去年の記事があがってきて驚いたのは


長女がまた学校に行きはじめて、

まだたった一年だという事実。

 

 

 

 

こんにちは。

星野えみです。



あくびとにらめっこ

 

 

去年の今頃のわたしは、

 

”わたしの中から、変な「期待」も「心配」もなくなっていて”

 

と書いていて、

 

今年のわたしの中にも、

それらは見当たらない。

 

 

子どもに対しても、

自分の周りの人に対しても、

周りの状況に対しても。

 

変な期待も、

心配も。

 

 

自分の中に、

大きな安心が育っているのだなぁと思う。



至福



Twitterを時々見るのだけれど、先日、

『人間関係で疲れない方法は「期待しない」こと』

というようなツイートがプチバズってた。

 

 

うん。

 

それは、確かに。

 

 

「期待しない」ということはとても大事で。

 

なのだけど、

期待してしまうのも人間だよなとも思う。

 

  

 

「期待しない」の本当の意味は、

 

あの人に好かれなくても

あの人が変わらなくても

あの人がいなくなっても

あの人がわたしの期待通りじゃなくても、

 

わたしは幸せである、と決めること。

 

 

そして、

 

あれが手に入らなくても

あれが達成しなくても

あれが叶わなくても

あれを失ってしまっても

 

わたしは幸せである、と決めること。

 

 

わたしはそう思っている。
 

 

 

期待した相手がどうであれ、

わたしは幸せである、ということ。

 

期待した物事がどうであれ、

わたしは幸せである、ということ。

 

 

 

期待しないで生きるって、

そういうことだと思う。




 

 

自分の幸せを、

何かに決めさせない。

 


わたしの幸せの決定権を、

誰かや、何かに、明け渡さない。

 

 

 

こうなったら幸せだ

こうなったら安心だ

 

という『思考』は、

 

結局自分の目の前に、

 

それがないと不幸だ

それがないと不安だ

 

という『世界』をありありと作り出す。

 


 

愛されたら幸せだ

健康なら幸せだ

あれを持っているから幸せだ

お金があったら安心だ

あの人がいれば安心だ

 

そんな風に、思考で思うことはもちろんあるけれど、

 

「それがないと・・」と思い始めたときは、

 

今一度、

自分の幸せの手綱を、自分の手でしっかり握り直した方がいいな、と思っています。

 

 

いつも読んでくれてありがとう。


星野えみでした^^

 


あくびのまね