時は、平安時代末期。。
“宇治川の合戦”
ちょっと…いきなり省略するけど
この…「義経軍」対「義仲軍」
の戦は、
最終的に……
最後に5騎が残った。上洛前に5万人いた義仲軍は5人になった。
そしてこの中に一人の女武者が生き残っていた。巴(ともえ)御前だ。
巴御前は27歳。
兼平の妹で「色白く髪長く、容顔まことに優れたり」と記される義仲の妻(愛妾とも)。
荒馬「春風」に乗って風を切る彼女は、人一倍派手な鎧を着て、大型の弓と大太刀を自在に扱う美しき猛者。
宇治川の戦場を13騎で脱出した時、前方に立ち塞がった敵将・畠山重忠をして「かの者は女に非ず、鬼神にも勝る」と言わしめ、追討を諦めさせた勇将だ。
義仲は巴に生き延びて欲しかった。もはや5騎、ここから先は確実な死が待っていた。「巴、よくお聞き。今からは別行動だ。早く逃げなさい」
「いやです。最後までお供いたします!」。巴は死ぬまで義仲に寄り添うと言ってきかない。
彼女に対し“命を大切に”と説得しても通用しないので、義仲は心を鬼にして言った。「巴!お前は私のことを、“最後の戦に女を連れていた”と世の笑い者にしたいのか!」。
武士の名誉を語られて、彼女は言葉が出ない。なおもしばらく義仲から離れるのをためらっていた。
義仲が「さらばじゃ!」と言って馬を駆けて行くと、敵の30余騎が後を追撃した。
巴は泣きながら、その敵のど真ん中へ「私と戦え!」と愛馬を突入させる。
彼女は真っ先に大将の体を掴んで引き落とし、鞍(くら)に首を押し付けると、それを斬って投げ捨てた。
巴は東国へ落ち延びて行く。
義仲。。。
けっこう…悪いイメージが強い
と思われるけど……
この…巴御前を想っての。。。
このシーンは、
ぅん。。。
泣ける……
そうなんだよね。。。。
俺。けっこう最近まで、
巴御前は、この合戦で
義仲と一緒に戦死した。。。
と思ってた。。。
しかも、巴御前…って
正妻じゃないんだ。。
その後、年あって、見目麗しい尼僧が、
この公の御墓所のほとりに草庵を結び、
日々の供養ねんごろであった。
里人がいぶかって問うと、
「われは名も無き女性」と答えるのみである。
この尼こそ、義仲公の側室 巴御前の後身であった。
尼の没後、この庵は「無名庵」ととなえられ、
あるいは巴寺といい、木曽塚、木曽寺、
また義仲寺とも呼ばれた・・・・。
90歳まで生きた…巴御前。。。
うん……。
いろいろ記憶違いをしていた。。。
巴御前の荒馬。。“春風”
グルっぽ
『沙那王』…源氏!!
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