こんにちは なつみやです
旅日記におつきあい頂きありがとうございます。
3日目は岩手県宮古市
以前、東北に遊びに行った時は
その遠さに諦めていたのですが・・・
今回行ってみて本当によかった!!!
また行きたくなりました
宿泊したのは
浄土ヶ浜パークホテル
朝日が岬の先の水平線から昇ってくる姿は
言葉も出ないくらい美しかったです
ホテル敷地内から結構急な階段を降りていくと
5分ほどで浄土ヶ浜に到着します。
かつて訪れた僧侶が
「まるで極楽浄土のようだ」
と言ったことから名付けられたと伝えられるこちらの浜辺
まさにその通りだと思いました
高僧じゃなくてもそう感じます。
静かで白くて透明度が高くて・・・
別世界のようでした。
遊泳もできます
監視員が付いているので、お子様でも安心ですよ
さて、史跡巡り…と。
【宮古湾海戦記念碑】
浄土ヶ浜ビジターセンターより徒歩3分
明治2年の宮古湾海戦は
地元の人たちにとって
とても大きな衝撃的な出来事だったのでしょう。
宮古市の案内板にある通り
各所に記念碑や墓碑が現存していました。
【御台場展望台】
宮古湾海戦記念碑から徒歩約10分(アップダウンあり・・・)
御台場というくらいなので
宮古湾海戦当時、宮古に陣を構えていた官軍(新政府軍)が
見張りや大砲を置いていたかもしれません。
ここからは浄土ヶ浜から宮古湾の入口まで
ぐるっと見渡す事ができます。
【宮古湾海戦解説碑】
臼木山 岩手県立水産科学館から徒歩5分
ここからは宮古湾を一望できます(木が生い茂っていなければ・・・)
解説碑には歴史的説明と
両軍の有名人として
土方歳三 東郷平八郎 のお名前と写真
そして「海戦略図」として当時の戦艦の航路が示されています。
この海戦略図には
”当時の海岸線” ”現在の埋立線” の記載がありますが
震災とおそらく津波の影響で
今現在の埋立線は異なっていましたし
まさに今埋め立て造成中という感じでした。
宮古湾も復興中です。
【七滝湯跡】
岩手県宮古市鍬ヶ崎
宮古湾に注ぐ閉伊川の河口北川は鍬ヶ崎と言って
大正時代頃まではとても栄えた花街だったそうです。
今でも当時のお店の建物が残っているそうですが
残っていたとしても高台のみ。
震災の影響でほとんど姿を消したようです。
七滝湯は鍬ヶ崎の大店だった和泉屋があった場所
(豪商なので土地も広く”この辺”としか言えませんが)
戊辰戦争の折には、両軍が年を変えて逗留した場所だそうなのですが・・・
やはり津波の影響で何もありませんでした。
鍬ヶ崎は街の殆どが復興工事中
住民ではないので立ち入るのは遠慮しました。
【宮古湾港戦蹟碑】
岩手県宮古市光岸地5-8 大杉神社
こちらの題字は東郷平八郎の筆によるものだそうです。
高台にある神社ですので震災の影響は
境内を見回す限りもう見あたりません。
参道頂上からは、宮古湾と街を一望できました。
※参道は急な階段です(ここも・・・)
【黒森神社】
岩手県宮古市大字山口第4地割132
宮古駅から車で5分程度
義経伝説の残る場所
兄の頼朝に追われ、平泉で自刃した後
実は自刃したのは家臣で
義経自身はここに逃げてきたのではないかと言われている場所
もともとは女人禁制の神域、修験の山だったようです。
まるで私たちを拒むかのように
細い道路の左右から
旅日記におつきあい頂きありがとうございます。
3日目は岩手県宮古市
以前、東北に遊びに行った時は
その遠さに諦めていたのですが・・・
今回行ってみて本当によかった!!!
