなきゃヤバイ」じゃなくて、「やりたいかどうか」。


自分の心の声をちゃんと聞いてあげることが大事。


どんなにやった方がいいと言われることだって、違和感を感じながらやったり、氣乗りしないのにやっても、いいことなんてないから。


もちろん形も大事ですよ。


形から入ることを否定するつもりはないけど、自分の心にウソをついたり、自分の本心を騙しながらやるのは、何より自分自身を傷つけたり、虐げることにならないかな?


何か行動を起こす時、「あの人が言ったから」ではなく、「私がやりたいから」を動機にした方が、自分で選んだ感覚は得られますよね?!





現代人は社会の期待に応えることを鍛えてきた人が多いから、心の声を聞くのか苦手な人も多いようです。


もし、自分の心の声が小さすぎてよく聞こえない、という方は、まずは小さな選択、行動から「やりたいの?やりたくないの?」と自分に問いかけてみるところからやってみるといいかもしれませんね。



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起業塾などに行くと、「言い訳はするな」というようなことを言われることがあります。
(私のお世話になった方々は、そんな強い言葉を使うことはなかったけど)
 
確かに、やりたいことがあるなら、言い訳しないでやった方がいい。
 
そんなのはきっと、誰だってわかってる。
 
子どもだって、「言い訳しないでできるならやりたい」と思っているかもしれない。
 
でも、できない理由を探して後回しにしちゃうこと、ありませんか?
 
今朝、あるコミュニティでの対話の中で、私の中にもそんな自分がいることに氣づいちゃいました。
 
 
 
きっかけは、あるワーク。
 
 
苦手な人を思い浮かべ、その人のイヤなところ、その人に対する不満を「彼(彼女)は〇〇すべきだ」のような言葉で表現する、というワークでした。
 
私は元夫を思い浮かべ(元夫が苦手な人っていうのがね…笑)、「思っていることは口に出すべき」「思っていることは行動に移さなければいけない」と書いたんです。
 
この時点では、まだ相手のイヤなところを表現しただけなんだけど、この時点で氣づいちゃったんですよね・・・
 
「あっ、これ、自分に言ってる言葉だ」って。
 
私は夫に対して、思っていることを普段から口にしないことや、「思ってる」と言いながら、行動が伴っていないことに対して不満を持っていました。
 
でも、実はそれは投影でもあったようで・・・
(投影というのは、自分の中に認めていない自分がいる場合、他人の中にその要素を見つけると、排除したくなったり、避けたくなったり、相手を正したくなったりする反応が起きることを言います)
 
私は思っていることを口にしてる?
 
私は思ったことを行動に移せてる?
 
とその文章から問われているような氣がして
 
「あ〜〜〜_| ̄|○」
 
となったんです。
 
 
ワーク自体はここから言葉を言い換える、というものだったのですが、そうやってやり進めていくうちに、さらに氣づきが深まって・・・
 
私は「やりたい」「やった方がいい」と思っているものの中でも、「それをやったら忙しくなる」「忙しくなったら、疲れちゃう」「本当にやりたい他のことができなくなっちゃう」とブレーキをかけて、行動に移していないものをいくつか抱えてたんです。
 
しかもね、厄介なのは、「言い訳しちゃいけない」っていう思い込みを持ってたの!
 
あとで思い出したけど、私の母はよく、私たちが幼い頃に「言い訳するな!」を家訓として話していたんですよね。
 
さらに冒頭にも書いた、起業塾での教えも重なって、どこかで言い訳しちゃいけないって思ったいたようです。
 
言い訳しちゃいけないけど、できない理由を見つけてはやらない方を選ぶ、ということを、私は無意識にやってきたようです。
 
しかも、言い訳したくないし、何なら後回しにしてる自分も見たくない。
 
イヤな自分、ダメな自分は見たくない。
 
だから、見ないふり、氣づかないふりをしていたんですね。
 
 
そんな自分を目の前に突きつけられた氣分(汗)
 
 
見ないふりをしても、氣づかないふりをしても、私の中にはそんな自分が確実にいて、そんな自分を鏡のように見せていた元夫に心乱されていたんだなぁ・・・
(別にそれが離婚の原因ではないけどね)
 
