奥にいるのはアヤワコ族

 

2011年アメリカのセドナで、

地球意識と言われるコロンビアのコギ族のギャザリングに参加した。

南米コロンビア共和国の先住民で、シエラ·ネバダ山脈の山深くに住み、

スペイン人の侵略を免れた数少ない部族。

 

彼らは生きた精霊と言われていて、

1000年前とほとんど変わらない生活をしているという。

 

コギ族のマモスとアルワコ族のマモスが来た。

 

コギ族は、背がとても低く東洋的な顔立ちで、

アルワコ族は、背が高く、目鼻立も大きい。

両部族とも髪は黒くて長い。

 

マモスとは儀式を執り行う高僧。

 

彼らは生態系のバランスを保持する「地球意識」という存在で、

厳密には人間ではないそうだ。

 

彼らが実際に地球と親密な絆で話しながら、

人類の為、地球を見守り生きているという。

彼らは、世界中をどこでも観ることができ、

未来も視えるそうだ。

 

地球からの緊急メッセージとして、

彼らが山から降りてアメリカまで伝えたいことがあると、

80~95歳のマモスたちがやって来たのだ。

 

世界中からシャーマニックな存在やヒーラー、

ホピ族、ナバホ族、マヤの長老、

フラワーオブライフの著者·ドランヴァロなどが集い、

マモスたちが伝える地球からのメッセージを聞きに来た。

 

ホピ族は、本当はマヤ族で、

彼らは元々はグアテマラからきたのがルーツだそうで、

日本とも繋がっている。

 

マヤ族やホピ族にとって、コギ族は先祖だそうだ。

 

 

ここでのメッセージは途切れ途切れの通訳と、

交代で子供を見ていたので、

あまり内容はわからなかったが、

 

シエラネバタ山脈の観光地化や

鉱山の発掘やダム建設などによって、

彼らの住むところや聖地である祈りの場や水場が

破壊されたり奪われていること、

 

地球環境のこと、

未来のこと、

地球の臓器である、

クリスタルや宝石を奪わずに大地に返すようにも伝えていた。

これは祈りとともに地球と繋がる大事なものであって、

みんなが持つものではないことや、

人々は地球からやたらと奪いすぎていることなども話していた。

 

翌日の会場のテーブルには、

参加者が地球に返しに来た、

見事なクリスタルやパワーストーンがたくさん置かれていた。

 

これは後で、マモスたちが然るべき方法で地球に返すのだという。

3日間ギャザリングに出た後、

 

ギャザリングを主催したアダム·イエローバード率いる

マモスたちとこの旅でお世話になるイルさんたちとホピの村へ行く。

 

道中、新しく発見されたピラミッドの発掘現場に遭遇したり、

ナバホ政府の集会所での集まりに急遽参加した。

ホピ族とナバホ族の土地の水が、

鉱山会社によって大量に使われている事に対する問題を話し合っているからと。

ホピの村へ行く。

集会所でマモスを待つホピたちは、

マモスのシェアリングが終わると、

食事が振る舞われた。

 

ホピブレッドやジャイアントコーンのスープなどをいただいた。

その横にはコカコーラのボトルが何本も置いてあるのがアメリカらしい。

 

途中ナバホの村で立ち寄ったストアも、

普通のアメリカのジャンクフードや白砂糖のお菓子でいっぱいで、

肥満の人たちも多い。

 

かつてのホピの人々の写真を見ると、

不毛の土地で暮らす彼らは、皆とても痩せていた。

 

ホピ族の儀式の上でも大変重要な場所であるセカンドメサへも入れてもらえた。

 

ネイテイブインデイアンから、

アメリカは文化を奪っていった。

 

食や言葉の支配は緩やかだが確実に奪っていく。

そして聖地を騙されて奪われて彼らの生活が変わっていった。

 

現状のホピもまた、自然の英知から外れていき、

ホピ文化が失われていく。

 

近代文明により、失われつつある先住民族の文化というのは、

世界中でどこでも同じことが起こっている。

 

 

 

ホピ族のメッセンジャーロイ·リトルサンの家、

タイタスファームに到着。

 

手作りの玄米甘酒をいただく。

まさかこんな荒野の真ん中で、

甘酒を飲むとは。。。

 

旅の外食に疲れていたので、

からだが優しく緩んでいく美味しさに感動した。

電気もない水道もガスもない。

離れたところに、ポツンとコンポストトイレがある。

 

ロイは若い頃にマクロビオテイックの先生だったこともあり、

台所には日本の食材がたくさんあった。

 

この日はロイのところでホピ式にパイプセレモニーから始め、

コギやマヤの長老、

世界から集まったシャーマンたちと祈りの場となった。

それぞれのユニークな方法と表現で、

あちらの世界と繋がっているようだった。

 

愛と調和のエネルギーに満たされていく中、

娘たちも静かに参加していた。

 

ロイが何十年も続けているというワンハートセレモニーに参加する。

 

大きな円の中を4つにわけ、

それぞれ4つの中にはさらに小さな円をつくり、

一列になって、ひとつの小さな円のまわりを歩き、

 