また行きたくなりました
宿泊したのは
浄土ヶ浜パークホテル
朝日が岬の先の水平線から昇ってくる姿は
言葉も出ないくらい美しかったです
ホテル敷地内から結構急な階段を降りていくと
5分ほどで浄土ヶ浜に到着します。
かつて訪れた僧侶が
「まるで極楽浄土のようだ」
と言ったことから名付けられたと伝えられるこちらの浜辺
まさにその通りだと思いました
高僧じゃなくてもそう感じます。
静かで白くて透明度が高くて・・・
別世界のようでした。
遊泳もできます
監視員が付いているので、お子様でも安心ですよ
さて、史跡巡り…と。
【宮古湾海戦記念碑】
浄土ヶ浜ビジターセンターより徒歩3分
明治2年の宮古湾海戦は
地元の人たちにとって
とても大きな衝撃的な出来事だったのでしょう。
宮古市の案内板にある通り
各所に記念碑や墓碑が現存していました。
【御台場展望台】
宮古湾海戦記念碑から徒歩約10分(アップダウンあり・・・)
御台場というくらいなので
宮古湾海戦当時、宮古に陣を構えていた官軍(新政府軍)が
見張りや大砲を置いていたかもしれません。
ここからは浄土ヶ浜から宮古湾の入口まで
ぐるっと見渡す事ができます。
【宮古湾海戦解説碑】
臼木山 岩手県立水産科学館から徒歩5分
ここからは宮古湾を一望できます(木が生い茂っていなければ・・・)
解説碑には歴史的説明と
両軍の有名人として
土方歳三 東郷平八郎 のお名前と写真
そして「海戦略図」として当時の戦艦の航路が示されています。
この海戦略図には
”当時の海岸線” ”現在の埋立線” の記載がありますが
震災とおそらく津波の影響で
今現在の埋立線は異なっていましたし
まさに今埋め立て造成中という感じでした。
宮古湾も復興中です。
【七滝湯跡】
岩手県宮古市鍬ヶ崎
宮古湾に注ぐ閉伊川の河口北川は鍬ヶ崎と言って
大正時代頃まではとても栄えた花街だったそうです。
今でも当時のお店の建物が残っているそうですが
残っていたとしても高台のみ。
震災の影響でほとんど姿を消したようです。
七滝湯は鍬ヶ崎の大店だった和泉屋があった場所
(豪商なので土地も広く”この辺”としか言えませんが)
戊辰戦争の折には、両軍が年を変えて逗留した場所だそうなのですが・・・
やはり津波の影響で何もありませんでした。
鍬ヶ崎は街の殆どが復興工事中
住民ではないので立ち入るのは遠慮しました。
【宮古湾港戦蹟碑】
岩手県宮古市光岸地5-8 大杉神社
こちらの題字は東郷平八郎の筆によるものだそうです。
高台にある神社ですので震災の影響は
境内を見回す限りもう見あたりません。
参道頂上からは、宮古湾と街を一望できました。
※参道は急な階段です(ここも・・・)
【黒森神社】
岩手県宮古市大字山口第4地割132
宮古駅から車で5分程度
義経伝説の残る場所
兄の頼朝に追われ、平泉で自刃した後
実は自刃したのは家臣で
義経自身はここに逃げてきたのではないかと言われている場所
もともとは女人禁制の神域、修験の山だったようです。
まるで私たちを拒むかのように
細い道路の左右から
満開の紫陽花がしなだれていました。
未舗装ではないのですが本当に細い山道で
空は快晴で紫陽花もとてもきれいだったのですが
なんとなく怖かったです
車を駐車場に置いてからまた階段を上ります。
登り切った敷地内は広々としていました。
真夏なのに木陰がとても涼しくて
手入れされた庭も古そうな建物も落ち着いていて
瞑想したくなる場所でした
この神社の黒森神楽は
重要無形民俗文化財にもなっているそうです。
何百年も続いている伝統芸能
この目で見たいですが・・・
ひとりはちょっと怖いので誰か一緒に行って下さい
【幕軍無名戦士の墓】
岩手県宮古市藤原3-6-7 観音堂
海戦があった数日後
浜辺に幕軍兵士らしき隊服を着た遺骸が流れ着いたため
地元の方が弔ったものだそうです。
国道45号線沿いに建つ観音堂
墓石も国道を向いて立っています。
観音堂は4~5車線道路の交差点に建っていますので
信号待ちがあればすぐにわかると思いますが
信号が青だとあっという間に通り過ぎますのでご注意下さい
この後は
遠野へ向かってひた走りました。
ま、前日の石巻→宮古ほどではなかったので
楽でしたが
宮古市内の史跡巡りは登ったり降りたりの繰り返しで
東京暮らしの女2人の足は
クタクタになっておりました
格言 : 史跡巡りは体力勝負
宮古巡りの坂道写真集を添付します。
次回は遠野を駆け足で回りまーす
未舗装ではないのですが本当に細い山道で
空は快晴で紫陽花もとてもきれいだったのですが
なんとなく怖かったです
車を駐車場に置いてからまた階段を上ります。
登り切った敷地内は広々としていました。
真夏なのに木陰がとても涼しくて
手入れされた庭も古そうな建物も落ち着いていて
瞑想したくなる場所でした
この神社の黒森神楽は
重要無形民俗文化財にもなっているそうです。
何百年も続いている伝統芸能
この目で見たいですが・・・
ひとりはちょっと怖いので誰か一緒に行って下さい
【幕軍無名戦士の墓】
岩手県宮古市藤原3-6-7 観音堂
海戦があった数日後
浜辺に幕軍兵士らしき隊服を着た遺骸が流れ着いたため
地元の方が弔ったものだそうです。
国道45号線沿いに建つ観音堂
墓石も国道を向いて立っています。
観音堂は4~5車線道路の交差点に建っていますので
信号待ちがあればすぐにわかると思いますが
信号が青だとあっという間に通り過ぎますのでご注意下さい
この後は
遠野へ向かってひた走りました。
ま、前日の石巻→宮古ほどではなかったので
楽でしたが
宮古市内の史跡巡りは登ったり降りたりの繰り返しで
東京暮らしの女2人の足は
クタクタになっておりました
格言 : 史跡巡りは体力勝負
宮古巡りの坂道写真集を添付します。
次回は遠野を駆け足で回りまーす