 
「言い訳するな!」を真に受けて、本当に言い訳しないで生きられる人は、素晴らしいと思う。
 
私もそれくらい素直に、実直にできたら、どんなにいいだろう。
 
でも、凡人の私にはそれはちょっとハードルが高くて・・・汗
 
やっぱり何か理由をつけては、諦めてしまうこと、後回しにし続けてしまうことがある。
 
でも、「だからダメ」としている間は、言い訳をしている自分に目を向けることすらも放棄してるんですよね。
 
そこから一歩抜け出して、何かを変えようと思ったら、言い訳した自分に目を向けてみないことには、何も始まらないんだなぁ、な〜んて、当たり前のことに改めて氣づいたのでした。
 
 
そして、そこに目を向けてみて、「やろうかやるまいか」ずっと行ったり来たりしていたことを、とりあえずやってみようかな、と。
 
やってみたら、「やっぱり無理だった〜!」となるかもしれないし、「案外、やれちゃうもんだね」となるかもしれない。
 
そればっかりはやってみないとわからない。
 
まずは“言い訳して諦める自分”から一歩抜け出して、“やってみて諦める(かもしれない)自分”になってみようかな、と。
 
そこで見える景色は、今までとは少し違うはず。
 
 
言い訳ってしない方がいいけど、言い訳しちゃう自分までダメってしなくていいよね。
 
私自身の体験から、そんなことを感じたので書いてみました。
 
言い訳が許せない誰かのお役に立てたかな?笑
 
 
 
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貢献と自己犠牲の境目がわからなくなる、とクライアントさんから尋ねられることがあります。
 
確かに、貢献したいと思って始めたことが、どこかで自己犠牲になっていることに氣づく、ということ、ありませんか?
 
いや、むしろ以前の私は、自己犠牲と貢献の違いすら分かってなかった汗
 
自分を犠牲にしても、誰かの役に立つことが貢献なんだと思い込んでいた頃がありました。
 
それは、自分を後回しにして、置き去りにして、誰かの期待に応える生き方をしてきたしまったがゆえの思い込みでした。
 
 
 
誰かの期待に応える
 
その一番古い記憶は、親の期待に応えることだった氣がします。
 
「きっとこう言ったら親は喜ぶんだろうな」
 
となんとなく親の顔色を伺っていたんですよね。
 
これ、私が長女という役割だったこともあるのかしら?
 
大人になった今でも、親に「どんな子どもだった?」と聞くと「育てやすいいい子だった」と言われます。
 
それは確かに、私がおとなしい性格だったこともあると思います。
 
でも、いい子でいようとしていたのだとも思います。
 
そうやって親の期待に応えようとしていた私は、学校に行けば先生や友達の期待に応え、社会に出れば上司や後輩の期待に応え・・・と、どこにいても誰かの期待に応えることが当たり前になっていました。
 
 
「きっとこんな役割を期待されてるんだろうな」
 
「きっとこんな発言を期待されてるんだろうな」
 
「きっとこんな成果を期待されてるんだろうな」
 
みんなの期待を先回りして応える力は、やればやるほど鍛えられていたのでしょう。
 
 
そしてその分、失ったものがあったことに、私は氣づいていませんでした。
 
それは、自分の本心に氣づく力。
 
私という人間を表現する力。
 
 
 
心理学やコーチングを学んで、「あなたはどうしたい?」と言われた時、あまりにもそこにスポットライトを当ててこなかったことに初めて氣がつきました。
 
自分はどうしたいか、の前に
 
みんなはどうしたい?
みんなはどうするの?
どうするのが一番いい?
 
そんな風に考えるクセがついていたんです。
 
そりゃそうですよね・・・何十年も人の期待を優先させてきたんだから。
 
 
 
期待に応えることと誰かの役に立つことは、似ているようで違います。
 
期待に応えられても、自分を後回しにしていたら、それは自己犠牲であって、貢献とは言えない。
 
自己犠牲で何かをしてもらって、それを受けた人は本当に幸せ?
 
