竹島、本当は誰の島なのか?
http://ameblo.jp/2kman/entry-11375322299.html

以前ブログに書いた記事に続いて、韓国が「独島(竹島)は我が領土」と主張する根拠を検証してみます。

1.三国史記
 朝鮮半島最古の歴史書で、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までの様子が書かれています。最古と言っても1143~1145年にかけて作成されました。ハングルではなく漢字で記載されています。

三国史記

 上図がその原文の一部です。4行目の「十三年夏六月」にある記載、

「于山国征服、歳以土宜為貢、于山国、在溟州東海島、或名鬱陵島」

日本語に訳すと次のようになります。

「于山国は征服され、毎年貢ぎ物を献上した。于山国は溟州(現在の江原道)東海にある島国で、別名を鬱陵島という。」

 で、この「于山国」の鬱陵島が竹島である、竹島は新羅が征服した島である。新羅は今の韓国である。だから竹島は韓国の島である。というのが韓国の主張です。

 ところが、鬱陵島は今も朝鮮半島の東側の日本海に韓国の島として存在しています。なので「鬱陵島が竹島だ。」という主張は完全な間違いです。

 この三国史記に竹島は出てきません。なので、この文書は、韓国の竹島領有の根拠にはなりません。

 ちなみに三国史記はSeoul National UniversityのサイトからPDFでダウンロードできます。

http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0004.PDF

2.高麗史
 朝鮮の高麗王朝(918~1392年)のことを記した紀伝体の官史。1451年に完成しました。

高麗史 地理志(巻五八)

 上図がその地理志(巻五八)の原文の一部です。

 「在縣正東海中、新羅時、称于山国、一伝武陵、一伝于陵、地方百里、智證王十二年以降、太祖十三年、其島人、使白吉、土豆献方物、穀宗十一年、王聞鬱陵地廣土肥、旧有州県、可以居民、遣溟州道監倉金柔立、往視、柔立回奏云、島中有大山、従山頂向東行至海、一万余歩、向西行一万三千余歩、向南行一万五千余歩、向北行八千余歩、有村落基址七所、有石仏鐵鐘石塔、多生紫胡蒿木石南草、然多岩石、民不可居、遂寝其議、一云、于山、武陵、本二島、相距不遠、風日清明、則可望見」

日本語に訳すと次のようになります。

「鬱陵島は東海中に在り、新羅時代には于山国と呼ばれていた。
この島は時に武陵、或いは于陵とも呼ばれ、智證王十二年以降から太祖十三年まで、島民は農産物を献上した。
穀宗十一年に、鬱陵の土地が肥沃であることを 聞いた王は、使節を島に派遣した。
島の中央には大きな山が在り、そこから東の海へは一万余歩、西には一万三千余歩、南へは一万五千余歩、そして北には八千余歩の大きさであった。
島には村落が七ヶ所あり、石仏・鐵鐘・石塔、そして多くの草木が生え、岩が多くある場所では人の居住は不可能であった。
一説には、于山・武陵の二島は距離がそれほど離れていない為、空気の澄み切った日には(互いを)望み見ることが出来る。 」

 まず、新羅時代、鬱陵島は于山国と呼ばれていて、島民は新羅に貢ぎ物をしていたと。これは先述の三国史記の記載と一致します。

 次に鬱陵島に関するもっと詳しい記述が出てきます。つまり「土地が肥沃」「七つの集落があった」「草木が生えていた」と。これは現在も韓国の島である鬱陵島の様子と一致しますが、竹島とは一致しません。
 竹島は岩と絶壁の島なので、そもそも肥沃な土地なんて無いし、50m四方ほどの広さしかないので、七つの集落は存在できません。
 つまり、この歴史書に出てくる鬱陵島は、やはり現在も鬱陵島と呼ばれている韓国の島のことを指していると考えるのが妥当な判断で、これを竹島のことだと解釈するのは無理があります。

 最後に「一説には」と前置きして、于山国は于山島と武陵島の二つの島に別れていて、天気の良い日は見えたと書いてあります。
 鬱陵島とは別の島があったと、やっとここに来て竹島らしき記載が出てきました。が、それは竹島ではありません。鬱陵島から約92km離れている竹島は、天気が良くても見えません。于山島と武陵島は、もっと近くに存在する島です。

 この高麗史もSeoul National UniversityのサイトからPDFでダウンロードできます。

http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0669.PDF

3.東国輿地勝覧
 朝鮮半島最古の地図で、1481年に完成しました。高麗史と同じ時代に作成された地図です。クリックすると大きくなります。

東国與地勝覧

 確かに、高麗史にあるように鬱陵島と于山島、二つの島が書いてあります。しかし、地図を見て、右の鬱陵島が現在の竹島で、左の于山島が現在の鬱陵島である、と解釈するのは無理があります。
 縮尺がかなりいい加減な地図ですが、それを差し引いても二つの島が約92kmも離れているようには見えません。

