15点で行こう。

 

 

15点の自分で過ごそう。

 

 

 

無理をして、

60点、70点の自分で過ごしているから、

 

15点に見える人が許せなくなるんだ。

 

 

 

 

 

 

こんにちは。

心理カウンセラー  星野えみ(えいみー) です。

 

 

 

わたし、

 

絶好調!な日って、

 

1年のうちの、

ほんの数日で。

 

 

わたしゃ毎日何かしら、

どこかが痛かったり、

天気や周りの環境ががうっとうしかったり、

片づけたいと思っている少しの懸念事項があったり、

なんか、ある。

 

 

 

なのに、

 

目の前にいる人に対しては、

 

その人のいまの姿は絶好調!な状態だと勘違いしていたりする。

 

絶好調とはいかなくても、

そこそこいい調子なのだろうと、

勝手に想像してる。

 

 

その人が、

いま、

たとえば頭が痛いのを押し隠していたり、

たとえば生理中であったり、

 

たとえば数日前に大金を失っていたり、

たとえば仕事で失敗した後だったり、

 

何か、表立っては見えない不調を抱えているかもしれないことを、

わたしは忘れがちになる。

 

 

自分が落ちている時ほど、

世界中の誰もが自分よりは幸せなんだろうと見える現象と同じ。

 

それの軽いヤツ。

 

 

 

 

 

 

自分も、いつも絶好調ではないのだから、

 

目の前の人だって、

そうなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

15点でいいやん?

 

 

そうやって自分に声をかける。

 

 

すると、ほっとする。

 

 

 

そしたら、

 

15点も0点も、そんなに変わらへんね。

 

0点の日があっても、

いいね。

 

 

そんなふうに聞こえてきて、

 

 

安心するとともに、

 

 

 

 

少し泣けてくる。

 

 

 

 

 

 

60点の自分ももちろんいい。

 

 

だけど、

疲れているなと気づいたら特に、

 

15点の自分で過ごそう。

 

15点で行こう。

 

 

 

無理をして、

60点、70点の自分で過ごしているから、

 

15点に見える人が嫌いになるんだ。

 

 

 

星野えみ(えいみー)でした。

 

 

 

 

こういうことを言うと、たまに、

 

「わたしはいつももう0点でいいと思って過ごしてます」とか言う人がいるのだけど、

 

0点の自分ももちろんいいけど、

わたしは0点になろうとするには、

それはそれで、“変な開き直り“という力技がいるなぁと思う。

 

(“開き直り“ってのはただの劣等感の現れだよね

 

 

生きてるだけで15点あげていいやん、とわたしは思う。(点数付は個人の微妙なさじ加減だな)

 

 

 

 

 

紫陽花って、色も種類もたくさんあってかわいいなぁ

 

 

 

 

 

乙女のトキメキJin佐伯仁志クラウドファンディング応援中