 
いろんな考えがあると思うけど、自分も人も大切に、自分も人も幸せに、が貢献だとしたら、自分を見失いながらの貢献はないよね。
 
そして、自己犠牲の裏には、自分が自分を認められないから、誰かの役に立つことで、自分を認めてもらいたい、という氣持ちが隠れていると思っています。
 
誰かの役に立つことで、自分の価値を認められる。
 
だから人の期待に応え、人のために何かしたいと思ってる。
 
そうだとしたら、それは貢献ではないんだろうな、と。
 
私は長らくここにいたと自認していますけどね。
 
自分の価値は、人から存在意義を認めてもらうことでしか感じられなかった。
 
歪んだ貢献。
 
そこから抜け出して、本当の意味で誰かの役に立つためには、誰かのために、を一旦抜け出し、自分はどうしたいのか、自分は何を感じているのかに丁寧に触れてあげる、そんな自分との時間からスタートさせることが大切なんですよね。
 
そういう私自身も、まだ、どこかに置き去りにしてしまった自分がいると思っています。
 
ここから先も、時間をかけて、ゆっくり、丁寧に、対話していこうと思います。
 
 
 
もしあなたが貢献したいと思いながら、時に自己犠牲になってしまうような氣がしていたら、一旦立ち止まって、自分の心の声と対話してみませんか?
 
 
 
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昨夜の地震、被害を受けられた方、大きな動揺を受けられた方がたくさんいらっしゃることでしょうね・・・
 
謹んでお見舞い申し上げます。
 
 
私も久しぶりの大きな揺れに、少なからず動揺し、怖さを感じました。
 
「私は子どもたちを守れるのか?」という怖さ・・・
 
そして、こんなピンチを思うような場面こそ、コアとなる部分を問われているような氣がしています。
 
 
「で、あなたはどうするの?」と。
 
 
 
地震もコロナも、私たち人間の力の及ばないもの。
 
良い方向へと進むように、と願っているけれど、力づくでコントロールできるようなものじゃない。
 
むしろ、私たちはそれを受け入れて、その中で自分達ができることを淡々とやるしかないのだな、と思わされる。
 
そんな時、本当に自分の大事にしたいものを大事にして、本当に進みたい方向へと進むためには、自分の心のコントロールが欠かせない。
 
心のコントロールというのは、無理に落ち着こうとしたり、冷静なふりをすることではない。
 
それが恐れや怒りであっても、自分の感情に氣づき、受け入れ、その上で進みたい方向を定め、そのために何ができるのかを見ていく。
 
そんな力。
 
正直言って、自分の心をいつでも整えることができたら、天変地異があったって、自分の人生を決めていくことができると思っています。
 
自分で自分の心を整えるために、日頃からできること。
 
その一つが「で、あなたはどうするの?」と自分に問いかけること。
 
問題に目を向けていても、状況を変えることはできません。
 
さらには問題が大きく見えるばかりで、「自分にはどうにもできない」という感覚が大きくなるばかり。
 
だからこそ、辛い時にもその先に目を向けてみる。
 
そこから抜け出したら、どうなりたい?
 
本当はどうなったらいい?
 
 
 
でも、問題が大きく見える時、そこから目を逸らそうとしてもそれは難しい。
 
困った時、混乱した時、人は一気に視野が狭くなる。
 
だからこそ、問いの力を借りたらいい。
 
問いはとってもパワフル。
 
『魔法のしつもん』もあるくらい。
(マツダミヒロさんが本も出されていますね)
 
これは脳の3つの原則で言われていることだけど、人の脳には『空白の原則』と呼ばれるものがある。
(山崎啓支さんが提唱されています)
 
人は空白を嫌う。
 
脳にとっての空白「?」、つまり問い。
 
脳は問いを投げかけられると、それを埋めようと答えを探す。
 
それは遠い遠い記憶を辿ったり、周りにある情報を収集したり。
 
ありとあらゆる方法を使って、答えを見つけようとする。
 
 
人は「Aを見るな」と言われても、行動を変えることは簡単じゃない。
 
「問題には目を向けるな」と言われても、どうしていいかわからない。
 
でも「どうしたい?」「本当はどうなったらいい?」と聞かれたら、どこかでそれを考える。
 
すぐに答えが出なかもしれないけど、脳は答えを探し続ける。
 
だから、答えが出るまで問い続ける。
 
「で、どうしたいの?」
 
問題が大きい時には、どうしたいかが見つかっても「そんなの無理に決まってる」という声も聞こえてくるかもしれない。
 
そんな時は、どっちの声を否定することもなく、やりたい自分とそれを制限する自分、両方に耳をむけてあげたらいいよね。
 
だって、どっちもあなたの声なんだから。
 
葛藤は苦しいけど、まずは葛藤していることを認めてあげることから、次の一歩が見えてくる。
 
 
 
何を望むか、何を選ぶのか、それは私たちが自分で決められる。
 
同じ目を向けるなら、自分ではどうにもならないことよりも、自分で動かせるものに目を向けませんか?
 