 余談ですが、この地図の中に「東海」という文字があります。韓国が「日本海」の呼称を「東海」に変えろと主張する根拠だと思われます。が、この文字は海ではなく陸地に書いてあるので、これは海の名称ではなく、海に面した地域の名称です。日本にも「熱海」という地名がありますが、これは地名であって海の名前ではありません。

 さて、鬱陵島を現在の地図で見ると、次のようになっています。

 鬱陵島

 これを見ると、于山国の「もう一つの島」というのは、鬱陵島の隣にある竹嶼(チュクド)と解釈するのが正しいように思われます。鬱陵島と竹嶼の距離は約2kmなので、天気が良ければ問題なく見えます。

 以上のように、韓国の「竹島は新羅の時代から韓国の島である。」という主張は、全くの嘘です。韓国の古い文書や地図に竹島は出てきません。

 では、いつになったら韓国の地図に竹島は出てくるのでしょうか。

4.大韓地誌
 帝政時代の韓国で編纂された地理書です。1899年に完成し、韓国の学校教育でも使われていました。

大韓地誌

 大韓帝国の領域は「北緯33度15分から北緯42度15分、東経124度35分から東経130度35分まで」と記載されています。
 下図は竹島のグーグルマップのスクリーンショットで、図のピンが立っている位置の緯度と軽度が左上に表示されています。これによると竹島の位置は「北緯37度14分、東経131度51~52分」なので、大韓帝国の領域に入っていません。

竹島(右) 竹島(左)

 1899年という時代は、日清戦争で日本が中国(当時は清)と戦争し日本が勝って下関条約を結んだのが1895年です。下関条約の第一条は「朝鮮は中国の属国ではない。独立を認めろ。」となっており、これをもって韓国は国家として独立しました。
 その後、韓国は独立しきれず1910年に日本に併合されて日本の植民地となるわけですが、1899年は韓国が独立していた期間です。日本の意向で地図から削除されたわけではありません。

 つまり、1899年の時点でも、韓国の文書に竹島は出てきません。

5.大韓全図
 大韓地誌に収録されている地図「大韓全図」です。製作年は大韓地誌と同じ1899年です。

大韓全図

 前述の東国輿地勝覧よりも正確な地図になっています。ここにも竹島は記載されていません。

6.朝鮮常識問答
 韓国の学校の教科書です。これは第二次世界大戦後の1947年に制作されたものです。

朝鮮常識問答

 韓国の領土は「東経130度56分23秒まで」と記載されています。前述の大韓地誌の記載「東経130度35分まで」に比べて若干拡大され、また秒単位の正確な表記になっています。
 表記を正確に書き改めた理由は、おそらく鬱陵島の隣の竹嶼です。この「東経130度56分23秒」は、竹嶼の位置にほぼ一致します。
 下図は竹嶼のグーグルマップです。これによると竹嶼は島の東端で「東経130度56分23秒」で、これが韓国の領土の東の境界となっています。
 つまり、この緯度軽度の表記は「韓国の領土の東は竹嶼まで」と解釈するのが妥当です。竹島は竹嶼からさらに東に約92kmにあるので、韓国の領土には含まれていないことが分かります。

竹嶼

 というわけで、第二次世界大戦が終わった後、韓国が独立して完全に日本の影響下から抜け出した後、1947年の時点でも、韓国の教科書には竹島が出てきません。

 ところが、この後、1952年(昭和27年)1月18日、突如として大韓民国の初代大統領の李承晩が竹島を韓国領とする「李承晩ライン」を宣言し、竹島に侵攻し占領ました。つまり、歴史的には何の根拠もない、李承晩の思いつきですね。この大統領は自分の国の教科書すら読んだことがなかったのかもしれません。

 ただし、こんな頭のおかしい人を大統領に選んだのは韓国の国民で、正式に選ばれた大統領がやったことですから、韓国の国民は全力で支持するしかないと。今さら後には引けないと。そういう訳です。

以前のブログもご覧下さい。

竹島、本当は誰の島なのか?
http://ameblo.jp/2kman/entry-11375322299.html



以下のサイトもご覧下さい。

韓国の独立記念館
http://www.i815.or.kr/html/jp/

 サイトの冒頭に「大韓民国は五千年の長い歴史を持つ国です。」と、いきなりビックマウスです。中国の四千年に対抗してブッ込んできた感じです。
 韓国は歴史が始まって以来ずっと中国の属国だったのを、日本が日清戦争で中国に勝って朝鮮の独立を認めさせたのが下関条約の1895年ですから、国家としては独立してから100年ちょっとしかたってません。
 たった一言で韓国の民族性がよく分かる、大変参考になるサイトだと思います。