次に隣の小さな円に移り、無限の形をつくりながらまわり続けた。

全ての垣根を消してしまうのだそうだ。

 

 

 

この旅の中では場所を変えて、

コギ族との祈り場に同行するチャンスがあった。

 

アダムの家の近くで、

わたしと下の娘が森の中にある椅子に座っていると、

一人、二人と、

気がつくと全員の長老たちが集まって来た。

 

彼らは、私たちのように愛想笑いはしないし、

声すらかけず周りに集まってきていた。

 

私たちの文化から見れば無愛想に見える。

 

マモスたちは全身白いコットンの服で、

おしゃれな帽子を被り、部族で帽子の形が違った。

 

肩から横にカバンを1つか2つかけている。

もう一つ小さな首からぶら下げた白いコットンで編まれたサックから、

コカの葉を取り出し、「ポポロ」というものに棒を刺して、

その先に貝の粉がついていて、

コカの吸収をよくしたり、考え事をする時も、棒で棒でこする動作をする。

常にコカの葉をクチャクチャと噛んでいた。

 

無性にわたしも噛んでみたかったが、

話しかけられる感じがまるでない。

 

アヤワコ族はスペイン語がわかる人もいるが、

コギ族はわからない。

 

彼らのところでは、地球意識としての魂のあるマモスの赤ちゃんや、

いずれマモスになる赤ちゃんを見つけると、

親元から離されて特殊な訓練を受けるそうだ。

 

9年間は光のない暗闇の中で育てられる。

かつては完全な暗闇の洞窟だったようだが、

現在は、失明しない程度の最低限の光がすこし入る場所で、

9歳まで暗闇の中で生活して、

目を使わないで見ることを学ぶ。

 

そして9歳になると、

外に出て目を使って見ることを学ぶのだという。

 

また、覚醒するためのわたしたちへのアドバイスとして、

9日間、暗闇の中で食事をせずに、

立ったままで眠らないで過ごすという。。。。。。

 

 

わたしがその時抱いていた下の娘は、

もし違う文化に生まれていたら、

親元から離されて特殊訓練のために連れていかれるのだと言われた。

 

 

 

 

ロイのスエットロッジに参加することにした。

 

想像を絶する苦しさだった。

焼けた石が中央に置かれ、狭くてまっ暗闇の中で、

猛烈に暑くて、頭皮や髪の毛まで焼けるようだった。

 

ロイは神道にも精通していたので、

ホピの祈りや日本の祝詞や歌を歌う。

 

何人かで入っているのだが、

すぐそばにいる隣の人のことも全く見えないほどの闇だった。

 

静かになると、誰の気配も感じない瞬間があり、

自分は一人なのか?全てがわからなくなる空間だった。

 

そして自分の中の恐れが吹き上がった。

 

強烈に自分の内在している恐れと向き合わされる。

 

いるわけがないのに、蛇がいるような気がしてきて恐ろしくなり、

そして暑さで滝のように汗をかきながら 

喉はカラカラに乾き干からびていた。

水が欲しい、出たい、怖い、、、、、。

 

祈りに集中して向かわないと

死にそうで耐えられないのだ。

 

歌い、祈り、沈黙、やっと終わったかと思うと、

また繰り返し、4回戦もあった。

 

昼過ぎに入ったかと思うが、

這いずって外に出た時には、

外はもう暗かった。

心の底から開放感に安堵した。

立ち上がることもできぬまま、

汗だくなカラダをひんやりとした荒野の風が気持ちよく包み込む。

静かになった人々と空やたき火の火をいつまでも見ていた。

 

 

この旅の間は、

時々違う世界に漂うような感じになっていることもあり、

 

特に眠りの時は、

不思議な意識状態に入っていて、

過去生で受けた儀式にも参加していた。

 

マモスたちの能力は計り知れないし、

ほとんど知られていない。

 

彼らが、テレパシーを使い世界を観て、調整をしたり、

先祖伝来、地球を包み込むグリットを作っているそうなのだ。

 

「私たち人類が生き続ける」

 

この想念をマモスたちが夢観ることによって、

わたしたちの存在が今ここに実現されているのだそうだ。

 

考えて見たこともなかった。

なんと、彼らなくしては、

私たちは今ここには存在しなかったのだと。

一体どうやって理解することができるだろうか?

 

ただ、それが真実だということだけしかわからない。

 

彼らは一族から大変敬われていて、

キリスト的な救世主のような存在だそうだ。

 

彼らのシェアリングに耳を傾けて、

愛と祈りの旅をさせてもらえたこと、

 

私たち家族は、儀式に参加するというよりも、

見学している感じだったが、

彼らは、人の様々な層に渡り奥まで観るができる。

 

彼らと実際会った細胞の記憶は、過去の思い出ではなく、

活きたまま交流することができるのだと最近ふと思う。

恩恵は計り知れなくあるようなのだ。

 

 

 

 

これは、愛する仲間への呼びかけです。 

vol.21「コロンビア先住民族との旅」