状況や出来事に目を向けるだけじゃなく、そこで何を感じているのか?
 
そんな自分の心に目を向けてあげよう。
 
問題ばかりを見てないで、その先に目を向けてあげよう。
 
 
何を見るかは自分が選べる。
 
何を見るかが未来を決める。
 
 
自分の人生は自分で創っていきませんか?
 
 
 
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卒園、卒業シーズン。
 
子どもの成長に喜びを感じる季節。
 
一方で別れに寂しさを感じる時でもありますね。
 
私は「別れ」がとっても苦手でした。
 
1年間しかお世話になっていなかった保育園の先生ですら、異動
の知らせを聞いて寂しくて寂しくて仕方なくなってしまうほど。
 
恥ずかしいくらい、涙が出てきてしまうんです・・・
 
自分でもなぜこんなに別れに弱いんだろう???と不思議に思っていました。
 
 
思い返せば、別れが苦手なのは子どもの頃から。
 
叔母や従姉妹が夏休みなどに泊まりに来た後、帰る時にも一人寂しくて大泣きしたのを覚えています。
 
今生の別れじゃないのにね。
 
でも、本当に寂しかった。
 
「あ〜、また一人か」という感覚が湧いてきたのを覚えています。
 
 
そんな私がね、去年の次女の卒園式の時に氣がついたんです。
 
別れは寂しいけど、以前のような救いようもない悲しみではなくなってるって。
 
もちろん、寂しさはあるんだけど、身が引きちぎられるような悲しみがなくなっていました。
 
何をしたのか?
 
 
実は、別れの悲しみをなくすためには何もしていません。
 
正直言えば、氣づいたら変わっていたんです。
 
ただ思い当たることが一つ。
 
それは、両親の離婚の時に味わった深い悲しみと向き合ったこと。
 
それは2年ほど前。
 
家系図を作るために取り寄せた戸籍謄本から、20年以上音信不通だった父の逝去を知ったのがきっかけでした。
 
父に対する行き場のない想いを浄化させなきゃいけない氣がして、40年前の両親の離婚の時から抱えてきた感情と向き合う作業をしました。
 
一人ではとても難しくて、カウンセラーの力を借りながら。
 
 
その時、ずっと握っていた罪悪感や孤独感や寂しさから解放されて、「寂しいと思っていたけど愛されてた」ということをようやく受け入れることができたのです。
 
そこから私の人生もずいぶん変わりました。
 
今思えば、離婚を受け入れられたのも「私は愛されていた」と信じられるようになったからかもしれません。
 
一人で(実際は一人ではないけどね)生きていこうって素直に思えたから。
 
 
「別れ」の話に戻りますね。
 
以前は「別れ」というだけで、やり場のない悲しみを感じていた私。
 
相手との距離感とか関係性とかに関係なく、「別れ」というだけでどうしようもない悲しみを感じていた私。
 
それが、過去の寂しさと向き合って、「あれはあれでよかった」と受け入れられたことで、今現在の別れに対して必要以上に恐れなくていい、ということを私自身に教えてくれたことにもつながっているような氣がしたんです。
 
実際に向き合ったことが変化のきっかけだったのか。
 
もしかしたら他にも何かあったのかもしれません。
 
私が氣づいていないだけ、ということもあるかもしれません。
 
でも・・・
過去の感情と向き合うことは多かれ少なかれ、現在の感情にも影響するのだと思います
 
そして、これから先の未来にも。
 
 
過去の私を「寂しい私」として捉え続ければ、今の私も、未来の私も、「寂しい私」の延長線で生きるのでしょうし
 
過去の私を「愛されている私」と捉えることができれば、今の私も、未来の私も、「愛されている私」の延長線で生きるのでしょう。
 
 
人生を変えたいと思った時、「今から変えよう」と言う人がいます。
 
でも、過去から変えるのはもっとパワフル!
 
