他人を操るとは、
教育・指導 ・勧誘 ・布教 等をすると言うこと。
人は始め野蛮で動物そのものだった。
そこに、人間らしさを吹き込むのが教育。
万人の耳を傾かせるのは容易ではない。
そこに現れたのが 神 の存在。
聖書とは教科書で、人間としてこうであってほしいと願う故のマニュアルだと思う。
宇宙は偉大で、地球のあらゆる場所に 指導者をおいた。
争う為ではなく、豊かな人間をつくるため。
…が、
指導者は神と崇められはじめ、
指導者の言葉に耳を傾け、如何様にも動く人を見た一部の神とされた人間が、
他人を操ることに愉しさを覚え、それを利用するようになった。
それら一部の人間はやがて権力を持ち、神の言葉として(利用して)争うようになった。
全ては己の欲の為に。
我々は、言葉というものを鵜呑みにしてはいけない。
何が正しくて何が正しくないのか、
神の言葉としていることも、実は己の(指導者や教育者然り)思い込みで如何様にも解釈できる。
神のためではなく
己の為に、
地球の為に生きて欲しいと思う。
己の為とは、自分さえ良ければいいと言うことではなく、
さすれば、隣人の為で、家族のためで、町のためで、国のためで、回り回って自分の為になるからだ。
操られるのではなく、考えて行動する。
他人(神・指導者等)の言葉から自分の考えが派生する。
そこに間違いが無いことを祈る。
誰に?神に?笑
…あなたに。(念๛ก(ー̀ωー́ก))
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娘はいち髪。
息子はシーブリーズ(冬はボタニカル)