2014年
ライムベリー
東京の一番イケてるアイドルラップグループ。
女性アイドルには全く興味なかった僕にもその名前は当たり前に耳に入るくらい有名なグループでした。
ただ当時はウチも結成3ヶ月ほどで調子に乗りまくっててフロアを湧かせるって意味ではどこにも負けない自信があったし、実際イベントに出る度に評価を得て、少し天狗になっていました。
その伸びた鼻を初めてへし折られた相手がライムベリーでした。
2014年8月30日大阪
初めて対バンで一緒になりライムベリーはイベントのトリを務められてました。
そのライブの凄さは今でもはっきり覚えています。
初めて『負けた。。』と思いました。
その楽曲の素晴らしさ。
メンバーの魅力。ライブパフォーマンスの完成度の高さ。
そしてフロアのお客さんの隅から隅までを笑顔にし、揺らしていました。
全てにおいて負けでした。
ライブ見てる間ずっと凄すぎて、でも悔しくて、、、苦笑いしてたのを覚えてます。
特に楽曲は今まで聴いた事がない本当に完璧によくできた最高のアイドルソングだと今でも思います。
かわいくて、おもしろくて、洒落てて、そしてステージにいる彼女達が歌う意味がちゃんとある、身の丈にあった、若い女の子のタドタドしさが逆に魅力になる、僕の思う完璧なアイドルソングでした。
せのしすたぁがいずれ僕以外の誰かに曲を作ってもらうとしたら当時のプロデューサー『eチケさん』しかいないと思ってました。
(本気でやってもらいたかったです)
そのまま大阪で何故か(あれなんでだったんだろ?)タワレコでインストアライブ&トークショー(吉田号さん、南波一海さんと)MBSラジオの収録とずっとライムさんとご一緒させていただきました。
僕は生まれてずっとコンプレックスがあります。
それは福井に生まれ育ったという事です。
福井は田舎です。
日本で3本の指に入るくらいの田舎です。
だから東京や大阪で対バンイベントに出る時は勝手に『どうせ田舎もんをバカにしてんだろ?絶対見返してやる!』と思ってやってました。
特に東京代表アイドルみたいなライムベリーにはそう思っていました。
でもライムさん達は全然そんな風じゃなくて、まったくそんな偏見なく接してくれたし、謙虚でその時から今まで一度も嫌な気持ちにさせられた事もありません。
ただの被害妄想だったなぁと。
そしてその直後9月12日渋谷クワトロで一緒になった時にライムさんの方から『ツーマンやってくれませんか?』とオファーをもらいました。
そしてウチの『ハートブレイカー』という曲でコラボをさせてください。
と言われました。。
もう夢みたいでした。
人気でも実力でも完全に格下のウチらみたいなグループを指名してくれて。
当時勢いはあったけどそのふざけてて下品なライブパフォーマンスから一部の人には『あんなのアイドルじゃない』と言われてました。(今でもそういう風に言われる事はありますが)
そんなグループをちゃんと評価してくれて大事なツーマンライブの相手に選んでくれたのは本当に嬉しかったし、当時ウチのフロアに降りてライブをやるスタイルに賛否両論ありましたが、リハーサルでライムさんの方から、一緒に降りたい!って言ってもらいました。
結局お客さんが入りすぎてフロアに降りるスペースがなく実現はしませんでしたがこの時初めて『アイドル』になれた気がしました。
胸を張って『アイドルやってます!』って言えるようになった気がします。
この仕事やって初めてよかったと思えた1日でした。
ライブも大成功でした。
しかしそのあとすぐ皆さんもご存知の通りライムベリーは分裂してしまいます。
その原因は僕も今でも知りません。
ただ、とにかくライムベリーさんは振り出しに戻ってしまいました。
あの時ショックでしたが、ただただ心配でした。
この分裂劇にはさまざまな噂がありましたが、この時僕は続いていく新しいライムベリーとこれまでと変わらず付き合って行く事を決めました。
それは尊敬するeチケさんや、当時お世話になっていた他のスタッフさん達との関係断絶を意味していましたが、新しいライムベリーをこれからも追いかけ続けて行く事を決めました。
僕はライブはナマモノだと思っています。
同じ曲、同じセットリストでもライブはその時のお客さんの状況、フロアの雰囲気で全く違うものになるはずです。
その空気や流れを読んでその時のヒラメキ、アドリブで言葉を選び、フロアをロックする事が1番大事だと思っています。
メンバーにもそれを1番大事にするよう指示してます。
それができるのが、せのしすたぁとライムベリーだけだと思っていました。
もっと言えば当時はウチのまおとmiriちゃんだけがその才能と意思を持っていたように思います。
ステージの上だけがアイドルの仕事場だと思っているグループ。
ステージの上を唯一のアイドルとして生きる場所としてるグループ。
だからずっとライバルだと思っています。
同じ競技で戦ってる数少ない強敵。
そんな出会いの時期を経て、僕たちは何度も助け助けられ、対抗心を燃やしたり、タッグを組んで戦ったりしてきました。
せのしすたぁの歴史はRHYMEBERRYとの歴史です。
RHYMEBERRYがいなかったら今のせのしすたぁは絶対になかったです。
ウチらの前を当たり前のように走ってくれているイケてる先輩です。
そんなRHYMEBERRYが5月31日で無くなります。
この知らせを知った時はこの仕事初めて1番悲しかったです。
今でも悲しいです。
RHYMEBERRY一行に会うのが辛いくらい悲しいです。
ライブアイドルはやっぱりアイドル界の中で生きていけないんでしょうか?
フロアを盛り上げるだけではダメなんでしょうか?
私達は負けたんでしょうか?
アイドル稼業は楽じゃない。でも
ずっと仲良くしてくれて、優しくしてくれて、道標になってくれてありがとうございます。
僕たちはまだその道を進みます。
今度は前に誰もいないかもしれません。
孤独な道のりになるでしょう。
せのしすたぁはまだ続きます。
RHYMEBERRYとの歴史と思いを胸にまだライブしていきます。
RHYMEBERRYの分もアイドルやってやろうと思います。
まだサヨナラはいえないですが、最後のツーマン最高にしましょう。
ミラーボール回しましょう!
パーティーを続けよう!
せのしすたぁ運営 森永康之