過去、知らず知らずのうちに作った傷に触れ、その傷を癒してあげる。
 
それは今も未来も変える、大きな変化のきっかけになる。
 
 
あなたが今感じている痛みは何ですか?
 
その痛みが生まれたきっかけはいつでしょう?
 
もし、そのきっかけに氣づいているなら、今、その痛みをどうするかの前に、過去の傷と向き合ってみませんか?
 
今は幸運なことに、一人では向き合いきれない痛みに寄り添ってくれる存在がたくさんいます。
 
そんな人の力を借りながら、今のアナタのために、未来のアナタのために、過去を癒してあげませんか?
 
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
 
 
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知り合いのSNSの投稿にモヤっとしたり、落ち込んだりする
 
そんな相談を受けることがあります。
 
こういうモヤモヤを感じることは多くの人が経験済みだと思いますが、人に言うのは勇気がいりますよね。
 
できればイヤな感情は感じたくないし、妬みのようなネガティブと言われる感情を持っていることを人に気づかれたらなんて思われるか・・・という気持ちもあるかもしれません。
 
 
でも、だからと言ってそのネガティブな感情を隠したり、感じないふりをするのはお勧めしません。
 
 
私は子どもの頃に親から「泣くな」と言われました。
 
母は泣くことを「恥ずかしい」と捉えている人でした。
 
そうは言っても涙は出るのだけど、泣くことをガマンしなくちゃいけないと思っていたし、感情は出しちゃいけないんだと思っていました。
 
思っていたって言っても、自分では気づかないくらい無意識なものでしたが。
 
同じような体験をしたことのある方は少なくないと思います。
 
「友達をきらい」って言ったら怒られた
 
「めんどくさい」と言ったら叱られた
 
「ムカつく」と言ったらイヤな顔をされた
 
もちろん大人であれば、言葉に出すかどうか、表にその感情を出すかどうかは考えた方がいい。
 
でも子どもは自然と出てしまうことがありますね。
 
それに対して、言葉を注意したつもりでも、「そんなことを言ってはいけない」と言われることは、イコール、そんな感情を持ってはいけない、と受け取ってしまうこともあります。
 
 
親の感情に対する「良し悪し」は、子どもにも伝わるんですね。
 
親が「こんな感情は感じちゃいけない」って思って堪えていたら、自然と子どもも「こう言うことは言っちゃいけないんだ」「こんな感情を感じちゃいけないんだ」ってふか〜いところで感じます。
 
感情をジャッジするというパターンを、わが子に渡すことになるんです。
 
 
とは言っても、不快な感情、感じたくない感情はありますよね。
 
そんな時はどうするか?
 
無視するでもなく、だからと言って誰かに不快な思いをさせるわけでもなく、いい状態に自分を戻すには、その感情を感じ切ることが大事だと言われます。
 
モヤっとした気分の悪いものも、受け取ってみる。
 
モヤっとしてるんだねって自分を労ってあげる。
 
ぴったり当てはまる語彙を見つけるのでもOK。
 
自分の中に湧いた感情を丁寧に感じ取ってあげることは、自分を大事にしてあげることでもあります。
 
 
だって、感情は自分の中から湧いたものだから。
 
もっと言えば、無意識さん(潜在意識)からのメッセージだから。
 
 
イヤな感情に目を向けるのは不快かもしれません。
 
でも、不快な感情は感情は注目されるのがきらい。
 
だから、その後には必ず別の感情がやってきます。
 
モヤッとした時、そのモヤモヤにも、モヤモヤを感じる自分にもバツをつけることなく、「そうなんだね〜」と受け取ってみませんか?
 
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
 
 
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わが子の生きる力を育む「女神道』主宰 柴田もと子です。
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あるお客様(Aさんとしておきますね)がこんなことを教えてくれました。
 
お子さんのある症状について悩み、専門家に初めて相談に行った時のこと。
 
そこでその専門家がこう言ったそうです。
 
「そういうお母さんのお子さんが(そういう症状に)なるんですよ」
 
あまりのショックにAさんは、どうやって帰ったかも思い出せないくらい呆然としてしまったそうです。
 
 
もしあなただったら、どう感じますか?
 
