石垣島生活の頃に、ネットで初めて目にした謎の遺跡、益田岩船(ますだのいわふね)。




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きっちりとした四角い穴が空いた巨大なる岩。
その姿を写真で見た瞬間、いつか必ず見にいく!と心に決めたのでした。







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3年前の暑い日に、友達と四人で岩船と対面しました。







団地などの住宅地の中に小高い山があり、そこを少しの時間登っていくと、竹林に囲まれた状態で益田岩船は鎮座しているのでした。







どう見ても、奈良時代のものではない。






そう直感しました。







あれから数年経つけど、私の中ではナンバー1のオーパーツ。






最近では世界的人気の「ヒストリーチャンネル 古代の宇宙人」でも取り上げられたみたいです。













私もコツコツと研究中。










最近、突然
「今のうちにやりたいことをやっておかないと!!」







そんな感覚がやってきましたので、思い切ってツアーを企画してみました。







興味のある方はぜひご一緒しましょう〜〜♪







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(益田岩船苔ポン☆参加者に贈呈)





【SPACEやおよろずと行く謎の超古代遺跡・益田岩船見学ツアー】


奈良県橿原市の住宅街にある小高い丘にひっそりと、そしてどっしりと鎮座する 800t の巨石。益田岩船。

絶対的な存在感がありながらも、あまりに不可解な存在であるため、現代人のほとんどはその価値を見出せず、ただただ放置され、今日も竹林の中で沈黙を保っています。

現在のところ、日本の考古学者の間では

「奈良時代に古墳などの建造物を造る際に切り出されたがなんらかの理由で放置された」

という見解にとどまり、それ以上さしたる調査も行われずサジを投げられてしまいました。

「奈良時代の遺跡が近くにあるから、奈良時代のもの」というわけです。

しかし奈良時代には、800t もの質量の非常に硬い岩石である花崗岩を切り出す技術も、運ぶ手段もありません。

仮に切り出せたとしてもその後、丸太を敷いてコロにして運ぼうにも、たちまち丸太が潰れてしまうのが 800t という重量です。

また、奈良時代の建築物と益田岩船ではデザインの方向性が全く異なることは一目でわかります。
何より古墳群からは益田岩船に類似の部材(建築用のパーツ)も見つかっていません。

通説通り益田岩船が奈良時代のものである可能性はほとんどゼロです。

それではこれは一体いつの時代のものなのか?何の目的で作られたのか?
なぜこの時代にここに存在しているのか?
なぜ海外の研究家たちが注目しているのか?

実際に益田岩船から聞いてみようではありませんか!




●2018年5月27日(日)11時〜16時

近鉄 橿原神宮前駅集合・解散

●参加費  10,000円 (定員5名)
(参加費に含まれるもの:昼食代、橿原神宮前駅〜益田岩船送迎代、レクチャー費)

☆参加特典としてSPACEやおよろず特製「益田岩船苔ポン」をプレゼントさせていただきます。


●日程

11:00 橿原神宮前駅集合
橿原神宮参拝
ランチタイム
益田岩船見学
シェアお茶会
16:00  橿原神宮前駅解散


●注意事項
・蚊が多いので、虫除け対策を万全にしてください。
・ズボン、スニーカー、リュックサックなどの動きやすい服装でお越しください。

●お問合せ・お申込み
isisruri@gmail.com(岩城るり子)