被害者でいる方が楽です。

 

酷いことされたわたしでいる方が楽です。

 

 

悪いのはあの人だから。

悪いのはあの親だから。

 


iPhoneすごい

 


こんにちは。

星野えみです。

 

 

高校生の長女が

友達を2人家に呼んで

忘年会という名のたこ焼きパーティーをしています。

 

部屋からキラキラした笑い声が漏れてきます。

 

高校生の笑い声ってキラキラしてる。

 

 

そういえば女子高生なんて

箸が転んでもおかしい年頃だったな、なんて思い出したり。

 

 

今年の長女は、

わたしが「それは高校生のうちははダメ」と言っていたことを2個やりました。

 

くそー。やりやがった。

 

髪染めと、口のピアスです。

 

 

こうやって、親からどんどん離れていくんだろうな。

頼もしいことです。

 




 

 

 

生きるのが苦しくてつらくなって、

自分の人生を見つめ直したくて

自己啓発や心理の世界に入ってきた頃、

 

わたしは自分の過去を

「親の言うことを従順に聞いてきたいい子だった」なんて思っていました。

 

今までカウンセリングで出会ってきた人にも、

こういう人って多いな、という体感もあります。

 

 

だけど、

よーくよーく振り返ると、わたし、

親が禁止していたことをこそこそとしてたこともあったのでした。

 

 

確かにおおむねは大きな反抗期があった記憶もなくて、

親に「クソババア」とか言ったことなくて、

禁止されていたピアスはなんだかずっと開けられなくて、

「親に嫌われないようにいい子でいた」という記憶もあるにはあるのだけれど、

 

実は「全部がそう」でもなくて、

親が禁止していたことを隠れてやったし、

バレて怒られたこともあるし、

見て見ぬ振りしてもらったり

大目に見てもらったりしていたこともあって、

 

なんだかんだ従順ではなかったことも思い出したのでした。

 

 

被害者でいたくて、

親を加害者に仕立て上げて、

 

いい子で健気で可哀想な自分でいたくて、

抑えつけるひどい親を過剰に作り出して記憶していたんだなぁと思います。

 

記憶を盛って。

盛って盛って。

 

 

被害者でいるのは楽です。

 

いつでも悪いのは「あの人」です。

 

 

だけど、

「人のせい」にするのをやめてからの方が、

生きるのはとても楽になりました。

 

生きることに絶望することは無くなりました。

 

何もかも人のせいにしている人生は、

何もかも自分ではどうにもできない人生です。


自分ではどうにもできないという思いは、

人を絶望の側に連れていきます。



 

被害者でいることをやめた時から、

人生のハンドルは自分に渡されます。

 

とても覚悟がいるけれど。




読んでくれてありがとう。

星野えみでした。

 

 

 

それにしても、

自分で「ダメ」と言っておきながらも、

 

大人になったらしてもいいのに、

高校生だからダメってなんだ?とも思います。

 

世に蔓延る「中学生のうちはこれはダメ」「高校生のうちはこれはダメ」って、なんなんだと思います。

 

自分が根拠を説明できない「これはダメ」って、

子供に言っちゃいけないよなぁ

という自戒を込めて。