初めて行く場所で、初めて会う方に、とても個人的なことを相談してこの言葉が返ってきたら・・・
 
私も大きなショックを感じるだろうし、相手が専門家だからこそ、怒りを感じたかもしれない。
 
正直、話を聞きながら一瞬、怒りが湧くのを感じ、自分の気持ちを脇に置きました。
 
 
言葉って、放った本人が意図していなくても、相手を落ち込ませたり、傷つけることができてしまうんですよね。
 
どんな言葉に傷つくは人によって違いますが、傷つける言葉の中にはジャッジ(評価)が含まれていることも多い氣がします。
 
先ほどのAさんに放たれた専門家の方の言葉には「お母さんに原因がある」という考え方があり、そこからお母さんに対するジャッジが含まれてるように感じます。
 
 
それは「お母さんはこうすべき(すべきでない)」「お母さんはこうあるべき(あるべきでない)」という強いものであればあるほど、言葉にもその強さが表れますね。
 
それは患者さん(お子さんの症状)を心配するあまり、かもしれませんが。
 
 
私も子どもの頃、母に言われて傷ついた言葉がありました。
 
それは「遅い」という言葉。
 
えっ?そんな言葉で?と思う方もいるかもしれません。
 
でも、当時の私は(いや、今思い出しても)遅い=ダメ、という母の評価を受け取っていました。
 
声や話し方から、「遅い私はダメなんだ」というメッセージを受け取り、それから何十年もその時の氣持ちを引きずっていました。
 
 
じゃあ、相手の言葉にジャッジが含まれていて、まともに受けたら傷ついてしまいそうな時、どうしたら傷を浅くしたり、傷を負わずにいられるのか?
 
それは
 
「これはこの人の世界」
 
として受け取ること。
 
相手には相手の信じた世界があります。
 
相手なりの「いい」「悪い」や「正しい」「誤り」があります。
 
でもそれは、あくまでも相手の中の世界の話。
 
私たちはその世界に入ることもできるし、自分の世界の中にいることもできます。
 
相手の世界に入ったら傷ついてしまうなら、わざわざそこに入らなくていい。
 
そんな時は、相手の言葉を「あなたはそう思うんですね」と受け取って、脇に置いてしまってもいいんです。
 
 
 
私たちは子どもの頃から、人の話は聞きましょう、と言われてきました。
 
でも、聞く=受け入れる、でなくていい。
 
自分の世界に必要のない言葉は、「そう思うんですね」と受け流すことも、時には必要ですs。
 
それは相手の方が知識があったり、経験があるとしても。
 
これは過去に受け取った言葉も同じです。
 
もう過去のものだけど、思い出すたびに傷つく言葉ってありますよね。
 
でもそれは、相手が思い出せないくらい、何も考えずに言った言葉だってこと、よくあります。
 
そんな過去の言葉も、相手がその時、そう思っただけ。
 
それを私たちが引き受けなくていい。
 
もしかしたら、虫の居所が悪かっただけ、なんてこともあるじゃない?
 
八つ当たりで人を傷つけて欲しくはないけど、人間誰でも感情に惑わされて、本心じゃないことを言ってしまうこともある。
 
そこに囚われすぎて、いつまでも傷を持ち続けることの方が辛い。
 
だから、「あの人はそう思っていたのね、私はそうは思わないけど」で終わらせる。
 
 
誰だって、放った言葉を引っ込めることはできない。
 
後で「しまった!」「言いすぎた」「悪いことを言ってしまった」と思ったとしても。
 
だから、放つ時には慎重に、そして、受け取る時には寛大でありたい、と思います。
(寛大であるには、流すってことも大事)
 
 
そして、できることなら言葉は、誰かに勇氣や希望、やる氣を与えるものとして使いたい。
 
Aさんのお話を聞いて、そんなことを思ったのでした。
 
 
ちなみに「あなたはそう思うのね」で片付かないくらい、深く傷ついた過去の言葉から解放されるには、もう少し別の方法が必要になります。
 
この辺りはまた今度。
 
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
 
 
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時々「インプットメタボ」という言葉を聞きます。
 
インプットしてばかりで、身になってない人のことらしい。
 
つまりは実践せずに、次から次へとセミナーを受けたり、ワークショップに参加したり、という方のことを言うのだと思うます。
 
メタボか、と言われたらそこまでではないけど、私も学ぶことは大好き!!!
 
