嫌いという感情は、

あっていい。

 

嫌いと好きはワンセットだし、

嫌いがあるから好きも分かるものだし、

あっていい。

 

のだけど、

嫌いという感情を持つ時に気をつけた方がいいことについて。

 

 

 

こんにちは。

星野えみです。

 

 

昨日は中一娘の土曜参観で、

炎天下の中、中学校まで往復して死にました。




 

 

年度はじめに書いたであろう、壁に貼られた”自己紹介シート”を見ていて、

4年前、きゅうりのたたきを見たときに感じたように

相変わらずこの子はすげぇなーと思ったのが、、、、

 

 

自己紹介シートには、自分で自分についてをいろいろ書いてあるのだけど、

そこに「去年のわたし」という欄があって、

みんなの書いているのを見ていくと、

 

忘れ物が多かった

提出物を出さなかった

整理整頓ができなかった

うるさいとよく注意された

 

って、

多くの子が”自分のダメなところ””注意されたところ”的なことを書いていたのだけど、

 

我が家の下娘は、

 

国語が好きだった

 

って書いてたꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)なんそれ

 

 

わたしは君の、

そういうところが大好きだ。

 

 

 

そんな中一娘と、高校一年になった上娘と、

最近こんな話をした。

 

 

差別はいけないというけれど、

「嫌い」と言う感情は仕方ないじゃないか

 

という話。

 

子どもというのは、

時になかなか深いテーマを持ってくる。

 

 

 

 

嫌いなものって、ある。

 

嫌いな人って、いる。

 

 

わたしも、もちろんあるし、いる。

 

し、

 

わたしは、それでいいと思っている。

 

 

差別も、

嫌いも、

仕方ないことだとわたしは思っている。

 

 

たとえば

黒人が嫌い

アジア人が嫌い

太った人が嫌い

おじさんが嫌い

生活保護受給者が嫌い

犯罪者が嫌い

喫煙者が嫌い

虐待する人が嫌い

ぶりっ子が嫌い

幸せな人が嫌い

 

なんでも、嫌いという感情は仕方ない。

 

 

ただし、

 

それを、

 

自分ひとりで抱えることは必要だな、と思う。

 

 

わざわざ相手を殴りに行かない。

 

わざわざ相手に嫌なことをしに行かない。

 

 

そして、

同じ気持ちの誰かと結託しない。

 

 

 

大人でも、これができていない人間はいるのだけど、、、と話したら、

 

「なるほど。SNSでわざわざ嫌いな相手に絡みにいく人か」

「あれ、なんでするんかと思ってた!」

「みんなで集まって嫌いな人叩いたりとか」

「自分ひとりで嫌ってられへんのか」

と、さすが今時の子。理解が早い。

 

 

嫌いが同じ人と連帯すると、

嫌いな感情は無駄に大きくなるしね。(いじめの構造でもあるよね

 

 

 

嫌いは仕方ないから、

嫌いなものも、

嫌いな人も、

”自分ひとりで嫌える人間”になろうぞ、という話をして、

 

 

そのためにどうするか、

どう生きようか。

 

というような話も少ししました。

 

 

まぁそれでも、

SNSによって、安易に他人を殴りに行ける世界。

 

もうすでにスマホを持っている娘たち。

 

 

”匿名”というものに調子に乗って、

何かやらかしてしまうこともあるかもなぁ

とは思うし、

 

間違うこともやらかすこともあるのが人間なので、

それも仕方ないかなぁとは思いますけど。

 

 

匿名のつもりでも、

ネットに書き込んだそれはどうにでも特定されてしまう時代だよ、

という話もしておきました。

 

歳を重ねてきた子ども達との会話はおもしろいです。



星野えみでした^^

 




甲子園行ってきた。


最高すぎた。