セミナー大好き!!
 
時間とお金が限りなくあるなら、好きなだけ学びたい!と言うタイプです。
(インプットメタボ予備軍ですね笑)
 
でも、いくらインプットしてもそれを生かすことができなかったら・・・やっぱりもったいないですね。
 
私も過去に読んだ本で、全くもって内容を思い出せないものがあります汗
 
背表紙を見て、どんな内容か全くわからない。
 
ペラペラっとめくって「あ〜、読んだわ」と思っても、その内容を説明できるかって言ったら、全く自信がない。
 
これ、その本を買ったお金も、読んだ時間も、ムダにしてますよね〜T_T
 
そのtきはしっかり読んだつもり、学んだつもりなのに、どうしてそんなことが起きるのでしょう?
 
 
それは、本物のインプットではなかったから!!
 
じゃあ、本物のインプットとは何か?
 
それは、この流れからこそ得られるそうです。
 
1、課題を見つける
 
2、課題をクリアするための問いを立てる
 
3、本やセミナーなどから問いの回答を得る
(=インプット)
 
4、実践する
 
5、振り返る
 
 
つまりね、いきなり本を読んじゃダメなのよ〜!
 
「おもしろそう」で参加したセミナーはインプットにならないのよ〜!
 
いや、全くならないとは言い切れないけど。
 
でも、本来インプットというのは、明確な目的をもっておこなものだってこと。
 
 
目的を持っていると、受け取る情報の質が変わりますね。
 
 
つまり、内容すら思い出せない本は、目的を持たずに何となく読んでたってこと。
 
覚えてないなんて、きっと大した内容じゃなかったんだって思ってしまいそうになるけど(失礼!!)、実は私が目的を持ってなかったがために、記憶に残ってなかったってことなんですよね汗
(完全に自己責任・・・)
 
確かに、講座に役立てたいとか、これは誰かに伝えたい、と思ったものは、記憶に残っているし、誰かに伝えるから、確実に自分の言葉として語れるくらいにはものにしています。
 
 
課題を持って、問いを立てる、というのは、目的を明確にすることにつながります。
 
本を読むなら
 
1、自分の課題を見つけて
 
2、「〇〇を解決するには何が必要だろう?」と問いを立て
 
3、その答えを見つけるつもりで本を読み
 
4、そこで見つけた答えを実践し
 
5、振り返って、必要があれば修正
 
としてみると、何かしら得ることができるのですね。
 
 
私のよく知る方は子どもの頃から、何か情報などを聞いたら、当たり前にそれを誰かに話していた、と言います。
 
彼女にとっては、それが当たり前だったのだとか。
 
だから、何か体験している時でも、人の話を聞いている時でも、誰かに伝えるとしたら?という視点を持っていたんですって。
 
彼女はそれを大人になって家族に「お前はいつもそうやって外で聞いた話を家族に話していた」と言われて、みんながそうではないことに気づいたそうです。
(当たり前すぎて、みんなそうだと思っていたそうです)
 
彼女は講師業などをしていますが、とても知識豊富でたくさんのたとえ話をしてくれますが、それはもともと、「人につたえる前提」でインプットしているからこそだったのですね。
 
 
ちなみにインプットは、常に新しいものに触れ続けなければできない、というものでもありません。
 
同じ本を読んでも、立てる問いが変われば見え方も受け取る情報も変わります。
 
以前読んだ本を読み返すだけでも、またインプットすることはできるのですね。
 
 
ちなみに私が最近持っている課題は「いかに日本語の奥深さを伝えられるか」
 
そのため、インプットはもっぱら日本語に関するものに偏っています苦笑
 
よほどそれに関する知識がほしいのでしょうね、私は(笑)
 
 
あなたの課題は何ですか?
 
それをクリアするために効果的な問いは何ですか?
 
 
 
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
 
 
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